森隆さんは、防災ジャーナリスト。全国を飛び回り、2年前には『石碑は語る~地震と日本人、闘いの碑記』を出版しました。
同書は、日頃メーンで執筆している「保険毎日新聞」の連載コラムをまとめたものです。北海道から沖縄県まで全国から50の地震・津波碑を紹介しています。
そんななかで、森さんが個人的に「三大石碑」と位置づけている石碑があります。
石碑が教えてくれること
一つは、岩手県宮古市姉吉地区の「大津波記念碑」(昭和三陸地震=1933年)。「此処より下に家を建てるな」と刻む教え通り、3・11でも波がその碑を超えることはありませんでした。
もう一つは、和歌山県湯浅町の「大地震津なみ心え之記碑」(安政の地震・津波=1854年)。深専寺の門前で屋根を掛けられ、大事に守り継がれてきたものです。建立時の姿を伝える「美しい石碑」といえます。
そして、徳島県美波町の「康暦の碑」(正平地震・津波=1361年)。これは、日本最古の津波碑と伝えられ、山間に堂々とそびえています。
これらに触れて感じるのは、石碑に込められた思いが受け継がれているということです。
象徴的なのは宮城県東松島市の宮戸島にある石碑。3・11の大津波は、貞観地震(869年)で建てられたとも言われる石碑のほぼ100メートル手前で止まりました。この千年以上前の石碑に日頃触れてきた約1000人の島民は、ほぼ全員が難を逃れたそうです。
風化させてはいけない
「石碑を単に石と見るか、そこに込められた先人の思いや歴史を感じ取れるか。そこが、石碑の戒めを生かせるかどうかの分かれ目です」
と森さん。
「思い」を後世に伝える動きは、3・11でも行われています。
宮城県女川町では、子どもたちの発案で、21ある浜すべての津波の到達点に石碑を置く「いのちの石碑プロジェクト」が進行しています。
「マグニチュードいくつ、津波が何メートルといったデータは、記録として価値があっても、それでは一般の人には伝わりません。数字を見ても、心に何も響かないからです。身近にあって、物証としてそこからリアリティを感じさせる。それが石碑の本当の価値です」
石碑を追って日本各地を回ってきました。いま改めて思うのは、実感としての「地震国・日本」です。
「だからこそ、3・11さえ風化しつつある今の状況を憂えています。私は職業柄、毎年東北の被災地を訪ねていますが、現地でさえ、『この景色に慣れた…』と感覚が変わってきています。まして、関東や以西では……。
天災は他人事ではありません。1年に1回でもいいから、真剣に防災を考え、非常用品のチェックや、家具の転倒予防、できれば避難訓練への参加などをするべきです。
『真剣に』取り組むことが大事です」
◆もり・たかし 1954年、東京都生まれ。新座市在住。コピーライターを経て、現職。著書に『証言 東日本大震災~1兆2000億円の地震保険金』(保険毎日新聞社)。防災士。
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『石碑は語る』(保険毎日新聞社)は、四六判、226ページ、1994円。全国・ネット書店で販売中です。