ビートルズって、何?【19】 《変わり始めていた4人の関係性》

西東京ビートルズ倶楽部(NBC)代表 田中敏久

 好評頂いている【ビートルズって、何?】では、自分たちの音楽活動や社会の動きをどう思っていたのか、ビートルズや彼らを取り巻く人々とのdynamics(関係性/集団力学)に注目しながらたどっています。

 前回【18】では、ビートルズの作品作りの転機となったアルバム”Rubber Soul”に取り組んでいた頃、<ビートルズらしい>新しい音作りに取り組み始めた頃を見てきました。


 今回は、そのような先進的な活動の背後で起き始めていた<4人の関係性の変化>について考えてみたいと思います。


 たくさんの皆さんの感想やご意見、どうぞよろしくお願いします。

スタジオで見せたビートルズの<clash(衝突)、hate(憎しみ)、hell(修羅場)>”Rubber Soul” のレコーデイング/その3 <1965.10.13~11.11>

 さて、前回までに見たように”Rubber Soul”は、新しいビートルズサウンドや彼らの<分身としての作品=アルバム>の姿を初めて見せた傑作として、現在でも非常に高く評価されています。


 しかし、この頃のレコーディングの現場では、過去の和気藹々としたバンドとしての姿からは随分離れてしまったビートルズの姿が見られるようになっていたのです。

 次のようなリンゴの言葉は、この頃のビートルズの面々の素直な気持ちを表したものだったのかもしれません。 

 「当時はいろんな変化があった。僕らの考え方が変わり、生活そのものも変わった。”Rubber Soul”のレコーディングセッションは、ある意味では崩壊への道のりの第一歩だったんだ。」

 「僕らはいろんなことに挑戦したし、スタジオで過ごす時間はとても楽しかった。完成したレコードも素晴らしいできだったよ。でも、時が過ぎて行くにつれ、スタジオにいる時間が負担になり始めたんだ。」

 「1965年、僕はまだ新婚だったのに、毎日車でアビーロードに出かけていった。今思えば、その時からスタジオへの憤りを感じ始めていたのかもしれない。素晴らしく天気がいい日でも、一日中スタジオにこもりきりで、帰る頃には外は真っ暗だったからね。」

 このような<4人の関係性の変化>は、この後のビートルズのサウンドや活動にも大きく影響していると考えられますので、少し詳しく見ていきたいと思います。

 前回も少し触れましたが、EMIスタジオのバランスエンジニアとして”Please Please Me”の頃から”Rubber Soul”まで、マーチンと一緒にレコーディングに参加してきたノーマン スミスが、この頃のレコーディングの様子について、次のように語っています。

 「”Rubber Soul”では、ジョンとポールの間の意見の衝突(clash)が目立ち始めていた。そして、ジョージもポールから酷い仕打ちをたくさん受けて我慢を強いられていた。

 もう4トラックでのレコーディングができるようになっていたので、ジョージも後からソロを入れることができたんだけど、ポールはジョージにはなかなか合格点を出さなかった。ポールはものすごく拘りが強かったんだ。それで、幾つかの曲では結局ポール自身がソロを弾くことになった。」

 「私は、一体いつまでこの修羅場(hell)が続くのかと思ったよ。・・・ポールは『違う、違う、違う!』と言って、アメリカのレコードを聴かせて、まるっきりその通りに弾けと言うんだ。ジョージがその通りに弾くと、ポールは今度は『最初の16小節は悪くない。でも中間部は・・・。』そうして、結局ポールは自分でソロを弾いてしまう。いつも左利き用のギターを持っていたからね。」

 「そのうちに、私はジョージがポールのこの過剰な熱意(bloody guts)を嫌ってる(hating)ことに気が付いた、でも彼は表には出さなかったけどね。」

 ここで、このアルバムのレコーディングの最初の頃に’Norwegian Wood’にシタールを入れた時のことを想い出してください。ジョージに「この曲のここでシタールが弾けるか?」と聞いたジョンは、ジョージの「分からないけどやってみる」という意欲を信じて、弾けるようになるまで待っていました。

 どちらかと言えば、せっかちなのはジョンの筈ですが、バンドの中では「できるまで待つ」姿もよく見られました。(ハンブルグで、スチュがベースを弾けるようになるのを待っていた時も・・・。)

 実はこのようなスタジオでの姿は、マーチンが言う、次のような二人の共通点や違いが関係していたのかもしれません。

マーチンが見た”Lennon=Mccartney”の関係性<共通点と緊張感>

 プロデューサーのマーチンは、基本的にはこの二人の若いソングライターチームに最大限の敬意を払い、彼らからも尊敬され一目置かれていたことは、この頃出されたマーチンのアルバムに寄せたジョンの次のようなライナーノーツの言葉にもよく表れていると思います。

 「僕たちは皆、自分達の成功の大部分はジョージ(マーチン)のお陰だと、僕たちの情熱を辛抱強くまた正しい方向に導いてくれたお陰だと思っています。」

 そのマーチンは、スタジオの中での二人の関係性やその変化について次の様に語っています。

「まるで綱引きでした。二人がお互いに尊敬し合っていた理由を解く鍵は、競争心と言うよりはむしろライバル意識だったと思います。スタジオでは、そのライバル意識は、純粋に友情から来ていました。二人はいろんな意味で驚くほどよく似ていたので、かなり近い関係にありました。」

 「実は、二人はとてもよく似ていました。それぞれもろい弱点をもっていて、あることでは、二人ともえらく傷ついていました。ジョンにはかなり弱い面がありましたね。」
(このようなジョンのもろさ・繊細さについて、二人の楽譜の出版元だったディック ジェームスは、

「ジョンは非常に創造的な考え方をする人間で、普通の人より一歩先を行っていました。ジョンの方が繊細でしたね。彼にはシニカルになる必要があったんです。というのは、彼は非常にもろくてとても傷つきやすく、だからこそシニカルな殻で身を守っていたんですね。」と言っています。)

 「スタジオで見た限りでは、二人ともお互いをすごく慕っていました。しかし、緊張感も確かにありましたね。それは主に、二人が本当の意味で協力し合ってはいなかったからです。二人は、ちょっとしたところで行き詰まるとお互いに助け合うというような形のソングライターでした。」

 後に公認のビートルズ伝記を書くレイ コールマンも、このような二人の関係性の変化について、次のように言っています。

 「二人は常に独立したソングライターだったので、成功するにつれて、次第にいい意味で別々に行動するようになっていった。彼らの人気がうなぎ登りになり始めると、ジョンとポールの気質には著しい違いが出るようになった。」

 「概してジョンは、ある歌が一応満足できる形で録音されると、すぐに次の歌に行きたがった。ポールはもっと徹底した態度で臨んだ。歌に対するあらゆる可能性や変更が出尽くすまでセッションを長引かせるポールのしつこさが、次第にジョン(や他のメンバー)をいらつかせた。」

 「レノンの感受性と明晰な頭脳には、他の3人も及ばなかった。メロディラインの強みをもち、あらゆることを試してみてあらゆる新発見をしたがるポールの熱心さとの綱引きが常にあったのは、スタジオの中でだけだった。次の歌に移りたがるジョンのせわしなさと、進行中の作品を寸分の狂いもなく磨き上げたいというポールの要求とがぶつかり合うのが、その主な原因だった。」

 このように、次第に変わり始めていた<ビートルズの4人の関係性の変化>は、音楽的には名作として名高い次作”Revolber”でのジョージの作品数の増加やポール抜きのレコーディング等、更にはジョンの単独出演映画撮影等の姿で、少しづつその形を表していくのでした。

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【NBC イベント情報】

★お待たせしました!! 半年ぶりの<ビートルズ倶楽部バンド>のライブです!
 西東京ビートルズ倶楽部史上最多の、多彩なメンバーでお送りする名曲の数々♬
 新しいお店のステージでの賑やかパフォーマンス。ごゆっくりお楽しみください!!
♪お申込はNBCまで。まだ余裕はありますが、念のため早めにお申し込み下さい。
♬お名前・ご連絡先・ご住所(できれば)をお願いします。
☆新しいメンバーを迎えて、多彩なアレンジで、賑やかにビートルズナンバーを演ります。
♫広々した店内でゆったりと、皆さん一緒にビートルズを聴いて唄いましょう!

【皆さんのお便りから】

 2月4日の杉並区でのイベントに愛知県から駆けつけてくれた<第1世代>のビートルズファンの福岡範高さんが、お若い頃のリアルタイムでのビートルズとのドキドキする出会いの思いを寄稿してくれました。

 当時の多くの皆さんも同じようなお気もちだったのではないでしょうか?
 (アルバムのタイトル・選曲等からも、当時の日本版がオリジナルのイギリス版ではなく、アメリカ版の焼き直しだったことがよく分かり、これも貴重な歴史の証言ですよね。)

 NBCでは、このような<ご自分とビートルズとの出会い>の寄稿をお待ちしています。
それぞれの皆さんの<ビートルズとの出会い>、ぜひお寄せください。お待ちしています!

“Realtime Beatles…” VOL.1     2024.03.20

 東京オリンピックが開催された1964年に中学校に入学して間もなく、学校の帰り道。できたての友人から「ビートルズって知っている?」と聞かれ、洋楽と云えば“シャボン玉ホリデー”のザ・ピーナッツや中尾ミエの和製洋楽しか知らない僕は当然「知らない…。」と答えるしかありませんでした。

 「すごい人気らしいよ。」 話はこれで終わりでしたが、これがビートルズを知った最初でした。

 半年ほど過ぎた頃、特に仲良くなったH君の自宅に遊びに行くと、ナショナル製“潮”と言うステレオが置いてありH君の兄さんが聞いていたレコードを内緒(レコードに傷がつくと怒られると言う理由から)で“ロシアより愛をこめて”や“マンボNo,5”など数曲を聞かてくれました。その時の体験は全く新しい何が開けていくようで楽しく、それからは週に何度か学校帰りにH君の家に寄っては数曲聞き雑談をし、帰宅するようになりました。

 そして、ある時「ビートルズのレコードが入ったよ。聞いてみるかい?」と聞かれ、名前だけしか知らないがビートルズは気になっていたので
「すごい人気だそうだね、聞きたいな…。」 「少しうるさいよ…いいかい。」 「ん…、お願い。」なんて会話した覚えがあります。

 その時、聴いたレコードは“The Beatles 2nd Album”でした。’Can’t Buy Me Love’の全速力で走るようなビートで始まり素敵なバラード風の’Do you want to know a secret’。B面もA面同様“Roll over Beethoven“~“Till there was you”で終り、ちっともうるさいとは感じられなく、心地よい衝撃に心を揺さぶる何かがありました。

 やがて、毎日自分一人でビートルズを聴きたいと思うようなっていた時、別の友達がラジオのヒットチャート番組があることを教えてくれました。さっそく新聞のラジオ番組表から探し出し聞き始め、すぐにビートルズ以外の洋楽も聞き始めました。

 ヒットチャートの順位をノートに記録し出すと洋楽通になっていくような気がし、洋楽好きの友達との間で誰々の曲はいいねとか、先週1位だったあの曲が今週は3位だったこの曲に入れ替わったといった風の会話が多くなっていきました。
 しかし、ビートルズの曲については積極的に自分から話をしようとはしませんでした。何故なら、その時には、もうビートルズは僕だけのビートルズであったからです。自分だけが知っている(そんなことはないのですが)ビートルズの事をひとつ知るたびに、ビートルズと僕との距離がほんの数ミリでも近くなっていくように思えたからです。

 それは、四人の名前を全部知っているとか自分たちで作詞・作曲をしているとか、少しマニアックになるとリバプール訛り(toをトゥーではなくツー)で歌っているとかでした。

 間もなく、映画“ビートルズがやって来るヤァヤァヤァ”が上映されるようになりましたが金銭的理由で封切りは見えなく、後になって場末の映画館で見る事が出来ました。

 封切り当初の場内は歓声に包まれたそうですが、その時はもう小さなの歌声があるだけでした。当然僕も小さいが思いのたけを口ずさんでいました。そして、彼らのコンサートで少女達が目を潤ませ、ポール・ジョン・リンゴ・ジョージと叫ぶシーンでは僕も熱いものが溢れてきました。動いている四人がそこにいて、これ以上ビートルズとの距離が縮まることはないのだからですから。勿論、ビートルズは「もっと近くにおいでよ…、僕たちと一緒に素敵な歌を唄おうよ。」と云ってくれていました。

 次に、“Beatles’65”が発売されると・・・ジョンの突然の“This happened once before”と唄う声に鳥肌が立ったのを覚えています。やはり、ビートルズはこのアルバムでも僕に「もっと・もっと近くへ、おいでよ…。」と誘ってくれました。

 しかし、このアルバムは発売後しばらくしてから聞いたことを覚えています。何故なら、当時は僕も含め友達も、日本人全体が貧乏で発売直後のレコードを直ぐに買うことは出来ませんでした。

 この時点の前も後も状況は変わりません。1枚のLPレコードを買うことがいかに贅沢か。何日もレコード店に通い店内全てのレコードジャケットのデザインとライナーノーツを点検し、厳選した1枚を何ヶ月も掛けて貯めた小遣を払い、やっと手に入れていくのです。そして、初めて針を下して飛び込んできたビートルズの新しい歌とリズムは僕を決して裏切ることはなく、最高に幸せでした。  (続く)                                  

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 皆さんもビートルズの曲を唄ったり演奏したりしながら<ビートルズサウンドの秘密>を一緒に考えませんか?

 西東京ビートルズ倶楽部(NBC)では、今までもビートルズ好きの皆さんがリアルで集まって ビートルズのCDを聴いて語り合ったりビートルズの曲をライブで聴いたりするイベント等を行ってきました。今「ビートルズのこの曲なら弾ける」とか「演奏してみたい・唄いたい」という皆さんと一緒に<ビートルズサウンドの秘密>を考える<ビートルズ倶楽部バンド>のメンバーを新たに募集します。熱い思いで一緒にプレイして、語り合いましょう!

 特に今回、ジョンやジョージ(ポールも!)のギターのパートが弾ける方を、お待ちしています。

 また、今回もご紹介しましたが、このサイトの内容やビートルズについてのご意見・感想等、をお待ちしています。特に、<ビートルズの楽曲の中でどの曲が好きか、好きな理由やその曲にまつわる皆さん自身のエピソード等々>は大歓迎です。

 皆さんの熱い・厚い想いを、メールでご連絡下さい。お待ちしています! 
 ※イベントの申込やNBCへの意見・感想等のメールも、下記までお願いします!

西東京ビートルズ倶楽部(NBC)

nbc4beatles@outlook.jp

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