認知症を支えるには地域の力が必要だ――町ぐるみのサポートを訴えるランニングイベント「RUN伴(らんとも)」が、9月20日(土)、西東京市と東久留米市で開かれた。
認知症支援のシンボルカラーであるオレンジ色のTシャツを着た参加者が町中を走るこのイベント。当日の様子や、主催者の思いをレポートする。

医療・福祉関係者、企業、市民ら参加
「無理しないで、ゆっくり歩いていきましょうね」
「中継地点でしっかり水分補給をお願いします!」
時折小雨の交じるあいにくの空模様ながらも、当日は200人を超えるメンバーが参加し、中継地点ごとにタスキをつないでいった。その間、各所で優しさにあふれた声掛けが交わされていた。
RUN伴は、2011年に始まった、認知症をテーマにしたものでは国内最大級のイベント。東久留米市では18年、西東京市では19年に初開催され、一旦コロナ禍で中断するも、昨年に復活している。
今年は西東京市での2コースと東久留米市コースで参加者が走り(歩き)、共通のゴールとなるイオンモール東久留米で合流した。ゴール地点では両市の市長もセレモニーに参加した。
「認知症への理解と支援を象徴するシンボルカラーであるオレンジ色のTシャツを着て、大勢が走ることで、認知症への関心を集めるのが一つの目的です。認知症の方を支えていくには、医療・介護・福祉関係者だけではなく、地域の方々のサポートも重要なので、地域全体で認知症への理解を深められたらと願っています。
また、医療・介護・福祉関係者が一堂に集うことで、当事者・家族を支えるための強い絆を生むことも目的です。ただ走るだけに見えて、実は認知症支援のための地域の基盤を作れるイベントと考えています」
と話すのは「Happy終活サポートセンター はーとふるケア」代表の田中友子さん。
実際、今回の参加者からは、「福祉施設の利用者さんや当事者が参加されていて、声を掛け合ったり、短い区間でもタスキリレーをしているのを見て温かさを感じた」「ケアマネさん、関連企業さん、老人ホームさんとの連携を深く感じた。人と人とのつながりって大事だしいいなと感じた」などの声が聞かれた。
タスキをつなぐ拠点として、病院や老人ホーム、福祉施設、地域包括支援センター、地域活動をしているサロン、タクシー会社などの企業等の協力を得ており、相互に活動を知り合う機会にもなった。



「認知症月間」の9月に実施
9月は認知症月間で、特に21日は「世界アルツハイマーデー」として国際的にも認知症支援啓発の日となっている。
今回のRUN伴はそうした日程に合わせたもので、認知症について「何となく知っていた」から「もっと知っておこう・知っておきたい」と思えるような、地域の人たちにアピールする絶好の機会となった。
当日は、西東京市の池澤隆史市長、東久留米市の富田竜馬市長も参加した。ゴール地点で合流した両市長は互いの健闘を称え合い、握手。セレモニーではそれぞれ、市の取り組みを紹介するなどした。
両市とも、認知症ガイドブックを作製・配布したり、見守りサービスの拡充、認知症サポーター養成講座、認知症カフェなどを行っている。


実行委員から一言
【ツインキールズ 代表取締役・赤星良平さん/ゆいまぁるはちまん管理者・奥村まほろさん】
地域のつながりは、やっぱり「顔の見える関係づくり」から始まるんだと感じています。
担当した東久留米コースは5時間の長丁場。山アリ谷アリの土地でハードでしたが、中継地点で利用者さんや地域の方々が迎えてくれて、そのたびに元気が出ました。
地域で共に歩むためには、こうやって互いのことを思いやっていくことなんだなと実感しました。
■主催事務局の紹介「はーとふるケア」
主催した「Happy終活サポートセンター はーとふるケア」は、高齢者支援をワンストップで行っている団体。
主として、65歳以上の頼れる身寄りがいない『おひとりさま』や高齢夫婦のサポートに力を入れており、見守りや後見、高齢者施設探し、入居前サポート、葬儀やお墓、空き家の相談などを行っている。各分野のプロが参加するうえ、地域の医療・介護・福祉関係者らと連携して、トータルに対応するのが特徴。
相談は同会(☎080・4812・1156)へ。
「自分の家族の体験から思う 地域の支えの大切さ」 団体代表・田中友子

RUN伴の実行委員会を運営している「Happy終活サポートセンター はーとふるケア」代表の田中友子です。
普段は、西東京市で100年超の葬儀会社「田中葬祭」で、終活コンサルタントとして働いています。「はーとふるケア」では、主にご葬儀やお墓の相談を担当しています。
なぜ、葬儀会社のあなたが認知症を? とよく聞かれるのですが、実は、家族に認知症患者がいたという経験が大きな動機になっています。
30年ほど前のことですが、祖父が認知症になりました。しかし両親は共働きで、私たちもまだ中高生。家族で介護することができませんでした。
今にして振り返れば、そもそも「介護」という言葉すら一般的ではない時代で、家族が介護をしていくという認識も十分にはなかったと思います。それに加えて、介護をしてくれる「機関」もその頃は身近ではなく、頼れる先がほとんどなかったことに、悲しみと悔しさを覚えています。
今の時代は、介護も福祉も見守りも充実していて、認知症になっても地域で安心して暮らし続けられる環境が整ってきていますが、一方で、まだまだ認知症になってしまった方やその家族の苦労が共有されているとは言えません。医療・介護・福祉関係の方以外の一般の方にも認知症を取り巻く現状を知っていただき、一緒に認知症を支え合える暮らしになったらいいなと思っています。(談)