エッセーというのはどうしたって個人的な領域に触れるものだが、今回はとりわけ私事をさらすことになる。
つい先日、特段イベントもないのに「話がある」と母に呼ばれた。さすがに中高生の頃とは違い、「あの件か? はたまた、あれか?」と不安を覚えることはないのだが、それでも改まって「話が……」と切り出されると、そわそわして落ち着かない。一緒に弟も呼ばれており、二人で顔を見合わせていると、母から突然、遺言書めいたものを見せられた。
「元気なうちに書いておこうと思って……」
と、住宅の権利や、生命保険のことやらが記載されている。我が母ながら驚くのだが、エンディングノートをしっかり記載し、葬儀の手はずまで整えている。墓は数年前に買ってあり、こんな言い方は不謹慎というか不適切というか何というかなのだが、一言でいうと準備万端なのである。
「すごいね、これ……」
ちょっとあっけにとられて、ぼそっと漏らすと、母は重ねて、今度は自分の思いを語り始めた。いわく、自分の亡き後も兄弟仲良くやってほしい、とにかく子どもをしっかり育てなさい、この住宅ぐらいしか残せないけど必死に守ってきた家なので有効に活用してほしい――等々。
ご承知の通り、タウン通信の紙上では終活の記事・広告が多く、「元気なうちに話し合いを」といったことは私自身何度も記載しているのだが、いざ自分が経験すると、想像もしていなかった感情が噴き上がってきた。
端的にいえば感謝である。普段はまったく考えもしないのだが、「この先の時間を大事にしなきゃ」と気の引き締まる思いがした。
終活というと「やっておいたほうが困らないよ」という「べき論」になりがちだが、家族の絆を強化する一面があるのだと初めて知った。皆さんにもお勧めしたい。
なお、母は後期高齢者だが、すこぶる元気である。

