休業は月2日のみ 今も現役バリバリ
西東京市の伏見通り商店会の一角に、93歳のママが開くスナックがあります。今年で営業48年となる「SNACK ポパイ」です。
休みは月に2日だけという現役バリバリの店。「来てくれるお客さんがいるから休めないよ」と、今夜もお店の灯がともります。
一人で店を切り盛り
「いらっしゃい」
温かく迎え入れてくれたのは、ママの後藤いちのさん。大正12年生まれの93歳で、今も一人で店を切り盛りしています。
10人も入ればいっぱいになる店内には、カウンターがあり、深紅のチェアが並びます。カウンター奥の棚には、焼酎などのキープされたボトルがずらり。カウンター横にカラオケセットがあり、店の奥には「今は使っていない」という年代物の外国製ジュークボックスがあります。かつては、飽きもせず、毎晩1時間近く音楽を聴きに来た若者もいたそうです。
「じゃあ、かんぱーい。いただきまーす」
ビールをぐっと口にした後藤さんは、
「この宵の一杯が今夜の活力のもと」
と快活に笑いました。
14歳で上京 山形から上野まで11時間
後藤さんは、山形県の出身。8人きょうだいの長女で、江東区深川にいた伯母を頼り、14歳で上京しました。上野駅まで夜行の汽車で11時間の道のりでした。
働きながら学校に通い、戦中は杉並区久我山の通信・電子会社の寮で過ごします。
戦後4年ほどは久我山にいましたが、縁あって新宿の喫茶店で働き出すことに。6年ほど在籍するうちに店が酒場に変わり、自然と水商売の仕事を覚えることとなりました。
当時の保谷市に来たのは、たまたま弟が移住していたから。折よく空いていた店を紹介され、独立開店にこぎつけました。
忘れられない、客たちとの交流
開店したのは1969(昭和44)年7月。オープンのその日に20歳ぐらいの若者がふらりと入店し、「オレ、就職が決まったんだ」と酒を注文しました。
「ウチも今日がオープンなんだよ。一緒にお祝いだね」
そんなふうに、一緒に乾杯したのを覚えています。
近くの武蔵野中央公園が米軍に接収されていた関係で、当初は外国人の客がたくさん来たのも思い出の一つです。
『ピザをくれ』と言われたけど、ピザが何か分からなくて困ったよぉ」
店のジュークボックスも、外国人客が置いていったものです。
30年ほど前は、近くに土工職の宿舎があったことから、東北からの出稼ぎ労働者も毎晩大勢来ました。東北なまりで語り合い、歌になれば、得意の山形民謡を披露しました。弟や息子のような彼らを心配し、時には「無駄遣いしないように」と金や荷物を預かったこともあったといいます。
客のために店を開ける
個人店が減り、若者は酒を飲まなくなり、かつてのような活気はなくなりました。それでも今も、毎晩誰かしらはふらりと訪ねてきます。
午後7時ごろから店を開けるが、盛り上がるのは深夜12時を過ぎてから。空が白むまで営業することも珍しくありません。
「だって、店閉めるから帰れなんて言えないでしょ。せっかく来てくれているのだもの」
休みは第2・4日曜日だけ。そのわずかな休みさえも、用事がなければ店を開けています。
「休みにふらっと来たい人もいるでしょう?」
そんなふらりと来る面々の中には、オープン日に乾杯したあの若者も含まれています。今は定年を過ぎた、60代となって。
* * *
――やめたいと思ったり、大変なこととかはないんですか?
「そんなの考えたことがないよ。『自分の仕事』に大変なんてことはないの」
大ベテランに、愚問を失礼しました。
■店データ
西東京市柳沢3の1の1
午後6時30分頃~営業。第2・4日曜休み。