猫 耳 南 風
太宰治文学賞作家 志賀泉さんコラム
三月二十六日午前十時。聖火リレーのスタート地点だったJヴィレッジ(福島県楢葉町・広野町)は閑散としていた。セレモニー会場の撤去作業をビデオ撮影していると、係員に体よく追い払われ、むなしい思いで駅に引き返していた。その時だ、風変わりなおじさんが軽快な走りで僕を追い抜いていった。
聖火の代わりに右手にバナナを掲げ、左手のスマホで自撮りしながら、「ああ、なんて気持ちいいのでしょう」と実況付きで走っているのだ。地元の人なのか、ただのユーチューバーなのか知らないが、ある意味、このナンセンスなパフォーマンスこそ、不幸な時代を象徴する点景なのかもしれない。
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まさか、聖火リレー中止の決定を知らずに現地を訪ねたのではない。自分がどういう時代を生きているのか知りたかった。数年後、数十年後に振り返った時、今日という日がどういう意味を持つのか知りたくて、聖火リレーの予定地を歩いてみたのだ。
この日を目指して帰還困難区域を一部解除した大熊町と双葉町も歩いたが、誰のための解除なのかと胸が塞いだ。希望が見える光景には見えなかったのだ。
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たとえば大熊町。駅前から続く、立入禁止のフェンスに挟まれた一本道が解除区域なのだが、汚染土を積んだダンプが土煙を立てながら列をなして走っている。そんな道が延々と続く。自由に歩けるから歩いたのだが、まともな世界に自分がいるとは思えなかった。
双葉町は、僕の母校である双葉高校のある町だ。地震で倒壊した家、シャッターがこじ開けられた商店、傾いた電柱がいまだ手つかずの商店街を歩いたが、懐かしさと傷ましさが複雑に入り混じった心境は、とても言葉では言い表せない。「オリンピックは中止だ。放射性物質は今も残っている!」と、一台の軽トラックが拡声器で叫びながら走っていた。無人の町に、その声だけが繰り返し鳴り渡っていた。
プロフィール
志賀 泉