【この町この人】フォトジャーナリスト・八重樫信之さん

今年4月ハンセン病をテーマにした写真集『輝いて生きる―ハンセン病国賠訴訟判決から10年』を出版したフォトジャーナリスト。全国紙のカメラマン、雑誌のフォトディレクターなどを経て、現在はフォトジャーナリストとして活躍している。

生まれて間もなく旧満州(長春)へ移住。終戦後しばらくして帰国した後は、高校まで岩手県で過ごした。

大学進学で上京してからは水俣病を取り上げた英伸三や桑原史成、ベトナム戦争の写真で知られる沢田教一らに影響を受け、写真を撮りながら各地を巡るうちに、本格的にフォトジャーナリストへの道を志すようになった。

卒業後は写真の専門学校へ入り直し、26歳で全国紙のカメラマンとなった。

修羅場の現場を経験

カメラマンとして御巣鷹山、阪神・淡路大震災などの現場を経験、特に雲仙普賢岳噴火の取材では、到着前日に報道関係者やタクシー運転手、学者らが火砕流に飲み込まれた事故が起こった。一日早ければ自分も巻き込まれていた可能性がある。

所沢には22年前に越してきた。子供の通学が主な目的だったが、転居以前から狭山丘陵のオオタカ密猟問題などでたびたび訪れる機会があり、馴染みが深かった。都心に近い上、里山の風景などが残り自然が豊か。今でも時間があるときは景色を楽しみながら散歩をしている。

ハンセン病の問題を風化させない

今回出版した写真集の主題であるハンセン病と初めて関わったのは15年前。知人の手伝いで行った取材で、国が行った隔離政策が大変な人権侵害だと知った。

「この問題と自分が納得するまで関わっていこう」という思いが芽生え、それ以来、元患者の写真撮影などを続けてきた。現在は元患者の高齢化が進んでおり、療養所が成り立たなくなるなどの懸念もある。問題が風化してしまわないように、より訴え続けている。

復興する姿を記録に

最近では出身地の岩手に赴くことが多い。東日本大震災の被害から復興して行く街の姿などを写真に収めるためだ。「東北がどうなっていくのかを取り続けていきたい」と話す。

もう一つ目標がある。それは「孫に残せるような写真集を制作すること」だ。

が、実はこちらはテーマを模索中。60代後半になっても新たな目標に向かって進む姿勢は、今後のさらなる活躍を期待させてくれる。


10月1日から10日まで、東村山市の国立ハンセン病資料館(青葉町四丁目)で、『輝いて生きる』の写真展が開かれている。

編集部注:このイベントは終了していますが、地域のアーカイブ情報として公開しています

やえがし・のぶゆき

岩手県生まれ、67歳。フォトジャーナリスト。元朝日新聞写真記者、受賞歴に「DAYS国際フォトジャーナリスト大賞審査員特別賞」がある。

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