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外国人が記録した“日本の街並みと日本人の記憶”

2018-02-15

【先週のあらすじ】

やあ、僕はタウン通信編集部の石川。ある日、僕は「田無なおきち」「六都なおきち」の店主である佐藤うららさんから、1本の動画の存在を告げられる。そこには、1991年の田無の街並みが映し出されていた。撮影しているのは外国人。「どうして田無に?」「なぜ動画で記録を?」。さまざまな疑問が湧いてきた僕は、彼のブログを辿り、連絡先を発見。慣れない英語で彼にメールを送り、コンタクトを試みたのだった……(※海外ドラマの「前回のあらすじ」をイメージしてください)。

  ■前編「外国人が写した1990年代の田無の街並み」はこちらから

最近、海外ドラマの『X-FILES』にハマっている石川です。

今週は、動画の撮影者であるLyle(ライル)さんへのメールインタビューを公開。まだ先週の記事をご覧になっていないという方は、こちらをクリックしてください。


Lyleさんは、アメリカのカリフォルニア州出身。日本の文化や工業製品をきっかけに、日本そのものに興味を持つようになったといいます。

「どうして日本が好きなのかを説明するのは難しい。好きな色を、なぜ好きなのか言葉にするのと同じくらい難しいです」

日本への関心が膨らんでいったのは、サンフランシスコに住んでいた頃のこと。海に面した公園で、西の方角をぼんやりと眺めては「この海の向こう側に、日本があるんだ……」と感じたのだそう。

海の向こうに思いを馳せる日々。ライルさんの中で、次第に「日本を実際に見てみたい」「日本のことをもっと知りたい」と思う気持ちが強くなっていきました。

「『よし、行こう!』と決めたものの、友人や家族に、日本に対する気持ちを説明するのは難しかった。なので、誰にも言わずに飛行機に乗って日本へ。家族には、品川から『日本に行きました』と絵葉書を出しました」

こうして、ライルさんは1984年から東京に住み始めます。1990年からは、アナログビデオカメラを常備。日々の生活や、日本を散策する様子を記録するようになりました。

「写真を撮るのは、昔から大好きでした。ビデオを撮り始めたのは、それまで目の前にあった建物などが、どんどんなくなっていくのを目の当たりにして、『無くなる前に記録をしておかなくちゃ』と思ったからなんです」

ライルさんが田無を訪れたのには、2つの理由がありました。一つは、「田無タワー」を見ること。もう一つは、かつて建てられていたライオグランデ大学日本校の校舎を一目見るため。いずれも、日本のテレビ番組で見掛けて気になっていたのだそうです。その様子を撮影したビデオはこちら。当時の田無の印象について、「開発が進む前の田無駅前は活気があふれていて、ユニークに感じました」と振り返るライルさん。

「無くなる前に記録をしておかなくちゃ」というライルさんの言葉通り、2018年となった現在、ライルさんが残したビデオテープに映る街並みは、面影を残しながらも姿を変え続けています。田無という地域に限らず、当時の東京近郊の街並みを知る人にとって、ライルさんの撮った動画の風景は、とても懐かしいものなのではないでしょうか。


タウン通信編集部には、ライルさんのビデオを見たという40代の女性から、一通のメッセージが届きました。

「私が武蔵野大学に通っていた頃の田無駅です。動画を観ながら『あー、ここのセブンイレブン毎日寄ってた』『森永LOVEでお茶したなぁ』「この自動販売機でいつもタバコ買ったっけ」と、思い出がフラッシュバックしてきました。今ではもう、見られない景色なので、何度も、何度も、繰り返し見てしまいました」

街には人々の営みがあり、そこで暮らしていた人々の記憶が宿ります。ライルさんは、東京にあるベッドタウンの街並みだけでなく、月日とともに薄れゆく人々の記憶をも記録していたのでしょう。

ライルさんのYouTubeチャンネルには、田無以外にもさまざまな街の風景を記録したビデオがアップロードされていますので、ぜひご覧になってみてください。

https://www.youtube.com/channel/UCBkPgZh2RASVMn_fHh0TvTQ

(文・石川裕二)

外国人が写した1990年代の田無の街並み

2018-02-07

「石川さん、おもしろい動画があるんですよ」

カフェ「田無なおきち」「六都なおきち」の店主である佐藤うららさんから、この動画の存在を教えてもらったのが昨年12月のこと。動画のタイトルから分かるように、1991年の田無駅前の街並みを撮影したものです。

動画を再生すると、まだASTA(アスタ)が建てられる前の、駅前通商店街の様子を見ることができます。2009年に初めて西東京市を訪れた私の眼には、1991年当時の田無駅北口の風景は、非常に新鮮で、どこか懐かしく映りました。

個人店が立ち並ぶ活気ある商店街、建物に遮られることのない広い空、雑然としながらもどこかシンプルな街並み、エスカレーターのない駅の階段、改札で切符を切る駅員さんーー郷愁を誘う、数々の光景が記録されています。

動画の1分頃からは、田無駅南口の風景が映っています。北口と比べると、当時の面影が現在も残っているように感じました。

「わ、セブンイレブンはこんなに前からあったんだ!」「あー、この書店は今もある!」「RAJ(ラジ=石川の好きなカレー店)って、昔は青果店だったのかぁ~」と、なんだか興奮してしまいました。ぜひ、みなさんも動画を見てみてください。

撮影者にアプローチ。すると…

さて、動画を観たみなさんは、私と同じ疑問を抱いたことかと思います。

「この動画を撮ったのは誰なんだろう?」

※見出しでネタバレしていますが……!

YouTubeのアカウントを確認すると、「Lyle Hiroshi Saxon」という名前が記載されています。時折、動画に映る撮影者の姿を見て想像してはいましたが、どうやら外国人の方がビデオを撮っていた模様。

「でも、どうして田無に?」「なぜ動画で記録を?」などなど、さまざまな疑問が湧いてきた私は、彼のブログを辿り、連絡先を発見。慣れない英語で彼にメールを送り、「取材をさせてもらえないでしょうか」と、コンタクトを試みました。

その結果……

返信していただけました!! バンザーーーーーイ!!!!!!!

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庁舎屋上ではちみつ採取体験 清瀬市、約6万匹を養蜂中 返礼品などに活用

2017-09-07

市役所屋上で採れたはちみつの味はいかが?――。

さる8月29日(2017年)、清瀬市役所で市内の家族がはちみつ採取を体験するというイベントが開かれた。

採れたてのハチミツに笑顔がこぼれる見学者たち

同市では2014年から「花のあるまちづくり事業」の一環として庁舎屋上で養蜂を行っている。市職員が作業にあたっており、これまで、14年は40キロ、15年は118キロ、16年は30キロのはちみつを収穫している。

現在は4箱・約6万匹のミツバチがおり、今年は60キロくらいが収穫できる見込みだ。

採取したはちみつは、ふるさと納税返礼品にも

最盛期は13箱・約15万匹まで増えたことがあるが、産卵率が低くて世代交替が難しいうえ、ツバメやスズメバチなどの天敵もおり、一定数をキープするのは容易ではないという。一方で、養蜂が成立しているのは地域の農業が健全な証にもなっている。

なお、採れたはちみつは小中学校の給食や料理教室の原材料として活用されるほか、15年からはふるさと納税の返礼品にもなっている。

市役所産ハチミツ「きよはち」

養蜂の効果として受粉が進むという面もあり、例えば同庁舎で実施している緑のカーテンのゴーヤは、現在、鈴なりに実を付けている。

この日のイベントでは、小学生のいる家族8組が参加し、巣箱の見学や遠心分離機を使ってのはちみつ採取体験をした。採れたてを味わう場面もあり、「おいしい!」「きれい」などと笑顔がいっぱいにこぼれていた。

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小平井戸の会、Newsまとめ冊子に

2017-05-17

井戸のある住環境を目指して2015年1月から活動する「小平井戸の会」が、このほど、活動レポートとしてメールで発行してきたニュースレターを、一冊の冊子にまとめた。 

55号分が収録された冊子は、カラー写真やイラストが多く、ぱらぱらとめくるだけでも、活動の様子が伝わってくる作りになっている。

『小平市史』から歴史を探ったり、近隣市からさらには海外・バルカン半島にまで出かけての「井戸探し」などは、読み応えがある。

井戸の確保で、万一の被災に備える

同会の主な活動目的は、地域内の使える井戸を保全し、災害時の生活用水を確保していくこと。

市は上水道から直接取水するスタンドパイプなどで必要な水を確保できるとしているが、同会では、安定供給には井戸が有効として、その保全や情報共有などを訴えている。 

冊子は500円(税込)で頒布している。A4判、60ページ。

会のことなど、詳しくは金子さん(080・6689・3097 idonokai@gmail.com)へ。

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「屋敷林」を見直して!  願い込め、市民が冊子を作成 所有者の声も掲載

2017-05-17

願いを込め、所有者の声も収録

地域の人々の暮らしぶりを伝える「屋敷林」の価値を見直してほしい――先頃、西東京市の市民団体「屋敷林の会」が、屋敷林を紹介する冊子「屋敷林 武蔵野に生きて、西東京市の今へ~自然と共生してきた人の営み」を発行した。

冊子「屋敷林」をまとめたメンバーたち。冊子には、屋敷林の自然や歴史、所有者の聞き書きなどが収録されている

かつては生活に不可欠だった「屋敷林」

下保谷4丁目の高橋家が来年市に全面移管されるなど、屋敷林保護の機運が生まれつつあるなか、会のメンバーは、「屋敷林を残していくためにも、多くの人にその価値や魅力を知ってほしい」と訴えている。

屋敷林は、かつての農家などが家の周りに植えてできた樹林のこと。生活に必要な樹木などが植えられ、それらは季節ごとに有効に利用されていた。

たとえば、木々は、防風、防熱、防火、建築資材、薪炭などに重宝され、落ち葉は堆肥にされた。もちろん、カキやウメ、ビワなど食用のものもあった。

これらの利用は昭和30年代までこの地域でも行われていたが、電気・ガスが使われるなど生活環境が便利になるにつれ木々の利用は減っていった。現在では、緑化・景観という面を除けば、生活上ではあまり利用されなくなっている。

減りゆく「屋敷林」をどう守るか

一方で樹林の管理には手間も費用もかかることから、多くの所有者が屋敷林を手放している実情がある。

加えて、管理する土地が広いため相続の際の税負担も大きく、屋敷林はどんどん減っている。

こうしたなか「屋敷林の会」では、「屋敷林は地域の財産」という思いから、屋敷林の価値が広く知られるための活動を続けてきている。

10年前にも冊子を発行しており、その後も、あらやしき公園北の高橋家を主会場に、夏には子ども対象の自然観察会を、秋には、「下保谷の自然と文化を記録する会」と同市社会教育課とともに、地域の産物だった藍やたくあんの歴史を知ってもらうイベントを開いている。

「屋敷林の会」の萩原恵子さんはこう話す。

「屋敷林を樹林として捉え、緑化や自然保護という観点を重視する傾向がありますが、私たちは、それ以上に、郷土の歴史を伝える文化財として見ています。樹木の利用法などを知っていくと、人々の知恵や暮らしぶりが肌で感じられ、感動します」

13人の所有者が、維持の大変さなども吐露

そんな思いもあり、今回の冊子では、屋敷林の役割や樹林の解説に加え、現在の所有者の語りに多くのページを割いている。

市内13人からの聞き書きで、その言葉から、かつての暮らしぶりや管理の大変さ、相続の悩みなどが伝わってくる。貴重な聞き書きとなっている。

なお、冊子の執筆には、「下保谷の自然と文化を記録する会」も協力している。

地域に残る「屋敷林」の一つ

地域に「屋敷林」保護の機運が高まれば

同市では、下保谷4丁目の高橋家を買い取り、特別緑地保全地区に指定するなど屋敷林を評価する姿勢も見せている。

「記録する会」のメンバーの高橋孝さんは「地域の中に『屋敷林を残そう』という機運が高まれば」と期待を寄せている。

なお、冊子はA4判、112ページ。同会で販売している。送料込み1250円。

詳しくは萩原さん(042・423・5796)へ。

下保谷の屋敷林「作左衛門の森」を「特別緑地保全地区」にして! 市民ら、保存活動

「清瀬のうちおり」 国の重要文化財に

2017-03-15

清瀬市郷土博物館が所蔵する、同市および周辺地域で収集された自家用の着物・布地である「うちおり」衣料469点が、国の重要有形民俗文化財に指定された。

清瀬うちおり

生活に密着した普段着がまとまって残っていることや、養蚕や織物を行った多摩地域の家庭の衣料事情を今に伝える点などが高く評価された。

「清瀬のうちおり」は、くず繭や残糸を用いて仕立てたもので、羽織、半纏、襦袢、帯、足袋、風呂敷などさまざま残っている。

詳しくは同館(042・493・8585)へ。

[リンク]

清瀬市郷土博物館

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西武柳沢駅近くに落ちた模擬原子爆弾 『じゃがいも畑へパンプキン』

2015-04-01

「西東京模擬原爆の会」が冊子を発行

太平洋戦争末期、西東京市の西武柳沢駅近くに、模擬原子爆弾が落とされたのをご存じだろうか。

その事実を伝えようとこのほど関連冊子を発行した「西東京模擬原爆の会」に取材した。

冊子編集の会議を行う「西東京模擬原爆の会」メンバー

4.5トン弾に3人が犠牲

本日1日(2015年4月1日)、『じゃがいも畑へパンプキン「西東京市にも落とされた模擬原子爆弾」』が発行された。

作ったのは「西東京模擬原爆の会」。

太平洋戦争末期の1945年7月29日の朝、「1機のB29爆撃機が、上空約9000メートルの高度で北東の方向から現れ、中島飛行機武蔵製作所めがけて一発の爆弾を投下した」(同冊子中から抜粋)。

この爆弾こそ、重量4.5トンの模擬原子爆弾だったという。

狙いが外れ、現在の柳沢1丁目の「しじゅうから第2公園」の東南脇(当時はじゃがいも畑)に落下し、3人の女性が亡くなり、8人が重傷、3人が軽傷という記録が残っている。

長崎と同型・同重量 通称「パンプキン」

落とされたのは長崎の原爆と同型・同重量で、本物の原爆を確実に投 下・爆発させるために投下訓練として使用したと考えられており、黄色に塗装された球体だったのでパンプキン(かぼちゃ)と呼ばれていた。

同冊子では当時の状況を写真や図を交えて詳しく解説。模擬原爆が落とされたときの話なども、体験者から聞き取りを行い記載されている。

同会代表の西田昭司さんは、「模擬原爆がこの地に落とされたことをもっと市民に知ってもらいたいと思い発行しました」と話している。

なお、同冊子(68ページ、頒価500円)は西東京市役所田無庁舎1階の売店でも取り扱っている。

「原爆」は身近だった…… 長崎投下の直前、保谷上空で訓練

”戦争”関連遺跡の「旧跡」 東久留米市で初、文化財に指定

2014-11-19

東久留米市ではこのほど、「武蔵野鉄道引き込み線跡」および「北多摩陸軍通信所跡」の2件を市の文化財に指定した。

どちらも全体の原形が保全されていないため、「史跡」ではなく「旧跡」としての指定。

昭和22年に米軍が撮影した「引き込み線跡」の空中写真。畑の中を引き込み線が敷かれているのが見て取れる

市民が散策する「たての緑道」として整備

東久留米市や西東京市の辺りには戦時中、中島飛行機関連の工場・施設が点在しており、「武蔵野鉄道引き込み線跡」は、中島航空金属田無製造所と東久留米駅を結ぶために敷設された。軍用機エンジンの部品を作るための材料や、鋳造用の砂などが運ばれたという。1944年の敷設で、稼働した期間は短かった。

現在では、その跡地の大部分が、遊歩道「たての緑地」として整備されている。

具体的には、落合川の南の学園町1丁目の踏切付近から南中学校裏までのほとんどが公有地化され、全長約850メートルにわたる遊歩道となっている。

なお、民有地だが、落合川北側には軌跡の築堤が部分的に残っている。また、落合川に架かっていた鉄橋のコンクリート橋台も見ることができる。

現在は遊歩道「たての緑道」として地域で親しまれている

東久留米に軍事施設があったことを後世に伝える

「引き込み線」とは軍用のエンジンを作るための材料を運搬する目的に作られた鉄道の側道で、ここにあった引き込み線の正式名称は「東久留米駅構外線」だった。

現在の東久留米駅周辺は近代的な駅に姿を変えたが、学園町1丁目付近は、わずかにその痕跡が残っており、貴重な戦争遺跡の一つといえる。

同市生学課文化財系系長の上杉ゆりかさんは、「今回市として初めて、”戦争”関連遺跡を文化財に指定しました。かつての東久留米に軍事施設などが存在していたことを後世に伝えていくことが目的です」と話す。

なお、3日 (日・祝)午後2時からは、同市にある大円寺 (小山2の10の1)で「大円寺の防空場見学と講演会」がある。講師は住職で市文化財保護審議会委員の寺本亮洞さん。

また、2月9日 (金)までの午前9時から午後4時30分まで、同市郷土資料室 (滝山4丁目) で企画展示「東久留米にも一あった戦争」を開催。日曜と4日 (月・休) 休館。詳しくは同課 (042・470・7784)

※編集部注:このイベントは終了していますが、地域のアーカイブ情報として公開しています

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「聴くタウン通信」10/7配信〜本紙565号の記事紹介や裏話など

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