自分史の書き方[1] 自分史でいちばん大切なこと

「タウン通信」では、月に1、2回のペースで「自分史セミナー」を開いてきた。毎回、多くの方にご参加いただき、「自分史」への関心の高さを感じている。

そこで「タウン通信」では、より多くの方にノウハウをお伝えするべく、当ウェブサイト上にて、「セミナー」を展開することにした。

セミナーは全11回に上る。ぜひ、「自分だけの一冊」を作るための参考にしてほしい。

「タウン通信」主催の「自分史セミナー」の一コマ。正面、水色のシャツの人物が代表の谷(当原稿執筆者)

セミナーでよく出るセリフ

さっそく、本題に入ろう。

セミナーを開催していると、ほとんど毎回ぶつけられる質問がある。

「お金を掛けてまで作る意味があるんですかね?」

これだ。

もしかしたら彼らは、この質問をぶつけたくてセミナーに参加してきているのかもしれない。自分史に興味はあるけれども、作ったところでどうなるのだろうか……。そんなふうに一人で逡巡している人たちには、セミナーは疑問をぶつける格好の場だろう。

しかしながら、大変僭越な物言いだが、これは質問の相手を間違えている。なぜなら私たちの答えはあまりにも明確だからだ。

「意味は大いにあります」

そう答えるに決まっている。そう思っていないのならセミナーなど開いたりはしない。

では、どのような意味があるのだろうか。恐らくは、そここそが彼らの知りたいポイントだろう。その答えは、連載を読み終えていただいたときに掴んでいただけているはずだ。

まずは初回となる今回は、上記の問いの一つの重大要素である「お金」を切り口に、話を進めていこう。

「お金」を考えることで見えてくるもの

 「自分の人生を表現するのにお金を掛けるのは無駄ですか?」

 本紙には自分史制作のパートナー会社があり、その代表者は前述の質問を受けるといつもそのように問い返している。

 なるほど、大切なものにお金を投ずるのが望ましい消費とするなら、彼の疑問はごく自然なものといえる。なにしろ、人にとって自分の人生以上に価値のあるものなどないはずなのだから。

 私はそこまで強い言い方はしたくないが、やはり、ある程度の出費は覚悟すべきだろうと考えている(後述するが、費用を掛けない方法もある)。

 ある程度の出費とは、製本代と取材費である。

 ただし、今の時代は割安に製本をすることが可能であり、本当にミニマムで考えるなら数万円あれば何とか形にはなる。

 数万円でどの程度の本が作れるかといえば、例えば、A5判、50<CODE NUMTYPE=SG NUM=60DF>、モノクロ、10部といったレベルになる。人生をつづるには少々淡白な作りだが、それでも「活字」になる喜びは得られるだろう。

 その程度なら自分でパソコンで作るよ。

 そうおっしゃる方もいる。パソコンを自由に操れるなら、それもいい。印刷機を自由に使えるなら、複数部を製作することも可能だろう(ただし、インク代などで結果的に高くつくケースもある)。

 もう一つ。ノートに手書きでつづる、という手もある。これは1冊のみしか残せないが、だからこそ価値がある、という考え方もできる。この場合は、ノート代程度の出費で済む。

 このように選択肢を挙げてみると、実はお金のことはさしたる問題ではないことが分かってくる。自分史を本にするには100万円以上、場合によって数百万円がかかる、と思い込んでいる方が多いが、結局のところ、どこまでを求めるかで費用は変わる。いちばん大切なのは、まず原稿を書くことだ。費用への懸念が執筆を遠ざけてはいけない。

 「でも、書いたところで誰も読まないよ…」

 この意見を受けることも多い。次項では、その問いに答えていこう。

 (文/本紙代表・谷隆一=『中高生からの選挙入門』=ぺりかん社=など著書多数)

Picture of 谷 隆一

谷 隆一

「タウン通信」代表。多摩北部にて、2008年から「タウン通信」を発行。
著書に、『中高生からの選挙入門』(ぺりかん社)、『議会は踊る、されど進む~民主主義の崩壊と再生』(ころから)ほか。
当コラムは、地域情報紙「タウン通信」で掲載した原稿を転載したもの。

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