今号が、平成最後の本紙の発行。ということで、とってもありきたりな企画ですが、「地域の平成」を振り返ってみました。
西東京市誕生
1989年に始まった「平成」。
本紙配布エリア(西東京市・東久留米市・小平市・新座市一部)でのこの間の最大のニュースといえば、やはり「西東京市誕生」を挙げないわけにいきません。
旧田無市と旧保谷市が合併して西東京市となったのは、平成13年。約3200あった市町村が1700余にまで減った「平成の大合併」の中で実施されました。
変わりゆく景色
30年の間には、町の風景も変わり続けました。
象徴的なのは、“田無タワー”と親しまれる「スカイタワー西東京」。
平成元年に建設され、7年にはライトアップによる翌日午前9時ごろの天気予報を開始。「紫=晴れ、緑=曇り、青=雨」のライトアップは地域に浸透し、ランドマークとして不動の存在感を放っています。
23年にはLED照明に切り替えられ、現在では、例えば世界糖尿病デーのブルーライトアップなど、特別なライトアップも時折見せています。
進んだ駅前開発
町中の変化で印象的なのは、やはり駅周辺の開発です。
田無駅、花小金井駅、東久留米駅、保谷駅などが大きく姿を変えました。
最近では、ひばりヶ丘駅周辺の開発が進み、先月には北口の計画道路が開通したばかりです。
市民ホールなども多数生まれた
いわゆる箱モノも「平成」に多数生まれています。
小平市ルネこだいら(5年)、東久留米市役所(8年竣工)、西東京市保谷こもれびホール(10年)、多摩六都科学館=1面参照=などなど。挙げれば切りがありません。
また、ひばりヶ丘駅南口の「ひばりが丘パルコ」(7年)、田無駅北口前の「アスタ」(7年)、「イオン東久留米店」(25年)など、今日も地元で親しまれる店舗も多数生まれました。
さらに憩いの場も
憩いの場も増えています。
代表的なのは、西東京市合併を記念して造られた「西東京いこいの森公園」。
都立東伏見公園や都立六仙公園などもすっかり地域にとけ込んでいます。
また、西東京市の下野谷遺跡が国史跡に指定されるビッグニュースもありました。
そのとき地域は
「平成」の忘れられない出来事といえば、阪神・淡路大震災(7年)、オウム真理教の一連の事件、東日本大震災(23年)などでしょうか。
過去の新聞記事をめくると、その時々に、地域が敏感に反応していたことがうかがえます。
そうした中で地域に数々のNPOが生まれ、根付いたことは平成の大きな財産といえそうです。
市民活動といえば、移転計画があった東大農場を地域に残す活動や、都道建設を見直そうと住民投票にこぎつけた小平市での取り組みもありました。
世紀をまたいだシーンも
最後についでながら、平成には世紀をまたぐ場面もありました。
1999年から2000年にかけては、デジタル化の中での不測の事態に備える「Y2K問題」も。
このとき、施設管理のために多くの市職員らが公共施設等で年越しをしています。
IT化が叫ばれていた時代のこと。今なら、AIで何とでもできるのかもしれませんね。
〈トピックス〉東久留米「平成橋」のいわれは…
閑話休題。
東久留米市野火止3丁目と、同市下里1丁目の間に平成橋があります。
全長約20㍍、幅およそ10㍍の小さな橋。黒目川に架けられた橋で、竣工は平成2年3月。それ以前の名前は一体――。
「いえ、橋はありませんでした。新小金井街道が開通したので、新たに架けられた橋です。
命名の由来は、古い者がいませんし資料なども残っていないので、不明。でも、地元の市役所や協議会などと話し合って、つけられた名前だと思います」(東京都建設局北多摩北部建設事務所
1年が過ぎたばかりの新元号にちなんで、つけられたようです。
橋の近所の住人が振り返ります。
「ここら中は畑だらけでした。数十年もかかって、新小金井街道の開通と同時に平成橋ができました。橋の5㍍ほど東に本邑橋があるけど、あれが農道の名残。黒目川も4倍ほどに拡張されましたね」
その後、そばの下里本邑通りも、市庁舎も、ショッピングモールのクルネも誕生。平成橋は近隣エリアの発展を告げるかのような橋でした。