撮影者の正体とは !?
Lyleさんは、アメリカのカリフォルニア州出身。日本の文化や工業製品をきっかけに、日本そのものに興味を持つようになったといいます。
「どうして日本が好きなのかを説明するのは難しい。好きな色を、なぜ好きなのか言葉にするのと同じくらい難しいです」
日本への関心が膨らんでいったのは、サンフランシスコに住んでいた頃のこと。海に面した公園で、西の方角をぼんやりと眺めては「この海の向こう側に、日本があるんだ……」と感じたのだそう。
海の向こうに思いを馳せる日々。ライルさんの中で、次第に「日本を実際に見てみたい」「日本のことをもっと知りたい」と思う気持ちが強くなっていきました。
「『よし、行こう!』と決めたものの、友人や家族に、日本に対する気持ちを説明するのは難しかった。なので、誰にも言わずに飛行機に乗って日本へ。家族には、品川から『日本に行きました』と絵葉書を出しました」
1990年から「日本」を撮影
こうして、ライルさんは1984年から東京に住み始めます。1990年からは、アナログビデオカメラを常備。日々の生活や、日本を散策する様子を記録するようになりました。
「写真を撮るのは、昔から大好きでした。ビデオを撮り始めたのは、それまで目の前にあった建物などが、どんどんなくなっていくのを目の当たりにして、『無くなる前に記録をしておかなくちゃ』と思ったからなんです」
「田無タワー」を見てみたい
ライルさんが田無を訪れたのには、2つの理由がありました。一つは、「田無タワー」を見ること。もう一つは、かつて建てられていたライオグランデ大学日本校の校舎を一目見るため。いずれも、日本のテレビ番組で見掛けて気になっていたのだそうです。その様子を撮影したビデオはこちら。当時の田無の印象について、「開発が進む前の田無駅前は活気があふれていて、ユニークに感じました」と振り返るライルさん。
「無くなる前に記録をしておかなくちゃ」というライルさんの言葉通り、2018年となった現在、ライルさんが残したビデオテープに映る街並みは、面影を残しながらも姿を変え続けています。田無という地域に限らず、当時の東京近郊の街並みを知る人にとって、ライルさんの撮った動画の風景は、とても懐かしいものなのではないでしょうか。
(※次ページでは、「ひばりが丘」の動画も紹介します!)