ともパパ、なる人物が近所にいる。友だちのパパ、ということで子どもたちの間で呼ばれているうちに、ある特定の男性の呼称となった。この、ともパパは、疑り深い私でさえ尊敬の念を抱かざるを得ない、好人物だ。
彼を知ったのは5年前で、彼の長男と私の長女が同級生になったのが始まりだった。
彼は男の子の父親らしく、暇を見つけては近所の公園で息子とサッカーボールを蹴っていたのだが、やがてそこに他の子も参加するようになり、いつしかそこは、私的な学童のような場になった。彼はサッカーだけでなく、一緒に鬼ごっこをしたり、鉄棒をしたり、時には子どもの体を持ち上げてぐるぐると回したりと、子どもたちに求められるまま、とにかく全力で遊んだ。さらに日が暮れると、特に女の子を中心に、一人ひとりを家まで送った。
ひねくれものの私は「それもまあ、子どもが1、2年生のうちまでだろう」などと見ていたのだが、離れていったのは彼の息子のほうで(サッカーを本格的に習い出した)、彼は公園に通い続け、今も大勢のよその子と遊び続けている。今年の夏は、子どもたちを何度かプールにも連れて行ってくれている。
そんな彼に私が特に感動するのは、それらがすべて愛情によって行われているところだ。彼は何かの活動に参加するわけでもなく、幾度か話した限りでは、教育や子育てへの思想を持っている風でもない。純粋に子どもと過ごすことを楽しんでいるように見える。
そういう彼の姿は、自然と周りの大人たちを動かし、プールに行くとなれば誰かが同行を名乗り出、別の人が菓子を提供したりする。そうやって、大人のつながりも広がっていく。
よく言う「地域で子どもを育てる」というのはこういうことなんだな、と学ばされている。