猫 耳 南 風
太宰治文学賞作家 志賀泉さんコラム
先日、取り壊しが決まった友人の実家を訪ねた。
場所は福島県の浪江町。そう、二○一七年三月末に避難指示が解除された町。山間部は今も帰還困難区域だ。
友人の実家は市街地にあるから、本人の意思さえあれば帰ることはできる。長期間放置していたために傷み、ネズミなどの害獣に荒らされた家に住む気があればだが。
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震災前から反原発派だった元教員の母は帰還するつもりなどさらさらなく、同じ元教員の父は仮設住宅で亡くなっている。ひとりっ子の友人はというと、避難先の埼玉県を離れる予定はない。どんな思い出があろうと、誰も住まない家は処分するしかない。
友人とは震災後に知り合った。同じ高校の五つ後輩だ。僕は毎年、東京の文学者有志と被災地を巡るツアーをしているが、今年は彼に頼んで、原発事故のために空き家にしていた家の実態を視察させてもらったのだ。 僕はここで、原発事故の被害について書こうというのではない。(友人の父の最期は短編が書けるほど哀しい)僕が書きたいのは、この家で起きたささやかな偶然の話だ。
僕の中学時代の卒業文集が、なぜかこの家から出てきたのだ。僕は卒業文集の存在すら忘れていた。いつの間にかなくしてしまい、なくしたことも忘れていたから。しかも、開いてみたら僕の書いた詩が巻頭を飾っているではないか。その事実も僕は忘れていた。四十三年の歳月を経て、思いがけなく十五歳の自分に出会ってしまった。
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十五歳の自分が書いた詩は、なかなか堂々としている。どことなく吉田拓郎っぽくもある。もちろんページを捲れば懐かしい名前が次々と目に飛び込んでくる。みんな、震災の時はそれぞれに苦労があったはずだ。
それにしても、なぜ僕の卒業文集が友人の家にあったのか。謎はすぐに判明した。彼の亡くなった父は、僕が中学三年の時の数学教師だったのだ。彼の父の名前を僕は聞いていたが、数学教師の名前は忘れていたのだ。
背筋が寒くなった。偶然が偶然を越えたと感じるのはこういう時だ。帰り際、仏壇のお位牌にしっかりと合掌した。
プロフィール
志賀 泉