遠く離れた地で受け継がれる伝統
およそ40種類におよぶ舞を夜通し踊り続けることから、「奥三河の奇祭」とも呼ばれている愛知県の「花祭り」。無病息災や五穀豊穣を祈るために鎌倉時代から続く伝統的な祭りで、国の重要無形民俗文化財にも指定されています。そんな「花祭り」を、遠く離れた東久留米の地で受け継いだ「東京花祭り」が12月9日(土)に開かれます。
(※編集部注 イベントは終了していますが、地域情報として掲載を継続しています)
愛知の伝統文化がなぜ東久留米に?
「花祭り」は、無病息災を祈って湯をかける「湯ばやし」のほかに、巨大な鬼の面を着けて踊る「鬼の舞」、太鼓のリズムに乗って軽快に踊る「花の舞」が見どころ。特に「花の舞」は、幼児から小学生の子どもたちによる踊りで、村の発展の象徴でもあります。
本来は愛知県の伝統文化である「花祭り」が、東久留米の地で「東京花祭り」として開催されるに至った経緯には、この「花の舞」と、当時小学生だった1人の子どもの存在が深く関わっていました。子どもの名前は、廣木穣(ひろき・みのる)。東久留米市に住む男の子です。
発端は、1987年、日本民族舞踊の研究を行う「東京民族舞踊教育研究会」(以下、民舞研)が花祭りの見学のため、御園(みその)地区に足を運んだ時のこと。
民舞研メンバーの子どもである廣木さん(当時5歳)が、祭りの太鼓や笛の音に合わせて楽しそうに踊っていたところ、現地の人に気に入られ、本番前の数日間に渡って行われる「舞習い」という練習に参加することになりました。さらに、翌年の花祭り本番では、現地の子どもと共に舞を踊ることに。
過疎の村に山村留学
2年後、廣木さんが御園小学校に1年間の山村留学をすることになりました。過疎化による子どもの減少が進み、御園小学校が閉校になることを受け、「閉校までの1年を御園で過ごしてみないか」と誘われたのです。
こうした縁があり、民舞研および同会から派生した東久留米の「北多摩民俗舞踊研究会 ダガスコ」は5月の連休や夏休みに舞を教わるなど、現地の花祭り保存会との交流が続いていきました。
それから4年が経った1993年、農協主催による「民俗芸能と農村生活を考える会」で舞を披露するために、御園の花祭り保存会が上京。公演は好評でしたが、ここでは「花の舞」を行うことができませんでした。
「御園にはもう、子どもがいないからなあ。東京にはたくさんいるのにね」
この言葉が「東京花祭り」開催の火種となりました。
気付けば東京で四半世紀
そして、別の一人がこう続けます——「御園の舞を、他の地域でも伝承していけると思う。本気でやってくれるのなら、東京の子どもたちにも喜んで教えていきたい」。以前、廣木さんが現地の子どもたちと「花の舞」を踊った姿を目にしての言葉でした。
こうして、御園小学校に山村留学をした1人の小学生をきっかけに、「東京花祭り」の開催が決定。参加メンバーの交通の便などを考え、練習および開催場所は、廣木さんが住む東久留米で行うことに。1993年12月には、東久留米市立滝山小学校の図書館で、第1回目の「東京花祭り」が開催されました。
それ以降は、東久留米で毎年「東京花祭り」を開催。小学校の図書館で始まった祭りは次第に規模を広げ、10年目には本場と同じく、野外での開催を果たしました。そして、2017年の今年、開催25周年を迎えます。
参加するのは「東京花祭り」実行委員会のメンバーやOB・OG、参加する子どもの家族などの約100人。愛知県東栄町の「御園花祭保存会」も毎年参加しており、長年にわたる交流が続いています。
そして、遠く離れた地で伝統を受け継ぐことになった1人の小学生は、今では36歳に。かつて、現地で教わった舞を、東久留米の子どもたちに教える立場になりました。
「花祭り」の「花」は、子どもを指しているとも言われています。「花の舞」は、未来を象徴する子どもを神様に見立てた舞でもあり、現地では、自分の子どもを「花の舞」に出すことが夢なのだといいます。
タウン通信では、2010年、当時29歳だった廣木さんに取材を実施。この原稿を書きながら、廣木さんが話していた言葉が鮮明に蘇ってきます。
「今、生まれて4ヶ月の息子がいるんです。将来、『花の舞』を踊る我が子の姿を見るのが夢ですね」
あれから7年。廣木さんの夢がどのように花を咲かせたのか、間近で見るのを待ち遠しく思っています。
<開催日>
2017年12月9日(土)
11:00〜19:00
東久留米市西部地域センター前広場(東久留米市滝山4-1-10)
(※編集部注 イベントは終了していますが、地域情報として掲載を継続しています)
<記者の一言>
「東京花祭り」は、タウン通信で執筆した記事の中でも、印象深い取材の一つです。資料を読みながら、なんてドラマチックなんだろうと胸が震えたのを覚えています。
特に、廣木さんが話してくださった祭りの意義は、私の中にあった「たこ焼きを食べたり、おもちゃが当たるくじ引きをするもの」という稚拙な祭りのイメージを覆すものとなりました。
「(祭りに参加する人たちのことを)一つの大きい家族のように感じています。現地の村は人口が100人ほどですが、「花祭り」の練習を一緒にすることもあって、村中の人がお互いの名前を把握している。一方、東京では2軒隣の人の名前も知らなかったり、関係が希薄だったりしますよね。
私は、この花祭りの存在によって、東京でも、現地のような地域の輪を広げることができるのではと思っています。参加している子どもたちには、多くの人と出会い、苦楽を共にできる喜びを感じてもらえれば。花祭りをきっかけに、この地域が、人とのつながりのある豊かな場所になれば、何よりの幸せです」
当日は、500円の「協力券」を購入することで、鍋物や甘酒・お酒を振舞ってもらえるとのこと。みなさんも是非、足をお運びください。
(文・石川裕二)