「ワーママ十人十色」小崎奈央子さん インタビュー(2/4)

 

■多摩エリアのワーママに聞く、働く母の在り方。

 

一口にワーママ(ワーキングマザー)と言っても、大切にしたいものや、環境、悩みはさまざま。そんな十人十色なワーママたちの、モデルとなるような生き方をしている人たちに『タウン通信』が取材しました。第1回の登場は「仕事も、子どもと同じように大切にしたい」と話す、小崎奈央子さんです。

 

<プロフィール>

小崎奈央子(おざき・なおこ)

株式会社けやき出版/代表取締役社長・編集者

「まちと人をつなぐ」をコンセプトに、東京都多摩地域に関する情報を発信しているけやき出版。一般書・地域情報誌・社史や自費出版などを手掛けており、1997年に創刊した季刊誌『たまら・び』は、7月1日発行号で100号を迎える。同記念号では「多摩ってなんだ?」をテーマに、多摩全域を紹介。それぞれの町で生きる人たちの「WEST TOKYO STYLE」を探る。

http://keyaki-s.co.jp

 

<目次>

イントロダクション(※7月2日公開)

第1回 出産で一度は手放した、憧れの職業。(※7月3日公開)

第2回 肉体的につらくても、離婚で心は自由になれた。(※本ページです)

第3回 シングルマザーとしての葛藤と決断。(※7月5日公開)

第4回 ママだからって、不自由じゃなくていい。(※7月6日公開)

 

■「自分のことは私が決めていいんだ」と思えた。

 

——「潤沢なお金があって働く必要がないとしても、仕事はする」というのが、小崎さんがしてきた選択の軸になっているように思うのですが、仕事への思いはどこから湧き上がってくるのでしょうか。

 

理由らしい理由は特にないんですけどね。ただ、高校生の頃、マクドナルドで初めてアルバイトをしたときに「楽しくってお金がもらえるだなんて、仕事ってなんていいものなんだろう」と思ったのは、はっきりと覚えています。なので、学生というモラトリアムを終えて社会人になる際も、全く抵抗がありませんでした。

 

——仕事が楽しいんですね。

 

でも、それって、憧れていた編集の仕事に就けたからっていうわけではないんです。先ほど、1年しか専業主婦でいられなかった、という話をしましたよね。上の子が小さいときには思うような働き方ができませんでしたが、けやき出版に入社する前には、雑貨店の販売員やジュエリーアドバイザーなどの職も経験したんです。

 

編集の仕事と比べて楽しかったのかという点では、毎日ウキウキするような感情こそありませんでしたけれど、「あ、こういうクレームにはこういう対応の仕方がいいのか」という発見の日々で。そこで学んだことは、今も役に立っていますし、私の糧になっています。

 

——育児についても「忍耐力が身に付く」と前向きに捉えていましたね。

 

結局、無駄なことって一つもないんですよ。仕事って楽しいことばかりじゃないですよね。楽しいだけじゃないのが当たり前なのに、「つらい」「嫌だ」という感情で取り組むのって、なんだか損というか。

 

——大いなる回り道だったわけですね。現在、代表取締役を務めるけやき出版に、一人の社員として入社したのが2006年とのことですので、小崎さんが当時28歳。息子さんが小学校に入るタイミングですね。

 

はい。その前にも、派遣社員などの雇用形態で編集の仕事に携わりもしていたのですが、2人目の子どもも欲しいと思っていたので、腰を据えて編集の仕事ができる会社を探していました。そこで出会えたのが、けやき出版で。

 

——仕事と子育ての両立は、大変だったのではないですか?

 

仕事を家に持ち帰っても良かったりと、融通が利いたんです。なので、帰宅して子どもが寝た後に仕事をしたり、早朝から出社するなど、バランスを取っていました。

 

幸せなことに、望んでいた第2子を授かることもできて。ただ、小さい会社でゆっくり休んでいる暇もなかったので、3ヵ月で復帰しました。それこそ産休ちょい、みたいな感じで(笑)。娘(=第2子)はすぐに保育園に入れて、仕事をして。ちょっとフラフラになりながらも、仕事と子育てを両立していました。

 

今振り返ると、体力的には大変でしたね。……うん、大変だったな。それでも、好きな仕事をして、子どもも育てられるということが幸せで。

 

——共働きしている夫婦の場合、女性に負担が掛かりがちな印象がありますが、小崎さんたちの場合はどうでしたか?

 

相手の中には「男が女を食べさせる」という考えがベースにあったと思います。「働いちゃダメだ」とは言いませんが、「働いてもいいけど、家のことも子どものことも、あなたがやってね」というスタンスでした。

 

——となると、小崎さんの負担が大きくなるわけですよね。

 

仕事に対する私の価値観を理解してもらえなかったというか。どこにも休まる時間がなくなっていって、だんだん疲弊してしまって。

 

それで、娘が2歳になる時に離れ離れになりました。仕事はずっと続けていくんだから、一人でも育てられるだろうと思っての決断で。その時、この先の人生に対して覚悟を決めたというのかな。不安な気持ちって、全然なかったんですよ。

 

——不安が拭いきれずに、離婚したくてもできないという女性が多いように思います。

 

うーん。私のことを思ってくれてか、仕事のことに対して束縛する人だったんですよね。私としては、もっと自由にやりたかった。自分には選択権がないように思えて、つらかった。なので、「自由だ!」みたいな感情もあり(笑)。

 

体力的にきついのは変わらなかったけれど、心は自由で苦しくなかった。誰にも伺い立てずに、やるか・やらないかは自分で決めていいんだ、と。私、そういうほうが楽しくなっちゃうタイプなんだなって自覚したのも、その頃でした(笑)。

 

——社長向きというか(笑)。代表になったのは2015年なので、娘さんが小学1年生になった年ですね。

 

前社長(=現会長)が高齢で、社長のお子さんが会社を継がないとなったとき、会社を畳む選択肢もあったそうなんです。当時は経営の状態も、そこまでいいわけではなかったので。

 

——小崎さんが事業の提案などに積極的だったことから、後継者を探していた前社長に声を掛けられたそうですね。そこで引き受けようと思えたのは、すごいことだと思います。

 

私、編集した書籍のことは、自分の子どものように思っていて。なので、シングルマザーとして子どもを育てていくことと、社長になって本を世に出版することが同じように思えたというか。経営者としては新人なので、がむしゃらにやっています。

 

 

<目次>

イントロダクション(※7月2日公開)

第1回 出産で一度は手放した、憧れの職業。(※7月3日公開)

第2回 肉体的につらくても、離婚で心は自由になれた。(※本ページです)

第3回 シングルマザーとしての葛藤と決断。(※7月5日公開)

第4回 ママだからって、不自由じゃなくていい。(※7月6日公開)

 

 

(文・石川裕二)

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