ビートルズって、何?【25】《"前に進み続けよう"とは決めたけれど・・・》

2024年10月1日

西東京ビートルズ倶楽部(NBC)代表 田中敏久

 好評頂いている【ビートルズって、何?】では、自分たちの音楽活動や社会の動きをどう思っていたのか、ビートルズや彼らを取り巻く人々とのdynamics(関係性/集団力学)に注目しながらたどっています。
 前回【24】では、モンスターアルバム "Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band”の直後にビートルズに訪れた<大きな変化と戸惑いの季節>の始まりについて考えてみました。
 今回は、ブライアンを失った喪失感の中、<Magical Mystery Tour>プロジェクトに取り組んでいた頃のビートルズについて見ていきたいと思います。
 たくさんの皆さんの感想やご意見、どうぞよろしくお願いします。  

 

 

 

 

<MAGICAL MYSTERY TOUR>プロジェクトを進めると決断 1967.9.1、5~8

 ブライアンの死から4日後の9月1日。
 ビートルズとニール・マルの6人は、ポールの家でミーティングを行います。
 この頃、ビートルズの面々は次のジョンの言葉にもあるように、まだまだブラインを失った衝撃と自分達が負わなければならなくなった事態の重さにおののいている最中でした。
 ジョン「これは、大変なことになったと思った。音楽以外のことに自分達の能力を思い巡らせたことはなかった。そして怖かった。『もうダメだ』と思った。」
 (この日、6人は自分達の手元には<ブライアンが手がけた筈の契約書が、音楽関係も映画関係も、一枚もない>ことを知って愕然とします。)
 それでもビートルズはこの日のミーティングで、この事態に立ち向かって「前に進み続けよう」と決断します。
 ニールが言うように、ビートルズは「この沈滞した状況から抜け出す道を見つけなければならなかった」のです。
 そして<超絶瞑想>を習得するためのインド行きを延期することと、<OUR WORLD>プロジェクトのために中断していた<MAGICAL MYSTERY TOUR>プロジェクトを早急に進めることにします。
 最も、この<MAGICAL・・・>の取り組みは前回お話ししたように元々<ポールのBaby>として考えられていて、他の3人はあまり気乗りがしていなかったこともあってか、次のマーチンやエメリックの発言にも見られるように、初めから先行き不透明な部分があったようです。
 マーチン「<MAGICAL・・・>のレコーディングは、とにかく準備がなっちゃいなかったし、あれでレコードが出たこと自体が不思議だよ。彼らはだんだんデタラメなことをするようになり、・・・全く秩序がないんだ。バスの旅だってひどいものだったらしい。」
 「<MAGICAL・・・>に関しては私はあまり口を出さず、彼らのしたいようにさせていた。すばらしい曲がある一方で、どうしようもないものもある。」
 「 'I Am The Walrus’は下準備ができていた。計画的な無秩序だ。あの曲は自慢できるよ。しかし、あまり自慢できないような計画性のない無秩序もあった。」
 エメリック「<MAGICAL・・・>には何かが欠けていたよ。アルバムにするつもりでもシングルにするつもりでもなく、映画のためだけに作ったという感じ。おかしな時期だった。」

 そして、9月5日に4人がレコーディング再開のためにアビーロードスタジオに集まった時も・・・。
 エメリック「リンゴは今にも泣き出しそうだった。ジョンはショックで呆然としている。」
 「(この日録音した)'I Am The Walrus’の演奏中、メンバー全員の顔に浮かんでいた虚ろな表情は今もはっきり覚えている。ビートルズと過ごした時間の中で一番悲しい思い出の一つだ。」
 どうも、前述のマーチンが言うような「無秩序さ」の背景には、このブライアンを亡くした衝撃の大きさもあったと考えるのが自然のように思われます。

 この時(5~8日)には、このジョンの 'I Am The Walrus’やジョージの 'Blue Jay Way’の他、ビートルズの公式録音では唯一のインストゥルメント曲で4人(Harrison/Lennon/McCartney/Starkey)が作曲者としてクレジットされている 'Flyig’の初期バージョンをレコーディングしたり、ポールの 'Fool On The Hill’のデモ演奏が録音されたりします。
 この 'I Am The Walrus’は、後にポールの 'Hello Goodbye’とのカップリングでシングルカットされますが、ジョンの曲がレコーディングの最初に取り上げられたことは同じですが、スタジオでの最初の印象・受け止め方は、直前の 'All You Need・・・’やその前の 'Strawberry・・・’の時とは随分違っていたようです。
 エメリック「薄暗いスタジオの灯りの下、僕らみんなに取り囲まれて、ジョンはモノトーンの物憂げな声で唄った。全員が当惑した表情になった。」
 「メロディーは大部分たった二つの音だけで構成されていたし、歌詞もただのナンセンスとしか思えなかったからだ。どうやらジョンは、セイウチ(Walrus)と卵男(Eggman)のことを唄っているらしい。だが、その理由は判然としなかった。唄い終わると一瞬の沈黙が流れ、ジョンは何かを期待するような顔でマーチンを見上げた。」
 ジョン「『 'I Am The Walrus’という曲なんだ。』で、・・・感想は?」
 マーチン(見るからに面食らい、言葉に詰まっていた様子で)「そうだな、ジョン。正直言って質問は一つしか浮かばない。一体全体この曲を、私にどうしてほしいと言うんだい?」
 ひとしきり神経質な笑い声が起こり、緊張は少しは緩んだけれど、明らかにジョンは不満そうだった。(とエメリックには思えました。)
 ぜひ、前号や前々号を読み返してほしいと思いますが、この曲と前述の2曲との違いは非常に大きかったと思います。
  ('Strawberry・・・’を最初に聴いた時のポールの<本当に素晴らしい(absolutely brilliant)>という言葉と、今回のマーチンの言葉を比べるまでもなく・・・。)
 それでもこの曲は、ジョンの「自分の声を月から聞こえてくるような感じにしてほしい」というリクエストに応えて、エリックがマイクのプリアンプを過剰入力状態にして<スムースで丸みのあるディストーション(歪んだ音)>にしてジョンの「OK」を得ます。
 それどころか、この<ディストーション>サウンドが気に入ったジョンは、その後でギターの音にもかけてほしいと言うようになります。
 そう、あの 'Revolution’や 'The End’で聴かれるジョンの歪んだギターの音は、こうしてビートルズのサウンドライブラリーに加えられるようになったのですね。
 これとは逆に、ビートルズ唯一のインストゥルメント曲 'Flyig’で聴かれるジョージのクリアーなギターのサウンドは、それまでのようにギターアンプから出た音をマイクで拾って録音するのではなく、ギターのケーブルを<DI(Direct In)Box>に入れることで、言わば「ギターを直接ミキサーに接続するのと同じ状態にして録音する」方法でレコーディングされたのです。
 この方法は、実は少し前の 'Penny Lane’の頃から、ポールのベースの録音で使われるようになっていました。
 エメリックは「メローでジャジー」な音と表現していますが、ギターアンプを通した音とはひと味違う、ノイズの少ないクリアーな音で録音することができます。
 どうも、この<DIBox>を使ってギターやベースを録音する方法は、何度もダビングを繰り返して多重録音を繰り返すという、当時のビートルズのレコーディングスタイルの必要性に迫られて、この頃のアビーロードスタジオで生まれたようなのです。
 実は、ロックで使われるエレキギターの音は、この頃登場したジミー ヘンドリックスや若者の間で<God(ギターの神様)>と呼ばれたエリック クラプトン等がギターアンプのヴォリュームを上げて大音量で演奏する<オーバードライブ>した<ディストーション>サウンドが主流になりつつあったのですが、逆にアコースティックなサウンドを得意とするグループの音も評価されていたのです。
 ジミーはポールやジョージが聴きに来たコンサートで、出たばかりの 'Sgt. Pepper’を弾いて二人の度肝を抜いたり、エリックはジョージの親友となって、少し後にジョージの 'While My Guitar・・・’でギターソロを弾くことを頼まれたりしていますね。
 何だかんだ言っても、やっぱりビートルズの音は時代の先端を行っていたんですね。

 因みに、この後11月24日に発売されたシングル 'Hello Goodbye/I Am The Walrus’は、クリスマスの全英チャートの1位となり、6週間維持しました。
 また音楽雑誌NME紙は、このシングルを「至上の大衆性。ビートルズは行き過ぎていたと感じていた人への完璧な回答」として高く評価しました。
 (ということは、シングル ’Strawberry Fields・・・’やアルバム ”Sgt. Pepper's・・・”のことを、「行き過ぎていた」と感じていた人達が結構いたということでしょうかね?)
 同じ頃、アメリカ版のアルバム(LP)"Magical Mystery Tour”がリリースされました。
 実はイギリスでは、EMIが 'Magical Mystery Tour’を、6曲入りの2枚組EPとして28ページの豪華カラーブックレット付で12月8日に売り出すことにしていたのです。
 この2枚組EPはその後大好評を博し、クリスマスまでに50万枚を売り上げました。
 アメリカ版のLPは、このEPの6曲をLPのA面に入れ、B面に”Sgt. Pepper・・・”以外に1967年に発売された5曲を収録したものでしたが、このアメリカ版のLP ”Magical Mystery Tour”も、翌1968年初めに大好評となり、最終的には150万枚のセールスとなって、1968年度のグラミー賞の最優秀アルバムにノミネートされました。

映画製作に乗り出したが、映画製作がどういうことか誰も分かっていなかった

 さて、この<MAGICAL MYSTERY TOUR>プロジェクトでは、音楽製作もあまり順調とは言えないスタートだったようですが、映画の撮影は更に混迷の度を深めて行きます。
 そもそもこのTV放映用の映画は、ポールの構想では<ヴィジュアル的にもサウンド的にも楽しめるマルチカラーのサイケデリックな饗宴になる予定>でした。
 しかし、当時のイギリスでは、まだまだカラーでのTV放送は一般には普及していませんでしたし、年末のBBCでの放送も当初は白黒映像での放送予定でした。
 結果的には翌年の1月にカラーでも再放送されますが、映画館の様な大きなスクリーンではない、当時の家庭用の小さいサイズの画面で見たところで、<サイケデリックな饗宴>という訳にはいかなかったのではないでしょうか?
 ポールは、当時の映像の世界の実態を全く理解できていなかったのでしょうか?
 それとも、随分前の<映画作品を作る>構想から、頭が切り替わっていなかったのでしょうか?
 恐らくは、ここでも先述の「ブライアンの死の衝撃」から逃れて先に進もうとする思いの強さ故の<判断の誤り?>のようにも思えますが、メンバーや関係者の次のような発言は、このプロジェクトの混乱振りを表しているように思えます。

 ポール「撮影時期が近づくにつれて、僕たちがそれぞれ、番組について非常に具体的なアイデアをもっていることに気付き、自分達の思い描く作品にするためには自分達で監督・編集するのが一番だと感じた。」
 ピート ショットン「脚本に最も近いものは、ビートルズのプレスリリースで配られた粗筋だった。『空の遠く雲の向こうに4人か5人のミュージシャンが住んでいました。彼らは素晴らしい魔法をかけることで、どこにでもあるありきたりなバスツアーを”Mgical Mystery Tour”に変えてしまったのです。』」
 ニール「私達は映画製作に乗り出したが、誰も映画製作とはどういうことか、全く分かっていなかった。現実的に考えて、ビートルズに映画監督として成功する見込みがあるとは思えなかった。」
 ジョン「僕は、僕たちがWalrusに扮するというフェリー二風のことをやってみたが、結局はあのeggman達のお陰で自分自身を混乱させるだけの結果になった。僕は映画製作について心底無知だったし、どう見てもカメラマンだって分かってなかった。それだけじゃない、他の誰一人として分かっちゃいなかった!」
 リチャード レスター※「監督のデニスが電話で『素晴らしい場所を見つけたぞ・・・。』と言うのを聞いた。すると今度は『ピラミッドの撮影にエジプトに行くつもりだ』となる。そして、次の日になると彼ら(ビートルズ)は心変わりする。デニスは気が狂いそうだった。彼らが最終的にそれを制作すると決意してから最初の撮影が行われた日までは、たったの2週間しかなかった。完全に準備不足で、生煮えの状態で始まった。」
 ※ビートルズの2本の映画やジョンを出演させた「ジョン レノンの僕の戦争」の監督

ミステリーバスは走り出した。されど・・・ 1967.9.11~15、18~24

 2週間続く<MAGICAL MYSTERY TOUR>の最初のバスでのロケが、この日始まりました。しかしそれは、のっけからこのロケや映画の行く末を暗示するような事件で始まったのです。
 この日の朝10時45分。ポールと一緒に乗り込む予定の乗客達(実はその多くは友人や関係者達)が出発場所に集まりました。しかし、肝心のバスの姿はどこにも見当たりません。
 実は、マルが大慌てで何とか探し出して借りたツアー用の大型バスは、この時まだ大急ぎで極彩色に塗りたくられている最中だったのです。何とバスが到着したのは、2時間も後のことでした。
 ようやく出発したバスが南西に走ってロンドン郊外で乗り込んできたジョン、ジョージ、リンゴが後部座席でこの後5日間着る撮影用衣装を選んだ後車内での撮影が始まり、途中立ち寄ったレストラン等でもアドリブでの撮影が行われました。
 ロンドンから300㎞程離れたこの日の目的地の高級ホテルでは、ポールが即席の記者会見をしていい加減な撮影プラン等を発表したりもしましたが、大もめにもめたスタッフや出演者の部屋割りを調整したりしていて、結局撮影は全く行われませんでした。
次の日も混乱は続きます。
 年に一度のお祭りが行われる予定の風光明媚な村に向けて出発したのですが、運転手が迂回路として選んだ経路の狭い橋で大型バスが挟まって身動きがとれなくなってしまい、結局1㎞近くバックで戻ってUターンすることになり、お祭りへの参加は断念せざるを得ませんでした。
 その後、20台も車を連ねて最初からずっとバスの後を付いてきていた取材陣のために、途中の歴史的名所の丘でフォトセッションやインタビュー取材を受けたりしました。勿論、その間に撮影はありませんでした。
 この後も何カ所か観光地や名所等に立ち寄るのですが、全く撮影されなかったり撮影しても結局使われなかったりと、いかにも行き当たりばったりの計画性のない撮影旅行?だったことが分かります。

 この後の撮影や編集の様子については、次のような言葉が大いに参考になるでしょう。
 マル「(スケジュールが大幅に遅れていたので)バスの中での撮影を増やし、登場人物のキャラクターをその場で決め、撮影を進めながらポールが脚本を書き、セリフを即興で作っていった。」
 「一日の撮影が終わった後、私はバス側面の”MAGICAL MISTERY TOUR”のロゴボードが天候とフアンによって受けたダメージを修復するために、夜遅くまで張り直していた。」
 ジョン「”じゃあここ、この部分は君が書いて”ってポールが言ったんだ。”どういう意味だい、脚本を書けって言うのか?”それで僕は、急いで夢の場面を書いた。太った女やスパゲッティやらいろいろね。」
 ポール「あれは、普通の映画というよりは、アートフィルムだったんだ。僕らみんなあれでいいと思ってた。’I Am The Walrus’の演奏シーンはあの中でしか見られないんだし、実際に演奏したのはあれだけなんだよ。そういうことだけでも、十分にあの映画は見る価値があると思う。」
 「ジョンのスパゲッティの夢のシーン。あれは、彼が実際に見た夢なんだよ。”夕べこんな変な夢を見た。やってみたいな。僕がウエイターで・・・”って。それで、そのアイデアを全部入れたんだ。」
 「まるで、計画性なし。そうやって人間は学んでいくんだよ、失敗によってね。」
 「幾つもの小さい間違いが重なっていった。例えば、カチンコってものを全然使わなかったから、編集の段階ですごく大変なことになった。編集に予定していた期間は2週間。それが実際には11週間かかった。だから編集でちょこっとばかり予算をオーバーしてしまったんだ。」

・・・伝説は、その魔法の神秘の幾分かを失った 1967.12.26~28

 BBCがNEMSから一万ポンドで放映権を購入して、イギリスでは休日の12月26日(Boxing Day)の夜8時25分から白黒で放映した”MAGICAL MISTERY TOUR”は、75%という脅威的な視聴率を獲得し、全英で1500万人が試聴したと言われます。
 しかし、時間が経てども「どこにも連れて行ってくれない」「全く何も起こらない」、訳のわからない白黒映像に次第に苛立った視聴者は、番組が終わる頃には一斉に抗議の声を上げ、ビートルズがそれまでにされたことがない程のあからさまで厳しい批評・悪評が、瞬く間に拡散してしていったのでした。
 サン紙「昨晩、BBCの電話交換台はビートルズの”MAGICAL・・・”に抗議する人々からの電話でパンクした。一部の人達は、BBCのこの番組は理解不能だと抗議した。」
 デイリーミラー紙「ガラクタ、たわごと、ナンセンス!」
 デイリーエクスプレス紙「恥知らずなガラクタ」
 ポール「僕らは挑戦して、自分達でやってみたかった。批判も予想していた。でもこれ程酷いとは思わなかった。物語の筋等ないのに、あまりに多くの人達がそれを探したことが間違いのもとだった。・・・何かまずいことをやらかしたかも知れないと僕は思った。」
 「僕らはカラー映画を作ったのに、白黒で放映された。つじつまの合わない重要なシークエンスがかなりあった。僕はTVで見ていたが、色が変わるのが面白いシークエンスは、白黒ではただばかばかしいだけだった。」
 ジョン「旅という設定だったから僕は気に入っていた。みんなは気に入らなかったらしいけど、それでもよかった。でも、ちょっと”何も起こらない”箇所が多すぎたね。”全く何も起こらない”ところがあった。」
 ポール「この作品が”Magicl”で”Mystery Tour”だということをみんなが理解してくれると思ったことが間違いだった。話の筋はなく、混沌としていた。意図的にそうしたんだ。僕らはファンタジーを楽しんだし、それを作り上げようと努力した。」(28日)
 デイリーメール紙「彼らは初めて過ちを犯し、それを認め、高い代償を払った。このたった2・3日の間に、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴの伝説は、その魔法の神秘の幾分かを失った。」(29日)

 この作品の持つ意味については、次のようなマーチンの言葉が一番的を得ているように思いますが、皆さんはどう思いますか?
 マーチン「”MAGICAL・・・”は成功作とは言えない。ホントのところ、それでも控えめな言い方だ。カラーフィルムで撮って白黒で放映したんだよ。あれは酷かった。大失敗だね。大げさで気取っていると誰もが言っていた。ただ、あれは、一種のアヴァンギャルドな(ミュージック)ビデオだったとも言えるんだよ。」
 「(ミュージック)ビデオというものを初めて製作したのはビートルズだ。今ではビデオは(音楽製作の)仕事の一部だと見なされているがね。”MAGICAL・・・”はむしろ、趣向を凝らした(ミュージック)ビデオだったんだよ。」

 ともあれ、こうしてビートルズは”Sgt.Pepper・・・”での音楽界での革新的脅威的な評価から一転して、組織的経営やビジネス面での未熟さを露呈させて味わった苦汁とかけがえのない支援者ブライアンを失った喪失感とを抱えながら、新しい年を迎えていきます。

*********

 皆さんもビートルズの曲を唄ったり演奏したりしながら<ビートルズサウンドの秘密>を一緒に考えませんか?
 西東京ビートルズ倶楽部(NBC)では、今までもビートルズ好きの皆さんがリアルで集まって ビートルズのCDを聴いて語り合ったりビートルズの曲をライブで聴いたりするイベント等を行ってきました。今「ビートルズのこの曲なら弾ける」とか「演奏してみたい・唄いたい」という皆さんと一緒に<ビートルズサウンドの秘密>を考える<ビートルズ倶楽部バンド>のメンバーを募集しています。思いは様々でも、一緒にビートルズの曲プレイして、語り合いましょう!
 ジョンやジョージ(ポールも!)のギターパートが弾ける方は勿論、いろいろな楽器でのチャレンジや「ビートルズを唄いたい」方もお待ちしています。
 また、このサイトの内容やビートルズについてのご意見・感想等、はいつでもお待ちしています。特に、<ビートルズの楽曲の中でどの曲が好きか、好きな理由やその曲にまつわる皆さん自身のエピソード等々>は大歓迎です。
 皆さんの熱い・厚い想いを、メールでご連絡下さい。お待ちしています! 
 ※イベントの申込やNBCへの意見・感想等のメールも、下記までお願いします!

西東京ビートルズ倶楽部(NBC)

アドレス: nbc4beatles@outlook.jp

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