西東京ビートルズ倶楽部(NBC)代表 田中敏久
好評頂いている【ビートルズって、何?】では、自分たちの音楽活動や社会の動きをどう思っていたのか、ビートルズや彼らを取り巻く人々とのdynamics(関係性/集団力学)に注目しながらたどっています。
前回【23】では、モンスターアルバム "Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band”に取り組んでいた頃のビートルズやマーチン達の生みの苦しみについて見てきました。
今回は、その直後にビートルズに訪れた<大きな変化と戸惑いの季節>の始まりについて考えてみたいと思います。
たくさんの皆さんの感想やご意見、どうぞよろしくお願いします。
<'Magical Mystery Tour’のレコーディング>1967.4.25~27・5.3~4・11.7
4月21日にアルバム ”Sgt. Pepper's・・・”のミックスダウンが終わったばかり(発売は6月1日)だというのに、働き者?のビートルズの面々は、4日後の25日にはアビーロードスタジオに集まって次なるアルバムのタイトル曲になる筈だった 'Magical Mystery Tour’のレコーディングを始めました。
その時にできていたのは、曲名と出だしの歌詞とメロディぐらい、という先行き不透明な作業をやや強引に始めたのはポールでした。
この頃のことをジョンは、ブライアンとの関係も想起しながら次の様に言っています。
「ブライアンが<そろそろレコーディングしよう>、<そろそろこれをやろう>って言いに来るような気がしてたんだよ。でも、ポールがそれをやり始めたのさ。<さあ映画を作ろう。さあレコードを作ろう>って。彼は、自分が声をかけなきゃ誰もレコードを作ろうとしないと決めつけていた。」
「ポールがマルと一緒に考えてきて、僕にそのアイデアを聞かせてくれた。彼は最初からストーリーや作り方も全て考えてきていた。ポールはいつもそういうやり方だった。」
勿論ポールは、「ジョンは<"Magical・・・”はポールのとてつもないエゴトリップだ>と言っているけど、とんでもないよ。みんなのためだったんだ。僕たちが一緒にやっていくため、続けていくため、何か新しいものを生み出すためのね」と言います。
ジョージも「この頃ポールは、誰かが何かやらなきゃいけないと思ってたんだ。それで彼の考えていることを押し出していこうとしたんだよ。でも僕は本当に参加していたとは言えない」と言っていますが、どうも、必ずしも全員が同じ気持ちで取り組んでいたとは言えなさそうですね。
そもそも、この<ビートルズの面々が大型バスに乗って、おかしな乗客達と一緒に行き先の分からないMystery tourに繰り出す道中をTV映画とアルバムにする>というアイデアは、ジョンの言うようにポールの発案でした。
前回お話ししたように、”Sgt. Pepper's・・・”のレコーディング日程を4月初めで終わりにしてアメリカ公演中のジェーン アッシャーの誕生日を祝うために渡米していたポールが、マルと一緒にイギリスにもどる飛行機の中で思いつき、丸い円盤を書いた画用紙に映画の構成案や曲の歌詞等を書き込んでいたのでした。
映画そのものの撮影は9月にようやく始まることになるのですが、アルバムのレコーディングはビートルズにとってはお手の物・・・でもなかったようです。
このタイトル曲 'Magical Mystery Tour’のレコーディング自体は何とか5月3日までで終わりましたが(11月はアルバム全体のミックスダウン)、その後は何のためか意味不明で非生産的なジャムセッション(スタジオのマーチン達があきれて先に帰ってしまった!)やこの時期にアメリカで進行していたアニメーション映画 "Yellow Submarine”の曲のレコーディング等が入ってきたりして、アルバム "Magical Mystery Tour"の作業はなかなか進みませんでした。
この頃のビートルズの様子について、一緒に”Sgt.・・・”を仕上げたエメリックは次の様に・・・。
「正直、"Magical・・・”には、ポール以外のメンバーはそれ程熱を入れていなかった。これは、彼の<ベイビー>で、他の3人は単に付き合っているだけという感じだった。」
「今になって振り返ると、スタジオへの復帰があまりにも早過ぎたことは、誰の目にも明かだろう。クリエイティブなエネルギーを残していたのはポールだけで、彼は絶対に "Sgt.・・・”を超えてやろうと強く決意を固めていた。」
「悲しいことに "Sgt.・・・”は、4人のメンバーが一丸となって臨んだビートルズ最後のアルバムとなってしまう。勿論それ以降にも充実したレコーディングがなかった訳ではないけれど、回数はぐっと少なくなった。ひび割れが見え始め、緊張が次第に表面にまで浮き上がってくるようになっていた。」
<誤解しようがない。≪愛が全てだ≫とはっきり言っているんだ。>1967.6.14~26
そして、"Magical・・・”の製作を一時中断して取り組まざるを得なかったのが、6月25日夜(日本では26日朝)に放送予定の<人類史上発の全世界同時生中継テレビ番組”Our World”>へのイギリス代表としての出演=<新曲のレコーディングそのものを全世界に向けてライブ放送する>という一大プロジェクトでした。
この”Our World”の企画には、日本のNHKを始め、イギリス・アメリカ・オーストラリア・カナダ等の英語圏はもとより、フランス・イタリア・西ドイツ(当時)・スペイン・・・等々の18カ国の放送局が番組を提供し、更に13カ国も放映のみすることになっていて、世界中の5億人が視聴する予定でした。(実際には直前に共産圏の国々が離脱。逆にデンマークが参加・番組提供しました。)
そんな巨大プロジェクトでしたが、前述のような脱力期の故か、後述するような経緯があったからか、ビートルズの取りかかりはいつになくのんびりしていて、曲創りにとりかかったのは残り2週間あるかどうかの頃でした。
BBCからの唯一の注文が「全世界の視聴者が理解できるようなシンプルな曲にしてほしい」ということだったのですが、ジョンが書いてきた曲 'All You Need Is Love’は、正にポールも納得の、うってつけの曲でした。
ポール「バックトラックを作り終えてみると、ジョンの曲こそこの番組に相応しいと確信した。」
マーチン「ジョンはあのTV番組のために 'All You Need Is Love’を書いた。ある種、挑戦だったね。曲を形にするまで2週間も猶予がないんだ。しかもそれから、3(4)億人もの人が見る番組だと聞かされてね。あの当時では天文学的数字だよ。あの曲のアイデアはジョンが考えついたんだが、まさに理想的で素晴らしいものだった。」
ブライアン「世界中に中継される番組で使うものだから、彼らは世界にメッセージを送りたいと考えたんだ。これなら誤解のしようがない。<愛が全てだ>とはっきり言っているんだから。素晴らしく、美しく、背筋がゾクゾクするようなレコードだ。」
ジョージも「ジョンは驚くべき拍子の感覚を持っている。いつも独特の変拍子を考え出していたんだ。例えば 'All You Need Is Love’だ」と言って、この曲でもジョンのコロコロ変わる拍子の取り方のことを言っています。ということで、実は同じような歌詞なのに音符の長さが微妙に違う等の<ジョンの曲らしい>特徴をもった曲になっています。
また、さすがに放送当日の緊張したメンバーの様子について、エメリックが語っています。
「・・・本物のパーティーっぽい雰囲気が漂うなかで、ジョンが彼にしては珍しくありありと緊張の色を浮かべているのが、何よりも印象的だった。あんなにも緊張している彼は、今だかって見たことがない。」
「そばを通った時、僕は彼の『ああ神様、どうか歌詞をまちがえませんように』というつぶやきを聞いた。というのも、今夜ばかりは自分の記憶力を頼るしかなかったからだ。」(いつも側に置いていた歌詞カードは、隅っこに押しやられていて見ることができなくなっていたようです。)
「ポールは、一見自信ありげにしてしていたけれど、凍りついたような奇妙な笑みは、心のおののきを物語っていた。」
(マーチンの「さあ行こう」の呼びかけの後、4分程の放送が始まりました。)
「ビートルズも感動的なパフォーマンスを披露し、最後のフェイドアウトに入って無事にやりおおせたと分かった時には、見るからにホッとしたような表情を浮かべていた。」
「ジョンは、・・・素晴らしいヴォーカルを披露した。ポールのプレイはいつものように堅実で、ミスは全くなかったし、ジョージのソロまでが上々のできばえだった(最後に少ししくじっているが)。」
「結局、そのソロにエフェクトを追加し、最後のしくじった音を引っ込めるだけでよかった。ポールのベースプレイは問題なく(手を加える必要は一切なかった)、ジョンのヴォーカルも、2番の歌詞を2行差し替えただけ」・・・という立派なパフォーマンスでした。
イギリスで日曜日に放映されたこの 'All You Need Is Love’(/'Baby You're Rich Man’)のシングルは、2週間後の金曜日に発売され、7月10日付け全英チャートで初登場1位となり、4週間それをキープしました。
このようにビートルズにとっては大成功だったと言っていいこのプロジェクトでしたが、どうも、ビートルズは最初から大乗り気だったという訳ではなかったようです。
エメリックによれば、この話をブライアンが最初に持って来たときのビートルズの様子は・・・。
(ビートルズが "Sgt.・・・”の仕上げにしゃかりきになっていた頃、・・・珍しくスタジオに来たブライアンが大げさな手振りで静かにするように言ってから話し出します。)
「ボーイズ。今日は最高に素晴らしい知らせを持ってきた。」全員が耳をそば立てます。
「君たちは・・・史上初のテレビ番組に、イギリス代表として出演することになった。」
ブライアンは、いかにも誇らしげな表情で部屋中を見回しますが、ビートルズの反応は全く期待外れのものでした。・・・あくび。・・・ジョージはギターのチューニングを再開し、ジョンとポールはしばらくの間、ぽかんと顔を見合わせていました。・・・。ポールはさほど興味を引かれたようには見えませんでした。多分 "Sgt.・・・”を仕上げること以外、何も考えられなくなっていたのでしょう。
明らかに熱意のこもっていない口調でジョンが最後に言います。
「分かった。ちょっと何か考えて見るよ。」
そして、激怒して自分がどれだけ苦労したかを語るブライアンに対してジョンが言い返します。
「しょうがないだろ、ブライアン。先にオレたちに訊きに来ないからこういうことになるんだよ。」
ブライアンは言葉を逸し、泣き出しそうになりながら、荒々しく部屋を出て行きます。
どうやらビートルズの面々は、この話を「二度とステージに立たない」という彼らの宣言に逆行した行為で、更にその話をブライアンが独断で進めたことに腹を立てていたようです。
(恐らくプロジェクトの性質上この話は秘密裏に進められていたようで、決定するまでは口外無用だったと思われます。ビートルズの面々が口が堅いと思われていたとは思えませんから・・・)
確かに、歴史的傑作として評価されることになる作品 "Sgt.・・・”の仕上げに没頭しているレコーディングアーティストとしてのビートルズの面々にとって、例え世界的規模になるとしても、今更プロモーションのために<ライブで演奏する>ことは、あまり気乗りがしない、言わば願い下げの企画だったのではないかもしれませんね。
逆に、ブライアンにしてみれば、ライブやツアーをしなくなったビートルズに対して自分ができる最大限の貢献のつもりで、精一杯苦労してきたという熱い思いは十分に理解できます。
後述のように「愛するビートルズのためにはどんなことでもしてあげたい」という思いに溢れていたブライアンにしてみれば、しばらく振りに自分がしてあげれることに巡りあって、喜んで取り組んでいたのだろうと推測できます。
残念なことに、この後両者の思いは再び交わることなく、突然の別れへと進んでしまうことになるのです。
<新しい出会いの始まりには、一つの物語の終わりが・・・> 1967.8.24~27
ジョージ「まるで、古い映画を見たときのようなショックを受けた。何しろ、本の第一部の最後のページをめくると、次のことが起きる前に一つの話が終わっているようなものだった。ブライアンの死はそんな感じだった。ひとつの章の終わりなんだ。」
ビートルズの面々やミック ジャガーとそのパートナー達は、8月24日にロンドンのホテルで開かれたインド出身のグル(導師)マハリシ ヨギのレクチャーを受けます。
<超越瞑想>と言われるこのマハリシの教えは、マントラを唱えて瞑想することを中心としたもので、ヒンドゥー教の文化的背景を持たない西洋人に合わせて調整された、高度に単純化されたヒンドゥー教の一形態であるとも言われます。
当時既に、ジョージや奥さんのパティが強い関心を持っていたようですが、このレクチャーを受けてビートルズの面々、特にジョンが非常に感銘し、マハリシの強い勧めもあって、次の日から北ウエールズ・パンゴアの大学で開かれる<瞑想教室>のセミナーに急遽参加することになります。
ジョン「僕たちは『何ていい人物なんだ』と感じた。僕たちはそれを求めていた。そして彼と出会い、出会った彼はいい人だった。彼は自身の中に善良なものを持っている。だから、僕たちは彼についていった。」
実はブライアンも誘われたのですが、その週末は自身の別荘で親しい友人達と過ごす予定が前から入っていたので、セミナーの後半から参加するような話もしていたようです。
そして、その週末。来ることになっていた友人達が「来られなくなった」と聞いたブライアンは、先に来ていた2人の仲間を別荘に残したまま、夕食後急遽ロンドンの自宅に戻ることにします。
「朝食までには戻る」と言い残して出たブライアンですが、結局次の日になっても戻らず、心配した執事や医師を連れた友人達がドアを壊して寝室に入ると、ベッドの上で静かに眠るように亡くなっているブライアンを発見したのです。彼らはすぐに、パンゴアのビートルズに連絡します。
(マハリシの瞑想教室の会場でポールと話している時に、電話がかかってきた。ベルが鳴り続けていたのでポールが電話の所に行き、受話器を取り上げる様子が目に入った。)
ジョージ「まさか。そんなばかな、ばかな。」という彼の声が聞こえた。
ポール「ジョージ、ブライアンが今朝自分のベッドで死体で発見されたんだ。」
「彼は今日僕らと合流予定だった。そのブライアンが今朝自分のベッドで死体で発見された。」
「睡眠薬の飲み過ぎらしいが、本当の所はよくわからない。すぐに、僕らはロンドンへ引き返さなければならない。」
こうして、デビュー直前からビートルズのことを一身に思う友人でもあり、深い愛情を持ってその活動を支えてきたマネージャーでもあり、仕事についての決定事項を全て通していた総合プロデューサーでもあったブライアンを、突然失ってしまったビートルズ。
ビートルズ唯一の公認伝記の作家でもあり彼らの友人でもあったハンター ディビスはビートルズに対するブライアンの思いを次の様に書いています。
「彼はビートルズと一緒にいるときはいつも快活だった。彼の最大の喜びはビートルズと一緒にいることだった。ビートルズのために何でもしてやることが好きだった。」
また、ビートルズの面々の次のような言葉は、突然現れた大きな壁に対する彼らの戸惑いと驚きを如実に表していると思います。
ジョン「ブライアンが死んで、ビートルズは最悪の時期の一つに追い込まれた。とにかく僕たちは準備ができていなかった。そんなだったのに、突然自分達だけになったことに気付いた。」
ジョージ「僕らはどうしていいか分からなかった。彼が亡くなった時、僕らは突然、ブライアンと契約を結び、彼と関わりを持っていた多くの人たちの存在を知らされた。とにかく悲惨だった。」
「彼が亡くなったために、僕らは突然自分達で責任をとる方法を見つけなければならなかった。ビジネスは全てブライアンが仕切り、何も問題はなく順調だと僕らは疑わなかったし、その当時はビジネスに関することはよく分からなかった。」
<この頃、実はもう一つの出会いと別れが始まっていた・・・?>
この、マハリシとの出会いとブライアンとの別れの時期。実は、どうもビートルズの周りではもう一つの<出会いと別れ>が始まりかけていたようです。
当時ジョンの奥さんだったシンシアはこの時の不思議な出来事をよく覚えていました。
シンシア「私がヨーコ オノと初めて会ったのは、ロンドンでのマハリシの瞑想セッションでのことだった。・・・この集まりがあった夜までは、私はこの女性について何も考えたことはなかった。」
「その夜、彼女は全身黒ずくめで現れ、部屋の隅で静かに座っていた。初めてヨーコを目にした時、私は彼女はジョンの運命の人だと悟った。純粋な直感よね。」
「相性はぴったりで、彼らを取り囲んでいた精神的なオーラはほとんど同一のものだった。この段階でジョンは、そんなことを考えもしていなかったと私は確信しているけど。」
ジョンの幼い頃からの親友で、生涯に渡って深い付き合いがあったピート ショットンも、同じ集まりに参加してヨーコに会っていました。
ピート「僕はヨーコとは初対面だった。あの時点では、物静かで笑わないヨーコは、最近になってジョンの奇人コレクションに加わった取り巻きに過ぎないように思えた。」
そして次の日。<瞑想教室>に向かうべく、ビートルズとその一行はマハリシ達と列車に乗り込むのですが、フアンと間違えられたシンシアは、警官によってホームに留められてしまうのです。
シンシア「私は、列車がゆっくりとホームを離れるのを目に涙を浮かべて眺めていた。・・・列車に乗り遅れた時、それが自分の未来について私が抱いている様々な予感と同調するできごとになると、私には分かっていた。・・・駅のホームで私が感じた孤独は、そう長い時間を待つことなく永遠の孤独になる。私はそう思って身も凍る思いだった。」
恐らくは何の根拠もなく、ただ<愛する人の思いが自分から離れていく>ことを実感してしまったかのようなシンシアの予感は、残念ながら現実のものとなっていきます。
それにしても、<ジョンとヨーコのオーラが同一だった>ということを感じ取ったシンシアの感性も、さすが一時期にせよジョンと愛し合っていた女性ならではのものなのでしょうか?
実は、ジョンが新進気鋭の前衛芸術家としてロンドンで活動を始めたばかりのヨーコと初めて出会ったのは、前年の11月でした。
スペインでの映画撮影から帰って2日後、当時ポールが支援していた<インディカ ギャラリー>で開かれたヨーコの個展の開催前日の内覧会でのことでした。
そこでジョンは、「天井の絵」という作品に出会い、心を動かされます。
部屋の中央の白い脚立を登って天井に貼られたキャンバスに描かれた"YES"の小さな文字を虫眼鏡で見たジョンは、「これはいける。心を温かくしてくれる作品だ。」と感じたのです。
ヨーコも、開催前なのに「釘を打ってもいいか?」とジョンに聞かれ、「5シリング払ってくれたら打たせてあげます」と応えたら「5シリングあげたつもりで釘を打ったつもりになるよ」と応じたジョンと初めて顔を見合わせます。
ジョンは「その時、僕らの目が合い、彼女はピンと来て、僕もピンと来た」と振り返ります。
そして「でも時間はかかった。どっちもすごくシャイだったからね。・・・でもホントに付き合うようになるのは、それから1年半か2年くらい先だよ」と。
この後、前述のような出来事へとつながって行くのでした。
このもう少し後のことになりますが、ポールも熱烈に愛していたジェーン アッシャーとの婚約を破棄され、ジョージも曲を幾つも捧げた最愛の妻パティとも結局分かれることになります。
男女の愛にはいろいろな時期や姿・形があると思いますが、ビートルズの面々の場合には、彼らの音楽的な変化・成長と求める愛の姿には深い繋がりがあるように思えてなりません。
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皆さんもビートルズの曲を唄ったり演奏したりしながら<ビートルズサウンドの秘密>を一緒に考えませんか?
西東京ビートルズ倶楽部(NBC)では、今までもビートルズ好きの皆さんがリアルで集まって ビートルズのCDを聴いて語り合ったりビートルズの曲をライブで聴いたりするイベント等を行ってきました。今「ビートルズのこの曲なら弾ける」とか「演奏してみたい・唄いたい」という皆さんと一緒に<ビートルズサウンドの秘密>を考える<ビートルズ倶楽部バンド>のメンバーを募集しています。思いは様々でも、一緒にビートルズの曲プレイして、語り合いましょう!
ジョンやジョージ(ポールも!)のギターパートが弾ける方は勿論、いろいろな楽器でのチャレンジや「ビートルズを唄いたい」方もお待ちしています。
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