受けた恩を地元で返す
西東京市や小平市でウクライナ避難民運営食堂「Nadiya」を経営する。ウクライナ避難民に仕事を提供し、彼らの収入源を確保するのが狙い。当初は定職に就きながら事業を興したが、「半端では続かない」と好きだった旅行業を離れ、避難民支援に完全に軸足を移した。内情を明かせば、食堂の経営は赤字状態。それでも彼らの仕事を作らなければと、「多言語カフェ」や「人物デッサン会」など、さまざまに取り組んでいる。

これまでに100カ国ほどを訪ねてきた。
旅に目覚めたのは、24歳の頃。それまでにもオーストラリア留学などを経験していたが、好きだったサッカーを現地で見たいという思いが募り、スペインを巡った。さらにワーキング・ホリデー制度を利用してドイツにも滞在。ボリビアやカンボジアで、日本人観光客を現地で迎え入れる仕事にも就いた。
多くの国・地域をたいていは一人で巡ってきたが、実は語学が堪能なわけではない。ただ、旅を繰り返しているうちに、「通じない」ことへの恐れがなくなった。
「どんな場所にでも、優しい人って必ずいるんです。声を掛け続けていって、あとはジャスチャーや紙を示すなどすれば、助けてもらえます」
今思うと、「よく対処してもらえたな」ということも少なくない。スイスではヒッチハイクで子連れの女性に乗せてもらえた。無料で家に泊めてもらったことも数えきれない。中には空港まで送迎してくれた人もいる。
「結局は、国も地域も関係なくて、目の前のその人個人なんです。ラテンにも几帳面な人はいるし、紛争地だって愛国者ばかりではない。いろんな考え方や態度があって、それを受け入れることが大事だと思います」
そんな思いから、避難民の支援は自然に始まった。きっかけはウクライナを旅したときに交流した女性と連絡を取ったこと。困っていた彼女に身元保証人を申し出、いつしか支援活動が生活の中心となった。
活動を通して発見もあった。行政職員、農家、製パン店、精肉の卸売業者――厚意で協力してくれる人たちの多さ。やっぱりここにも優しい人たちがいた。
「別に僕個人はウクライナに肩入れしているわけではないんです。ただ、目の前に困っている人がいるから助けたいというだけ。僕自身が多くの国で受けてきた厚意や恩を、自分の町で返していけたらと思っています」
◆べっとう・のりひと 1978年、旧保谷市生まれ。西東京市在住。同市議会で支援活動の報告をしたほか、小学校や公民館、大学などで講演活動も行っている。
【リンク】