出身地・東村山市市長との5000字対談
コミックエッセイ『大家さんと僕』で手塚治虫文化賞短編賞を受賞したお笑いコンビ・カラテカの矢部太郎さんが、さる10月23日、出身地である東村山市の渡部尚市長と対談しました。
自身初の漫画作品となる『大家さんと僕』を描くことになった経緯や、大学時代までを過ごした同市の思い出のほかにも、「東村山を舞台に、父との幼少期の思い出を描きあげたい」という新作の構想までもが飛び出しました。
いくつもの偶然が重なって生まれた作品
東村山市市役所3階の、市長室に用意された椅子に腰掛ける渡部市長と矢部さん。矢部さんは以前、同市の「産業まつり」にお笑いコンビ・カラテカとして出演しており、市長とはおよそ7年ぶりの再会です。
当時は誰も予想していなかったであろう矢部さんの「手塚治虫文化賞受賞」という快挙。昨年10月発行の『大家さんと僕』には「8年前から大家さんと同居」と書かれているので、その頃には、すでに矢部さんと大家さんの共同生活は始まっていたことになります。
渡部市長は、矢部さんが漫画を描くことになった経緯などに興味津々。インタビュアーさながら、矢部さんに質問をしていきます。
渡部市長(以下、市長)
「今日、矢部さんにお目に掛かれるということでしたので、(写真手前に飾られている本を指して)購入させていただいて」
矢部太郎(以下、矢部)
「ええ〜〜〜っ! すみません、ありがとうございます」
市長
「本当におもしろくって、いい作品で。手塚治虫文化賞を獲るだけの作品だなと」
矢部
「光栄ですっ、ありがとうございます」
おなじみのポーズ連発
矢部さんは緊張しているのか、テレビでおなじみの後頭部に手を当てる仕草を連発。対談前には、市役所の職員や記者陣一人ひとりのあいさつに応じてくださるなど、テレビ通りの腰が低く温かな人柄に、場内が引き込まれていくのを感じます。
市長
「大家さんとの日常を漫画にしようというのは、どのようなきっかけだったのですか? そもそも、漫画を描くこと自体が初めてだったわけですよね」
矢部
「それまでは1ページも描いたことがなかったんです。きっかけは、そもそも、大家さんが一軒家にお住まいで1階に暮らしていたんですね。それで、僕が2階をお借りすることになって……」
市長は、「その前の賃貸は、ロケでひどい使われ方をしていたんでしょう?」とすかさずツッコミ。というのも、『大家さんと僕』の冒頭で、矢部さんが賃貸しているマンションの部屋でポケットバイクが走り回るロケなどを行ったことで、契約の更新ができなかったエピソードが紹介されているのです。渡部市長、入念な下調べをしている模様!
矢部
「あぁっ、そうなんです。それで、大家さんのところは一軒家なので、交流が生まれやすいというか。お買い物や、お食事、お茶などをよくご一緒していたんです。その頃は、僕もあまり忙しくなかったので、大家さんのお誘いにほぼ毎回応えることができて(笑)」
ある日のこと、いつものように喫茶店で大家さんとお茶を楽しんでいた矢部さん。そこに、たまたま矢部さんの知り合いである漫画原作者の倉科遼さん(代表作『夜王-YAOH』など)が居合わせたことで、運命の歯車が回り始めます。
矢部
「倉科先生が僕たちの様子を見て『矢部さん、おばあちゃん孝行ですね』と言うので、実は大家さんなんですと事情を説明したら、『それは作品化したほうがいい』と勧めてくださって。倉科先生が、出版社への段取りなど、いろいろしてくださったんです」
市長
「じゃあ、たまたまその喫茶店に先生がいらっしゃらなければ、この作品は生まれなかったと。さらに言えば、大家さんとの出会いがなければ創作活動自体なかったわけで。不思議なご縁ですね。大家さんと初めてお会いになったときのご印象はいかがでしたか?」
矢部
「あいさつの一言目が『ごきげんよう』で、戦前からタイムスリップしてきたようなお上品な方だと思いました。元々、大家さんはご家族と暮らしていたんですが、一人になってしまってさびしいから、一緒に住んでくれる方を……ということで、初めて大家業を始めたそうなんです」
市長
「そうだったのですね」
矢部
「なので、住む方とはもともと仲良くなりたいと思っていたそうです。僕の前にも学生の方が住んでいたそうなんですけど、その方とも仲が良かったようで『とてもよくしてくださったの』と。じゃあ、僕も大家さんと仲良くしないと冷たい人だと思われてしまうんじゃないかという(笑)。ただ、そんな気持ちとは関係なく、大家さんは魅力的な方なので、誰とでも仲良くなってしまうと思うんですけど」
『大家さんと僕』は絶対に描き切ります
文学通の大家さん。新潮社から単行本が出ることを矢部さんが報告すると、とてもよろこんでくださったそう。
矢部
「『昔、新潮文庫をよく読んでいたわ』と信用していただけました。(矢部さんの所属する)吉本興業にもヨシモトブックスという出版社があるんですけど、吉本だったら大家さんに怪しまれていたかもしれません(笑)」
市長
「大家さんに本を差し上げることができて、本当によかったですね」
矢部
「よかったです。受賞をご報告したときも、すごくよろこんでくださって。僕が住み始めた当初は、2階によくわからない若い人が住んでいると思っていたのではないかと思うんですけど、独り立ちできた姿をお見せできてよかったなと」
喜びの一方で、悲しい別れが。さる8月には、矢部さんのTwitterで、大家さんがご逝去したという報告がありました。現在、週刊新潮で連載中の『大家さんと僕』は一時中断。今後について、矢部さんは言葉を選びながら、ゆっくり、ゆっくり話してくれました。
矢部
「僕……、親しい方を亡くす経験が初めてだったかもしれません。父も母も健在ですし、自分のおじいちゃん・おばあちゃんは遠くに住んでいたこともあって、そこまで頻繁に会う感じではなかったので。なので、おじいちゃん・おばあちゃんにできなかったこととかを、大家さんとさせていただいたりしたところもあるので。ちょっと本当に……はい。いろいろなことを、思いました。
でも、こうして作品にしていたことで、大家さんが亡くなったことを知った読者の方たちから温かい言葉を掛けていただいたりもして、そこから学ぶこともすごくあって。そういうつらい思いをした人って、実はたくさんいて。それでもみなさん、前向きに生きていて。世界ってそういうもので満ちているんだということを……僕は知らなかったので。今回、そういうことを知ることもできたので……。大家さんとのことは、絶対に描き終えたいと思っています」
新作は東村山市が舞台?
市長
「今後は、芸人と漫画家の二足のわらじでご活動される予定なんですか?」
矢部
「漫画を描くのはすごく楽しいので、ぜひ他のテーマでも描きたいなと。僕、少年時代の話を描きたいと思っているんです。父との話になるんですけど。そうすると、舞台は絶対に東村山になるので」
矢部さんの実父は、同市在住の絵本作家・やべみつのりさん。対談でのエピソードを聞くに、少々(?)個性的な方のようです。
矢部
「ご飯が食卓に並ぶと、父がスケッチを始めるんです。『ああ、これは初物のナスだ』なんて言いながら。僕らはそれを待っていて、お父さんが描き終わったら食べていいよ、という。おかずが冷めていることもありました(笑)」
市長
「あはは、そうなんですね(笑)。作家ですから、こだわりがあるんでしょうね」
矢部
「何かにつけて絵を書いていました。それこそ、今でいう(スマホで)写真を撮るくらいの感覚で。なかなかないですよね」
市長
「そういうお父さんの影響を受けて、子どもの頃から絵を描いていたんですか?」
矢部
「お父さんが家で仕事しているのを近くで見たり、一緒にスケッチに出掛けるのは好きでしたけど、絵をずっと描いていたというわけではないです。父から何かを教わるわけでもなく」
市長
「矢部さんの絵は、いわゆる、なんというか、言い方が当たっているかはわからないけど、ものすごく上手な絵っていうわけではないんですけど……」
矢部
「下手っていうことですか?(笑)」
市長
「いえ、そうではなくて(笑)。とても味わい深い絵を描かれますよね。逆に、こういう絵を描こうとしても描けませんよ」
矢部
「よく『さささっと描いてるんでしょ』なんて言われるんですけど、実際はめちゃめちゃ! 時間を描けて描いてるんですよ、ほんとに(笑)。お恥ずかしいんですけど」
市長
「いえいえ、矢部さんのお人柄というか、優しさのようなものが絵から伝わってきます。ぜひ、少年時代の思い出を、東村山市を舞台に書いていただけたら」
子どもの頃は一年中、半そで・半ズボンでした!
矢部さんの幼少時代を描いた漫画、世に出るのが待ち遠しいですね。待ちきれないという方のために、対談中に飛び出た東村山の思い出をいくつか紹介します。
矢部
「先日、テレビ番組のロケで北山公園に行かせていただいたんですけど、子どもたちがザリガニ釣りを楽しんでいたんですね。僕も子どもの頃にザリガニ釣りをしていたので、変わらないなと思いました。釣れないときは、穴に手を突っ込んでザリガニを取ったりしていました」
市長
「ほかにも、東村山で思い出深いところはありますか?」
矢部
「父と、八国山につくしを採りに行っていました。袋いっぱいにになったつくしを持ち帰ると、母が佃煮にしてくれるんです。僕の中では、八国山はつくしの名産地です(笑)」
市長
「ああ、それはすごい(笑)。小さい頃は、自然の中で遊んでいたんですね」
矢部
「一年中、半袖・半ズボンの少年でした。中学に入ると、本を読むようになって。(車による)移動図書館をよく利用していました」
市長
「以前は、図書館が現在の中央館くらいしかなかったんですよね。いわゆる地区館がなかった時代に、車に本を詰めて職員が回って貸し出しをしていました。今はその役割を終えてしまいましたが」
矢部
「そうなんですね。本が来てくれる感じが、すごい楽しみでした。あとは、化成小学校の前に福祉作業所があって、そこで本のバザーをしていて」
市長
「現在も同じ場所で続いていますよ」
矢部
「え〜〜〜っ! あそこ、すごい通ってました。1冊なんでも100円で。あそこ、めちゃくちゃ穴場ですよ! 実家の僕の本棚の本は、半分はそこで買いました」
市長
「お得意様ですね」
作風の根底に流れる東村山の風土
そんなこんなで、喋りっぱなしの1時間はあっという間に過ぎていきました。「今日は本当にお忙しい中、ありがとうございました」という最後のあいさつのあと、それまで軽快なトークで対談を進めていた渡部市長に微妙な間が空き、ポツリと一言。
市長
「……あの、最後に、サインをどこかに書いていただいてもいいでしょうか」
これには矢部さんも「いいんですか!?」と恐縮しながら応じます。随分長いこと書いてらっしゃるなと思ったら、なんとイラスト付きの大サービス。これには市長も満面の笑みでした。
対談中、「東村山が大好き」「この町で育ったという気持ちが強い」と地域愛を語った矢部さん。豊かな自然を残した東村山の風土が、自身ののんびりした性格を育んでくれたのでは、とも話します。
矢部
「そういう意味では、絵柄とかも関係していると思うんです。やっぱり、ビュンビュンめまぐるしいところだったら、きっと、いろいろ違っていたんだろうなって。
僕、お笑い芸人が本業なんですが、緊張して人前でうまく喋ることが苦手で。でも、漫画は家でゆっくり描いて、描き直すこともできます。読んでもらうときも、読者の方がいないから緊張しないし、そういう意味では自分に向いているのかなと思います。
ただ、『大家さんと僕』はお笑いをやって(培ってきたものがあるから)こそできたものだと思いますし、興味を持って読んでもらえたとも思うんです。それから、お笑いで失敗した話とか、今日市長と対談して緊張したことも、あとで漫画のネタにできると思うと、気が楽になります。滑ったことも昇華できるというか(笑)。いいサイクルになっていけばいいな、と思っています」
<矢部さんのプロフィール>
1977年生まれ、東村山市出身。お笑いコンビ・カラテカとして活動。『大家さんと僕』は、矢部さんが部屋を間借りした一軒家に住む “大家さん”との日常を描いた実話漫画。50歳近く年の離れた女性大家さんとの、年齢・性別を超えた交流が「ほっこりする」と話題を呼び、昨年10月の発売以来、70万部を超えるベストセラーとなっています。
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