猫 耳 南 風
太宰治文学賞作家 志賀泉さんコラム
先日、詩人の男女二人を福島県の被災地に案内した。噂が広まると嫌なので浪江町の某所としておく。浪江町は沿岸部が津波で壊滅的な被害を受けている。おまけに原発事故で人命救助が打ち切られ、助かる命も助けられなかった土地だ。
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さて、詩人二人と某所をめぐり駐車場に戻ったところ、車のボディにべったりと泥の手形がついていた。大きさからすると子供の手だ。子供がいる場所ではないし、仮に子供の悪戯だとしても泥が乾いている。そんな時間はなかったのだ。詩人の女性は自称霊感の強い人で、「女の子の悪戯だと思う。大丈夫、悪い霊じゃない」と性別まで断定した。
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僕は不思議なことをよく体験する方だが、こんなふうにあからさまな(ある意味でベタな)現象を目の当たりにしたのは初めてだ。しかし詩人の二人が冷静にしているので、僕も重く受け止めずに車の運転を続けた。
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翌日、いわき市の白水阿弥陀堂に向かっていた時のこと。ラジオはクラシック音楽を流していた。後部座席で二人は吉原に売られた猫の話(古典落語?)をして笑っていた。すると僕の耳に「クチュクチュ(笑い声)ニャアニャア」と声が聞こえてきたのだ。小さな女の子がふざけて猫の鳴き真似をしている声だ。しかも二回。後ろの二人は話に夢中で声に気づいていない。とにかく白水阿弥陀堂に着くと僕は「成仏して下さい」と阿弥陀如来に祈った。浄土庭園の美しい寺だ。心がすっと晴れていく心地がした。レンタカー営業所に車を返した時は(言い忘れたがレンタカーなのだ)、泥の手形はきれいに消えていた。拭った跡もなかった。
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あの出来事を振り返ると夢でも見ていたように思えてくる。僕が霊現象に懐疑的なのは、物理的存在でない霊魂がなぜ物理的痕跡を残せるのか、という点にあるのだが、もし霊魂が存在するのなら、それは人の心理に作用するものなのだろう。そういう意味では、あれはある種の夢だったのかもしれない。
プロフィール
志賀 泉