ビートルズって、何?【8】《もうだれにも止められらない!ビートルズの快進撃》

西東京ビートルズ倶楽部(NBC)代表 田中敏久

 好評頂いている【ビートルズって、何?】では、ビートルズの面々が自分たちの音楽活動や社会の動きをどう思っていたのか、ビートルズ自身や彼らを取り巻く人々とのdynamics(関係性/集団力学)に注目しながらたどっています。

 前回の【7】では、ビートルズの初LP”Please Please Me”のサウンドやレコーデイングの様子。そして、その頃の反響等について見てきました。

 今回はいよいよ、怒濤の1963年の春に始まった、止まることを知らないビートルズの快進撃です。この年、デビューしたてのビートルズは猛然と新しい道を突き進んでいきます。

 たくさんの皆さんの感想やご意見を、どうぞよろしくお願いします。

前例のないビートルズの怒濤の進撃は、雪解けとともに始まった。<1963年4月~>

 寒かった冬の深い雪が溶け始め、ジョンが風邪のダメージからようやく抜け出した1963年4月。ビートルズは、ブライアンが組んだ超過密なスケジュールに従って全国ツアーをこなし、毎晩のようにイギリス中のホールに出演していました。また、スケジュールに少しでも隙間があれば、そこにはテレビやラジオの出演が組まれていました。

 前回、”Please Please Me”録音時のスタジオでのビートルズの奮闘振りにマーチンがあきれていたことをお話しましたが、ビートルズのように貪欲なまでに<仕事=音楽活動>に打ち込むグループは、それまでにあまり前例がありませんでした。

 この頃のことをポールは「あの日の午後のことを話していると、今でもあそこで曲を創っているみたいだよ。僕らは本当に好きでやっていた。あれは仕事なんかじゃなかったよ」と振り返ります。
 (勿論、そこにはビートルズの売り込みに真剣に取り組んでいたマネージャーのブライアンの存在が非常に大きかった筈ですが、それも全力で取り組んでいたビートルズの音楽活動に対する姿勢があればこそのことですよね。) 

 3枚目のシングル”From Me To You”をジョンとポールが2月のヘレン シャピロとのツアーバスの中で作曲したことは前回お話ししましたが、この頃にはマーチンとブライアンの間で、レコーデイングのスケジュールが次のように計画されていたのでした。

 マーチンは言います。「ブライアンと私は、ビートルズに関する計画を立てて、3ヶ月ごとにシングルレコードを、半年に1枚のペースでアルバム(LPレコード)をリリースすることにしたんだ。」

 「それで、私はしょっちゅうビートルズに『さあ、ヒットする曲を書いてくれ』と言っていた。彼らはちゃんとそれに応えてくれたよ。 ”From Me To You” ”She Loves You” ”I Want To Hold Your Hand” 最初の頃から、出す曲出す曲が全てヒットした。」

レノン/マッカートニーの曲を出版するための新しい音楽出版社 (ノーザン ソングス)

 この年の初めのことになりますが、初LPがレコーデイングされる前に、新しい音楽出版社の提案がディック ジェイムスによってされていました。

 二人の作曲家の才能・可能性に対するディックの評価は、非常に驚くべきものでした。

 ビートルズの有能な作曲家二人を他の出版社に渡したくなかったジェイムスは、前例のない契約をジョンとポールと(ブライアンと)結ぼうとしていたのです。

 この独占契約よって、ジョンとポールは今まで通りの自分達の楽譜の売り上げに対する印税等を受け取るだけでなく、(それまでまでは受け取ることができていなかった)出版する権利(版権)の半分と新しい会社の利益の半分を手にすることができるようになるのです。

 これも画期的なことでした。これによって、今後作曲する曲については、楽譜の売り上げに対する印税と放送・録音等に関する契約の他に、会社の利益の50%を受け取る権利が与えられるというものでした。これは、当時ヒットチャートの17位になったばかりの二人の作曲家に対する契約としては全く考えられない、前例のないものだったのです。

3度目の全国ツアーもビートルズの独断場に <1963年5月18日~6月28日>

 この時のツアーには、ビートルズがその形成期に非常に大きな影響を受け深く敬愛していたアメリカ人歌手で作曲家のロイ オービソンを迎えていたのですが、最終的にヘッドライナーを務めたのはビートルズでした。このツアーも彼らの独断場となり、その人気と実力を示しました。オービソンとのツアーは9日まででしたが、ビートルズの実力を肌で感じたオービソンはツアーの後、ビートルズの曲を2曲録音したいと言ってきます。きっとジョンもポールも「もっといい曲を創ろう!」と心に決めたことでしょうね。(因みに、オービソンの翌年1964年の大ヒット”Oh,Pretty Woman”は、このツアー中のバスの中で作曲されたと言われています。)

 イギリスのマスコミもこの頃から突然地方紙がポップミュージックに関心を寄せるようになり、ビートルズや他のバンドの人気が全国的に浸透するようになると、新聞も全国規模で取り上げるようになっていきます。

パーロフォンレーベルとマージービーツの台頭 <1963年6月~7月>

 この頃、1963年の夏が始まる頃までには、弱小レーベルだったパーロフォンはイギリスのポップミュージックの主勢力となっていました。

 例えば6月中旬のヒットチャートでは、ビートルズの他にもマーチンがプロデュースしたグループやブライアンがマネージメントする地元のグループが上位3位を独占し、この年のチャートの常連にブライアンがマネージメントするグループが居続ける現象は、ほぼ1年中続いたのでした。

 マーチンもこの6月~7月にかけて、ビートルズを始めブライアンがマネージメントするグループや歌手とセッション・レコーデイングにかかりっきりになっていました。

 この年の7月のマーチンの予定は、1日はビートルズ”She Loves You”の録音。2日はジェリー&ザ ペースメーカーズで3日はフォーモストのテスト録音。4日はビートルズのリミックス。16日はビリーJ.クレーマー&ザ ダコダスで17日はジェリーの録音。18日はビートルズの後述の2ndアルバムの録音(次号で詳述)とジェリーのセッション。22日はクレーマーで24日はフォーモストのセッション。25日はシラ ブラック※のテスト。29日はクレーマーのリミックス。30日はビートルズの2ndアルバムの録音の続き・・・。※シラ ブラックはマージーサイド出身で唯一成功した女性歌手で、キャバーン時代からのビートルズの友人の一人。マネージャーはブライアン。

 ビートルズが成功するとリパブールが突然脚光を浴び、マネージャーやレコード会社の幹部達が大挙してリパブールやマンチェスター周辺のマージーサイドと呼ばれる地域に押しかけるようになりました。そして、マージービーツと呼ばれたマージーサイドのグループが、長年ロンドンのバンドに牛耳られていたヒットチャートで次々とヒットを飛ばすようになっていきました。

 ビートルズはイギリスの草の根レベルの音楽シーンにも大きな変化をもたらしていたのでした。

「何てひどい歌詞だ」と思った。でも歌い始めたら最高だった!<1963年7月1日>

 4枚目のシングルレコード ”She Loves You”は、全国ツアーの合間の6月23日にホテルの一室にこもって、数時間かけてジョンとポールが一緒に作った労作で、7月1日にアビーロードスタジオで録音が始まり、8月23日に発売されました。

 ジョンが後に、レノン&マッカートニーの共作として印象に残っている曲としてあげた3曲の内の1曲でもあります。(残りは”From Me To You”と ”I Want To Hold Your Hand”)

 このレコーデイングの時、エンジニアのノーマン スミスが言うには、「マイクをセットしている時に譜面台に歌詞が置いてあるのに気付いたんだ。それでちょっと読んでみたんだ。」
(勿論そこには”She loves you yeah yeah yeah. She loves you yeah yeah yeah. She loves you yeah yeah yeah.・・・”と書いてあった筈ですよね。)

 「何てひどい歌詞だ!これじゃあヒットは期待はできないなと思った。でも彼らが唄い始めたら、これが最高にいいんだ!僕は、ミキサーから立ち上がって走り回っちゃった程さ」とノーマン。

 ところで、この曲をコーラスから始めることはマーチンのアドバイスだったようですが、元々ジョージのアイデアとも言われるエンディングのコードについて、ポールはこんな風に言っています。

 「時にはマーチンに逆らうこともあった。僕らは”She Loves You”のエンディングに6th(シックス=長調の六度の和音。ジャズでは主和音の代理としてよく使われる和音)のコードを使ったんだ。かなりジャズっぽいコードさ。彼は『おい、待ってくれ!ジャズじゃないんだぞ』と言ったけど、ぼくは『いや、これはすごいフックだ。このまま使うよ』と答えた。」

 マーチンはこのエンディングについて「グレン ミラーが20年も前にやっていたことだけど、彼らの好きなようにさせた」と言いますが、<ジャズで使われていた和音を、R&Rバンドが自分達の歌のハーモニーで曲の締めくくりに使う>という発想は20年前にはなかったことですよね。

 またしても、前例のないビートルズの発想。この頃には、優秀な生徒だったビートルズとその師匠役だったマーチンの関係も、少しづつ変わり始めていたのでしょうね。
(この ”She Loves You” は結局、No1を長く続けて合計130万枚のセールスでビートルズ初のミリオンセラーとなり、10年以上経って1978年にWingsの曲に抜かれるまで、イギリスで1年間に一番多く売れたシングルレコードとなりました。)

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【NBC イベント情報】

<Ⅰ> 《ビートルズ倶楽部の仲間達/スーパーコラボライブ》~<保谷駅南口ペデライブ>参加
◎2023年10月29日(日)午後1時30分~2時(イベント開始:午後1時~)
 ★西東京市のイマジンプロジェクトや杉並区のバンドSIPPSメンバーとの異色コラボ!

<Ⅱ> 《トーキング ビートルズ》セッション~CDをしっかり聴いて、deepに語り合おう!
#1*2023年11月25日(土)午後5時~7時(開場:午後4時30分)申込は下記NBCまで
   <音楽cafe/森のこみち>西東京市緑町3丁目4−7 ☎:042-468-9525
               (いこいの森公園入り口前)
 ★TVでも紹介されたあの伝説?のコアフアンとミニミニライブも予定

#2*2024年2月4日(日)午後1時~3時 ※詳細は【9】号にて
申込は11月15日(水)以降に直接下記会場へ
   <杉並区立井草区民センター>杉並区下井草5丁目7−22 ☎:03-3301-7720 (西武新宿線井荻駅南徒歩7分)
 ★ビートルズのCDをしっかり聴いて熱く語り合いましょう!
 ★【要:事前エントリー】語る予定の<私のビートルズの1曲> (次号に記入例を例示)

【皆さんのお便りから】

 先日、以前から熱い感想を頂いていた関西圏の往年のビートルズファンOさんから、バンド練習の楽しいお便りがきましたので、ご紹介します。

 Oさん曰く「メンバーは、三十代(ジャズあがり・ギター)、四十代(ハードロックあがりドラム講師もしてた)、五十代(パンクあがりで打ち込みも得意・ベース)、と私六十代でバラバラな経歴ですが楽しくやってます。練習がメインなのか昼食がメインなのか良くわからんメンバーですが体力の続く限りやろうと思ってます」という、羨ましい程多彩なメンバーのバンドのようです。

 久し振りのスタジオ練習でのメンバーの感想も、「『Oさんってホンマにビートルズが好きなんやねぇ~!!演奏しながら歌ってる姿見てるとホンマに楽しそうやもんなぁ~』って言ってましたわ(笑)」 和気藹々の練習風景が目に浮かびますね!「ビートルズって、ホントに楽しい!」

 皆さんも、ビートルズの曲を唄ったり演奏したりしながら<ビートルズサウンドの秘密>を一緒に考えませんか?

 西東京ビートルズ倶楽部(NBC)では、ビートルズ好きの皆さんがリアルで集まって、ビートルズのCDを聴いて語り合ったりビートルズの曲をライブで聴いたりするイベント等を行ってきました。

 現在「ビートルズのこの曲なら弾ける」とか「演奏してみたい・唄いたい」という皆さんと一緒に<ビートルズサウンドの秘密>を考える<ビートルズ倶楽部バンド>のメンバーを募集中です。

 熱い思いで一緒に楽しくプレイして、語り合いましょう!

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 特に<私の1曲>として、<ビートルズの楽曲213曲の中でどの曲が好きか、好きな理由やその曲にまつわる皆さん自身の思いやエピソード等々>は大歓迎です。
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