猫 耳 南 風
太宰治文学賞作家 志賀泉さんコラム
この文章を書いているのは三月二十日、地下鉄サリン事件が起きた日だ。「二十二年前の今日」とニュースキャスターが話すのを聞いて「ああ。そんなにたつのか」と感慨にふけるのは、実は二十二年前のこの日、三十五歳の僕が武蔵野市の赤十字病院で胃癌手術を受けたからだ。
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僕が手術を受けている間、サリンを吸った被害者が次々と病院に運ばれ大変な騒ぎだったという。歴史的に重要な日と個人的に重要な日が重なるのはある意味便利で、本人が忘れていてもニュースが思い出させてくれる。
僕とオウム真理教とは妙な因縁があるのだが、話すと長くなるのでここでは省く。僕個人にとってこの日が重要なのは、僕が自分の「死」をリアルに見つめた初めての日だったことと、もうひとつは「故郷」をありがたく感じた、やはり初めての日だったからだ。
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東京の地下鉄車内でサリンが撒かれていた頃、僕はストレッチャーに寝かされて手術室へ移動していた。両脇に付き添いの父と伯母。後ろにストレッチャーを押す看護師。父と伯母の会話を聞いていた看護師が「あのう、もしかして福島県の方ですか」と尋ねた。「はい、そうですが」と父。「やっぱり。方言でわかりました。私も福島県なんです」
その看護師は、僕の出身地(小高町)の隣町の出身(原町市)だったのだ。(現在は合併して同じ南相馬市)。しかも、どちらも実家が駅前にあったので、お互いの家を知っていたのも奇遇だ。これから手術をしようという時に、田舎話に話が咲いた。
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手術の不安は消え、僕は最高にリラックスした。「故郷に守られている」と強く感じ、「僕は生き延びる」と確信した。それまでの僕は故郷なんて屁とも思わなかったし、「故郷」という言葉自体、嫌いだったのだ。
胃の三分の二を摘出する手術は成功し、僕は生き延びて今、故郷を舞台にした小説を書き続けている。ちなみに「運命」という言葉も、手術するまでは嫌いだったのだ。
プロフィール
志賀 泉