自分史の書き方[5] 私の作成体験から

自分史とは何か――。その意義、必要性などを語ってきたが、それは今回まで。ここまでの一旦のまとめとして、私自身が自分史を作成して感じたことをお伝えしたい。

ご承知の通り、私は文章を書くことを生業とし、本作りにも携わっている。正直言って、私にはすぐに自分史を作ろうという強い動機はない。

しかし、人にレクチャーするのなら一度は自分で作る体験をすべきではないか――というある種の義務感があり、当社が打ち出す『写真で綴る自分史(100枚史)』の制作に取り組んだ。

毎度のパターンだが、結論を先に書こう。セミナー用の見本を作るというぐらいの気軽さで始めた自分史だったが、結果として、これは私にとって非常に重要な一冊となった。一言で言えば、自分の人生を見直す最高の機会になった。

弟との仲を見直す

少しプライベートな話になるが、私は母子家庭で育ち、父親についての記憶はない。多くの時間、母が不在の家で弟と共に過ごして育った。

もっとも、だからといって、弟と支え合ったかというとそうではない。実態はまったく逆で、二人だけの境遇が災いしたのか、互いに牽制し合い、特に10代後半から30歳くらいまでは口もきかないような関係になった。

ところがだ。自分史をまとめようとして身辺を探すと、不思議なくらいに、弟と共に写っている写真が次々と出てくる。「そういえば、大学生の頃に家族で金沢に行ったな」「幼児の頃は、2人だけの写真ばかりだな」……。そんなことをつらつらと考えているうちに、ふいに、「こんなにさまざまなものを共有してきたヤツは他にいないんだ」という思いが噴き上がってきた。

それは、まったく予期しない感情だった。自分の中にそんな思考や感情があったのかと、自分自身が驚くほどだった。そして、にわかに残りの時間を考え、「弟との時間をもっと大切にしなければいけない」と襟を正す思いになった。

これは、言うまでもなく、私にとって大転換である。唯一の兄弟と向き合わずに数十年を過ごすことと、文字通り唯一無二の存在として彼を大切にするのとでは、人生そのものが別のものになるとさえいえる。私は40代だが、通常ならこの年では作らない自分史に取り組んだことで、「記録」に留まらない自分史の意義を知ることとなった。

実物があるすごさ

しかし、実はここまでのことは、自分史を作らなくてもできるといえばできる。半生を「真剣に」振り返るだけのことだからだ。

自分史が持つ力のすごさは、この先にある。

当然のことではあるが、完成した自分史は、家族に報告で配ることになる。気恥ずかしい瞬間ではあるが、作成の経過において写真を借りたりしているので、報告を怠るわけにはいかない。

私はもちろん、弟にもそれを手渡した。冊子の中には「弟との時間を大事にしたい」といった文言も書かれている。それを弟がどう読んだのかは、私は知らない。

ともあれ、それ以降、弟と私の関係は明らかに好転した。互いに認め合う関係が、今はある。

私は前に「手紙のように書こう」と記したが、実際に手に取れる共有物ができると、確かに心はつながっていく。

そのことを私は、妻、子ども、母に対しても体験した。さらに、仕事への向き合い方も変わった。自分自身を再構築したといっていい。

このような体験から、私は、全ての人が自分史を作るべきだと考えるようになった。20代、30代でも積極的に取り組むべきだと思う。

とはいえ、書き方が分からない、と戸惑う人は少なくないだろう。

次回からは、技術的なことを取り上げていきたい。

(文/本紙代表・谷隆一)


本紙では自分史作成の相談に随時応じています。当社は西東京市にありますが、遠方の方もお気軽にお問い合わせください(TEL:042-497-6561メール)。

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谷 隆一

「タウン通信」代表。多摩北部にて、2008年から「タウン通信」を発行。
著書に、『中高生からの選挙入門』(ぺりかん社)、『議会は踊る、されど進む~民主主義の崩壊と再生』(ころから)ほか。
当コラムは、地域情報紙「タウン通信」で掲載した原稿を転載したもの。

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