本研究の概要図(炎症モデルマウスの脳を解析し、大脳の代謝異常を確認)
近畿大学大学院生物理工学研究科(和歌山県紀の川市)博士前期課程2年 杉浦伸之輔、教授 財津桂、名古屋市衛生研究所(愛知県名古屋市)研究員 谷口賢、東京女子医科大学脳神経外科(東京都新宿区)臨床講師 江口盛一郎、金城学院大学生活環境学部(愛知県名古屋市)講師 浅野友美、愛知県警察科学捜査研究所(愛知県名古屋市)主任研究員 久恒一晃、名古屋大学大学院医学系研究科(愛知県名古屋市)講師 林由美らの研究グループは、全身性の炎症モデルマウスの脳(大脳・海馬・小脳・視床下部)の解析を行った結果、大脳において代謝異常が起こり、神経障害が生じている可能性が示唆されました。本研究成果は全身性炎症から神経障害が発現する機序の解明に役立つものと期待されます。
本研究成果は、令和7年(2025年)12月1日(月)AM9:00(日本時間)に、アメリカ化学会が発行する国際的な学術誌”Journal of Proteome Research(ジャーナル オブ プロテオーム リサーチ)”に掲載されました。
【本件のポイント】
●細菌の外膜の構成成分である「リポポリサッカライド(LPS)※1」を投与して作成した炎症モデルマウスの、大脳、海馬、小脳、視床下部の代謝物を研究グループの独自手法で解析
●炎症モデルマウスでは大脳特異的に代謝異常が生じ、大脳の神経障害が起きている可能性を示唆
●全身性炎症から神経障害が発現する機序の解明に貢献
【本件の背景】
全身の器官や組織で生じる炎症(全身性の炎症)は、中枢神経系の炎症反応を誘発し、アルツハイマー病やパーキンソン病などの神経変性疾患の原因になることが近年指摘されています。そのため、全身性の炎症モデルマウスを用いた研究が盛んに実施されており、一般的に細菌の外膜の構成成分である「リポポリサッカライド(LPS)」を投与したモデルマウスが研究に使用されています。LPSを投与した全身性の炎症モデルマウスでは脳内でも炎症反応が起こることが報告されていますが、その脳内病態については未だに不明な点が多く、全身性の炎症が脳内にどのような影響を与えているかについての詳細は明らかになっていません。
【本件の内容】
研究グループは、LPSを高用量で投与した急性炎症モデルマウスを作成し、血清および脳の各領域(大脳、海馬、小脳、視床下部)を解剖によって採取し、研究グループが開発した独自の解析手法を用いて、網羅的に代謝物の解析を行いました。その結果、大脳では代謝変動が観察された一方で、海馬、小脳、視床下部ではそのような変化が見られなかったことから、炎症モデルマウスでは、大脳だけに代謝異常が生じることが明らかとなりました。特に、大脳では神経障害のマーカー(指標)であるN-アセチルアスパラギン酸が有意に低下しており、神経障害が生じていることが示唆されました。さらに、アスパラギン酸代謝経路と尿素回路に異常が生じ、大脳で尿素が異常蓄積していることも示されました。本研究成果は全身性炎症から神経障害が発現する機序の解明に役立つものと期待されます。
【論文掲載】
掲載誌:Journal of Proteome Research(インパクトファクター:3.6@2024)
論文名:
Brain metabolomics and bioinformatics analysis of a lipopolysaccharide(LPS)-induced acute inflammation model mouse reveal region-specific metabolic alterations and identify potential biomarkers of neuroinflammation
(リポポリサッカライド(LPS)誘導急性炎症モデルマウスの脳メタボローム解析及びバイオインフォマティクス解析により、脳領域特異的な代謝変化と神経炎症の潜在的バイオマーカーを同定した)
著者 :杉浦伸之輔1、谷口賢2*、筧智貴1、大谷悠斗1、林由美3、久恒一晃4、
浅野友美5、江口盛一郎6、井口亮7*、財津桂1* *共同責任著者
所属 :1近畿大学生物理工学部、2名古屋市衛生研究所、3名古屋大学、
4愛知県警科学捜査研究所、5金城学院大学、6東京女子医科大学、
7国立研究開発法人産業技術総合研究所
【本件の詳細】
研究グループでは、6週齢のC57BL/6Jマウス(各群n=5)を絶食させ、LPSを高用量(10mg/kg)で投与し、投与6時間後に血清および脳の各領域(大脳、海馬、小脳、視床下部)を麻酔下で解剖によって採取しました。一方、コントロールマウスは炎症の惹起(じゃっき)を防ぐために溶媒の投与を行わずに、LPS投与マウスと絶食の時間を揃えて解剖を実施し、試料を採取しました。炎症マーカー(指標)の一つであるIL-1β(インターロイキン-1β)※2 の血清濃度を測定したところ、コントロール群のIL-1βは定量下限未満であったのに対し、LPSを投与したマウスでは有意に数値が上昇(有意水準:p
次に、研究グループが独自開発した解析手法であるPiTMaPプラットフォーム※3、引用を各脳試料に適用し、メタボローム解析※4 を実施した結果、海馬、小脳、視床下部では有意差を示す代謝物が確認されなかったのに対し、大脳では8種類の代謝物について有意差(有意水準:FDR
図1 大脳で有意差を示した8種類の代謝物の箱ひげ図 赤色はコントロール群、青色は炎症モデルマウス群を示す。代謝物は上段左から、Malic acid(リンゴ酸)、Aspartic acid(アスパラギン酸)、Glyceraldehyde-3-phosphate(グリセルアルデヒド-3-リン酸)、Tyrosine(チロシン)、下段左から、N-acetylaspartate(N-アセチルアスパラギン酸)、Urea(尿素)、Asparagine(アスパラギン)、Allose/Glucose/Galactose/Mannose(アロース/グルコース/ガラクトース/マンノース)を示す。
また、多変量解析の一つである潜在構造投影判別分析(PLS-DA)※5 を実施したところ、大脳ではコントロール群と炎症モデルマウス群のプロットが良好に分離したことから、大脳の代謝プロファイル※6 が異なっていることが示されました(図2)。
図2 潜在構造投影判別分析(PLS-DA)によるスコアプロット Control:コントロール群、Model:炎症モデルマウス群を示す。
さらに、大脳において有意差を示した代謝物を用いて機械学習の一つであるランダムフォレスト※7 による判別モデルを構築し、交差検証を用いてモデルの妥当性を確認した結果、これらの8種類の代謝物は「2つのグループを分けることに寄与している成分」であることを明確に示しました。
有意差を示した代謝物のうち、N-アセチルアスパラギン酸は臨床的に神経障害マーカー(指標)として知られている化合物であり、N-アセチルアスパラギン酸の低下は神経障害を示します。したがって、炎症モデルマウスではN-アセチルアスパラギン酸が有意に低下したことから、大脳において神経障害が生じていることが示唆されました。また、代謝パスウェイ解析の結果、炎症モデルマウスではアスパラギン酸代謝経路ならびに尿素回路に異常が生じ、大脳内に尿素が蓄積することも示されました。以上の結果、LPS投与による全身性の炎症モデルマウスでは、大脳特異的に代謝異常が生じていることが明らかとなりました。
【用語解説】
※1 リポポリサッカライド(LPS):グラム陰性菌の外膜に存在し、強い免疫刺激活性を持つ。大量に投与すると、強力な炎症誘発物質となり、炎症モデルマウスの作成に汎用される。
※2 IL-1β(インターロイキン-1β):主に活性化マクロファージから産生される炎症性サイトカインであり、発熱、神経炎症などに関与する。
※3 PiTMaPプラットフォーム:探針エレクトロスプレーイオン化タンデム質量分析とバイオインフォマティクスを統合した解析法であり、令和2年(2020年)にアメリカ化学会の国際的な論文誌Analytical Chemistryに手法を発表した。
※4 メタボローム解析:糖類やアミノ酸、有機酸といった低分子(代謝物)の網羅的解析技術のこと。
※5 潜在構造投影判別分析(PLS-DA):多変量解析法の一つであり、高次元の説明変数で表されたデータを、群情報を付与して低次元化を行う。
※6 代謝プロファイル:個々の代謝物の変化から代謝全体がどのように変化しているかを表現すること。代謝プロファイルの差異を比べることで、どのような代謝物が変動しているかを可視化できる。
※7 ランダムフォレスト:機械学習手法の一つで、多数の決定木を組み合わせて学習を行うアンサンブル法であり、複雑な多変量データから特徴的なパターンを抽出して高精度な分類を可能にする。
【引用文献】
Kei Zaitsu*, et al., PiTMaP:A new analytical platform for high-throughput direct metabolome analysis by probe electrospray ionization/tandem mass spectrometry using an R software-based data pipeline. Analytical Chemistry. 2020. 92(12):8514-8522.
【関連リンク】
生物理工学部 生命情報工学科 教授 財津桂(ザイツケイ)
https://www.kindai.ac.jp/meikan/2758-zaitsu-kei.html
生物理工学部
https://www.kindai.ac.jp/bost/





















