原因不明で指定難病対象外 東久留米在住・篠原三恵子さん講演も
16日、成美教育文化会館(東久留米市東本町8の14)でドキュメンタリー映画上映会&講演会「『筋痛性脳脊髄炎』を知ってください‼」が開かれます。
(※編集部注 イベントは終了していますが、地域情報として掲載を継続しています)
同病気の治療・研究の窮状を訴える映画「この手に希望を~ME/CFSの真実~」の上映と、NPO法人「筋痛性脳脊髄炎の会」の代表・篠原三恵子さん、HIV感染者であることを公表し、差別や偏見と向き合ってきた川田龍平参議院議員が講演します。
「世間から誤解されてきた難病」
筋痛性脳脊髄炎(ME)は、ある日突然、全身に原因不明の激しい倦怠感を覚え、それ以降も強い疲労感をはじめ、微熱、頭痛、筋肉痛、関節痛、脱力感、思考力の障害、抑うつ症状などが長期にわたって続く病気です。
現在も、詳しい発症のメカニズムや治療法が確立されていません。
1969年には世界保健機関(WHO)によって神経系疾患と分類されていたものの、日本では慢性疲労症候群(CFS)として、長らく精神疾患の一種と判断されていました。
「日本では、疲労感が続くと慢性疲労症候群という診断をされていました。
運動療法が治療にいいと言われていますが、筋痛性脳脊髄炎の患者は運動すらままならない病状というのが実態。
世間に誤解されてきた病気なんです。
そのため、現在も、国の指定難病や障害者総合支援法の対象外です」
と、自身も筋痛性脳脊髄炎を患う篠原三恵子さんは話します。
発症~篠原さんのケース
篠原さんが病気を発症したのは、アメリカに留学していた90年のことでした。一時帰国後、アメリカ行きの飛行機に乗っているときに違和感を覚えたといいます。
「頭の中に濃い霧がかかったような。空港まで迎えに来てくれた友人に話し掛けられても、何を言っているのか理解できないんです。
その日は、おかしいぞと思いながらもベッドに入りましたが、20分置きに目が覚めるような状態で合計しても2時間しか眠れない。
体も全身痛いし、微熱もあるし、私の体はどうしてしまったのだろうと思いました」
渡米して数日後、カナダの友人から届いた手紙を読み、胸の鼓動が速くなるのを感じました。
「私は今、筋痛性脳脊髄炎という病気で休職中です。激しい倦怠感、微熱、思考力の低下……」
手紙に書かれていた症状の全てが、篠原さんを苦しめているものと同じだったのです。
その後、度重なる検査を経て、篠原さんも同名の病気だと判明しました。
筋痛性脳脊髄炎を引き起こすとされるウイルスの抗体が極めて高いことがわかったのです。
日本での無理解に苦しむ
日本への帰国後に直面したのは、現在にまで至る病気への理解の低さです。
「私だっていつも疲れてるよ」など、心ない言葉を掛けられ、病名を明かさずにいた時期もありました。
筋力の低下が進み、2004年にはついに座位が保てなくなりました。極度の睡眠障害も続いたまま。睡眠不足で思考はままなりません。
寝たきりの生活を送るなかで一筋の光明が差し込んだのは、2008年。新聞記事で同じ病気の患者が紹介されていたのを目にしました。
会いに行き、同じ悩みを話し合うことで救われた思いがしたといいます。
「こういう話をできる患者会があったら……」
篠原さんがNPO法人「筋痛性脳脊髄炎の会」を設立したのは、それから2年後のことです。
寝たままストレッチャーに乗り、全国での講演、ロビー活動など
以後は、寝たままでも移動できるストレッチャーに乗り、各地での講演会、省庁への要望書や医療機関に研究の打診に赴くなど、精力的に活動しています。
英語力を生かし、カナダなど他国での筋痛性脳脊髄炎の診断基準を翻訳しているほかにも、比較的、病気の研究が進んでいる海外の情報をまとめた小冊子も作っています。
現在、小平市にある国立精神・神経医療研究センターの神経研究所では同病気の研究を行っていますが、これも篠原さんの直訴によるものだとか。
「4年という歳月をかけてドキュメンタリー映画を作ったのも、病気の認知度を高め、理解を深めてもらうためです。
特に重症患者は寝たきりで外に出ることがないので、その実態を誰にも知られることがありません。
でも、原因不明という意味では、いつ誰がなってもおかしくない病気なんです。
だからこそ、もっと国内での研究や理解が進んでほしい。まずは指定難病の対象になるように、活動を続けていきます」
定員70人、無料公開
催しは午後2時から。無料。70人。主催は清瀬・東久留米社会福祉士会。車いすなどが必要な場合は、事前に問い合わせを。
問い合わせは福本さん(070・5586・5393)へ。
(※編集部注 イベントは終了していますが、地域情報として掲載を継続しています)