猫 耳 南 風
太宰治文学賞作家 志賀泉さんコラム
なくても別に困らないけど、ご近所にあると思うと少し嬉しい。僕にとって五重塔はそんな存在だ。いつもの散歩コースから少し足を伸ばした所に五重塔がある。僕がその存在を知ったのは、実は最近のことだ。駅などに置いてある「○○散策マップ」を見て、女房が一人で確かめに行き「立派だったよ」と興奮気味に僕に報告してくれたのだ。
川崎市麻生区の香林寺という禅寺にそれはある。僕が住んでいるのは川崎市多摩区の団地で、香林寺まで二キロ余り。女房の案内で僕も見物に行った。住宅街をてくてく歩き、「ほらあそこ」と女房が指差す。島のように盛り上がる緑の丘の頂に、五重塔のシルエットが見えた時は、ちょっと感動した。そこだけを切り取ればまるで古都の風情なのだ。
五重塔の建立は一九八七年。意外と新しい。僕の住む団地が造成されたのと同じ時期だから、何となく時代背景が見えてくる。(香林寺自体は戦国時代初期の創建)五重塔としては新参だろうが、いやいや、風格も気品もある、頼もしい立ち姿だ。僕は仏教徒でも何でもないが、ご近所に五重塔があるというのは、なんとなく嬉しい。
ところでこの五重塔、東日本大震災の際に先端部分(宝珠龍車)が落ちたという。塔はすぐに修復されたが、落下し傷ついた実物が今も、歴史の証人のように境内に建っている。そんなところにも、僕は親しみが湧いたのだった。
プロフィール
志賀 泉