猫 耳 南 風
太宰治文学賞作家 志賀泉さんコラム
台風の被害はもちろん「自然災害」だが、最近のスーパー台風を生み出しているのが地球温暖化であり、文明の所産であるなら、広い意味ではこれも「人災」だろう。いや「人類災」か「文明災」とでも呼ぶべきかもしれない。台風十九号を「自然の猛威」とは誰も言わない。台風の威力が「自然」からはみ出している。
昔、沖縄を旅していて、「神さまのお通り」という言葉を知った。台風が通過する夜は神さまが「お通り」になるから、家族で耳栓をして早めに寝てしまおうというわけだ。僕の知る限り、少なくとも十数年前までこの言葉は生きていた。今ではもう昔話かもしれない。沖縄の伝統的な民家が簡素な造りなのは、台風に壊されてもすぐに建て直せるためだった。実際、暴風に屋根を吹き飛ばされた家から、住民が笑いながら出てくるのを見た人がいる。ほんの五十年前のエピソードだ。
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人が自然を神格化してきたのは、それがどんな被害をもたらそうと、存在するからには何らかの意味があると認識していたからだ。台風の発生にも意味はある、もちろん。地球にとってなくてはならない現象だ。地球のある場所が局地的に熱くなれば、大気と海を掻き混ぜることで熱を拡散し、バランスを保ってきた。そうやって地球は環境を維持し、生態系を守ってきた。台風は必要があって生まれ、必要に応じて巨大化し、数を増やす。その自己調節システムを生命体とみなしたのが、ひところ流行した「ガイア理論」だ。「ガイア」とはギリシャ神話の地母神であり、天と海と地の生みの親。だから「ガイア」的には台風も「神さま」の一部だ。しかし、このような自己調整システムもそろそろ限界かもしれない。
今回の台風で被害に遭われた方から、「そんな抽象的な話が何の役に立つ」と叱られそうだが、たまには「地球の気持ち」で台風について考えてみるのも無駄ではないだろう。人類は長い間、そうやって自然と付き合ってきたのだから。
プロフィール
志賀 泉