鎌倉時代から奏でられていたとされる平家琵琶。
日本の伝統文化の一つとして現代に受け継がれているその語り(=平曲)を、地元をはじめ、各所で披露し続けています。
盲目の僧体(=剃髪し、衣を着て僧の姿をしている者)の間で演奏されていた平家琵琶の平曲は、“美しい言葉と音”の宝庫。
その魅力を伝えたくて、今日も楽器を手にします。
引っ込み思案を直そうと、表現の道へ
「私、引っ込み思案で。人と話をするのが得意じゃなかったんです。そんな自分を変えようと学生時代に入ったのが、アナウンス研究会でした。でも、人ってそう簡単に変われるものではなくて……」
その流れで、丹波哲郎さんや宇津井健さんらとともに新東宝を支えたスターの一人・沼田曜一さんが主宰していた語り部の会「大地の劇場・東京民話街」の活動を紹介する記事を見たときに「私も民話を語って、施設に慰問に行きたい」と民話を習い始めました。
友人に拝み倒され、穴が空いた落語の舞台に未経験ながら立ったこともあります。
終演後、共演者から、落語家の二大道具である扇と手ぬぐいを贈られ、芝居だけでなく落語にも親しむようになりました。
「芸事の楽しさの一つは、人や物事との出会い。おもしろいご縁が重なっているので、大事にしたいと思います」
琵琶の音色と語りに胸が震えた
平家琵琶との出会いも、芸事つながりの交友関係がもたらしたものでした。
「平家琵琶はすべての芸能の原点」と演奏者が言っているのを聞き、「(平家の栄華と没落を描いた)『平家物語』より、(恋愛小説である)『源氏物語』のほうが好きだったけどな」と思いつつも鑑賞。琵琶の音色と語りで描く情景の美しさに、胸が震えました。
「例えば、那須与一が小舟の上の扇を矢で射る有名なシーン。
弧を描いて海に入る矢、空高く舞い上がる深紅の地に金箔で日輪を描き出した扇。それが夕映えの中でひらひらと輝き、白波の上に落ちて漂う。
美しい情景が浮かび上がりました」
もともと、平家琵琶は盲目の僧体の間で演奏されていた文化。目には見えないものさえも想起させる言葉と音の美しさがあります。
活動の幅を広げ続けて
平家琵琶に魅せられ、2007年には平家琵琶普及会に入会しました。
後藤光樹さんに弟子入りし、12年からは演奏活動をスタート。14年には前田流平家詞曲の相伝を受けました。
「アナウンス研究会、民話の語り、落語、芝居など、いろいろと経験してきましたが、琵琶が一番、自然体で取り組めています。
落語など、ほかの芸事は自分の気持ちを高揚させないとできずにいました。
かといって、むだなものは何一つなかったと思っています。すべてが、現在の道につながっていたので」
地元での演奏会も
近年は、小平ふるさと村など、地元での演奏会を開催。高齢者はもちろん、『平家物語』を学ぶ小・中学生に、別のアプローチで平家物語の魅力を伝えたいといいます。
「私自身がそうでしたが、一聴しただけではストーリーが分かりづらい。ただ、分かったときの感動はひとしおです。
若い世代の人たちにも、平曲の魅力を広く伝えていきたいです」
◆かたやま・のりこ 東京都出身。東久留米市在住。平家琵琶普及会会員。平曲200曲を習得。神社、学校、博物館、生涯学習講座など、さまざまな場で演奏しています。