西東京ビートルズ倶楽部(NBC)代表 田中敏久
好評頂いている【ビートルズって、何?】では、自分たちの音楽活動や社会の動きをどう思っていたのか、ビートルズや彼らを取り巻く人々とのdynamics(関係性/集団力学)に注目しながらたどっています。
前回【16】は、いよいよ息を吹き返したビートルズがジワジワと新しい姿を現し始めた頃、新しい方法でアルバム”HELP!"をレコーディングしていた頃を見てきました。
今回は、2度目のアメリカやヨーロッパでのツアーの後、ビートルズの作品作りの転機となったアルバム"Rubber Soul"に取り組んでいた頃を見ていきます。
たくさんの皆さんの感想やご意見、どうぞよろしくお願いします。
気乗りのしないヨーロッパ・アメリカツアー <1965.6.20~7.3、8.13~31>
アルバム"Help"のレコーデイングがようやく終わり、ラジオのインタビュー等を受けた後の6月20日。ビートルズは短いヨーロッパツアーに旅立ちます。
まず、パリでは前回の1964年の時よりはよほど温かいコンサートとなり、ビートルズとしては異例のアンコールに応える場面もありました。
その後、7月3日まではイタリア・パリ・スペインでの公演。イタリアでの公演では、チケット代の高さ等もあってか空席が目立つ会場も多く、半分以上空席の場合もあったとのこと。
7月・8月にはテレビ番組への出演やインタビュー等もあり、その後8月14日のエド サリバン ショーへの出演を口切に、2回目のアメリカツアーが始まりました。
まず、15日には歴史的イベントと言われたニューヨークのシェア スタジアムでのライブです。
この時、観客動員数55,600人、総収益304,000ドル、は当時のポップミュージックでの世界記録となり、ビートルズ側の報酬の16万ドルも世界最高だったと言われます。
テレビ番組のための撮影でも、ヘリコプターと装甲トラックを乗り継いでの会場入りから始まりコンサート当日の興奮状態やフアンの熱狂ぶり等、熱い映像が続きます。
また、イギリスの放送局も、現地に直接スタッフを送り込んでインタビューや各地の様子をドキュメンタリー番組として編集する等、マスコミの過熱ぶりも伝わってきます。
ツアー中にはRストーンズのメンバー等、気心の知れたミュージシャン仲間の来訪等もあったようですが、インタビューで「街を見て回ることができたか」と聞かれた時の次の様な言葉からは、この頃の彼らのツアーに対する残念な気持ちが伝わってきます。
「そうしようという努力もあまりしなかった。ここに働きに来ているいる間は、そういうことは期待していない。見て回ることは期待していない。もしまだ生き長らえていたら、40才になったときに戻ってきて、面白そうに思えた場所を見に行くよ。」とはジョン。(下線筆者。次段も。)
「いずれにせよ、僕たちはツアー中はプライバシーが全くないことを覚悟している。オフの時は十分にある。悪いことの中にあるいい面をとにかく探すのさ。楽しむんだ。」(リンゴ)
(リンゴの言葉通り、ビートルズはこのツアーの後6週間の完全休暇を取りました。)
なお、このツアーの終わる少し前の27日~28日の深夜。ビートルズは彼らのかってのアイドルだったエルビス プレスリーの自宅を訪れています。
これはマネージャー同士(ブライアンとプレスリーのマネージャー、パーカー大佐)の企画だったようで、もともとこの頃にはプレスリーに対する気持ちも随分冷めていたビートルズの面々にとっては、あまり気乗りのしない会合だったようです。
盛り上がる会話も出ずに時間ばかり過ぎていくのに嫌気がさしたプレスリーが、レコードをかけてギターを弾き出してからは、その場の雰囲気が明るくなって、そのまま5人でジャムセッションを楽しんだという話です。
どうもこの夜の会合を一番喜んでいたのは、ビートルズと出会う前にプレスリーの大フアンだったマル エバンスだったようで、後にプレスリーがこの夜のことを聞かれて「印象的だったのはロードマネージャーのマルコム エバンスだ」と答えたと聞いて、大喜びだったようです。
一大転機となった<分身としてのアルバム>
"Rubber Soul" のレコーデイング/その1 <1965.10.13~11.11>
このアルバムの意義について、プロデューサーのマーチンは次のように語っています。
「"Rubber Soul"は新生ビートルズを世間に示した最初のアルバムだと思う。それまでは、アルバムといってもシングルの寄せ集めのようなものだった。でもあの時から初めてビートルズ自身が一つのアート≒自分達の実体そのものとして、アルバムを考えるようになったんだ。」
ビートルズの伝記作家としてアップルで公式に認められているマーク ルイソンも、次のように、このアルバムのことを非常に高く評価しています。
「ビートルズのキャリアにとって一大転機となる作品であり、古典的なポップアルバムとも言える "Help"と実験的なアルバム"Revolber"をつなぐしっかりとした足場になった。ビートルズの作風とレコーデイング テクニックという点から見て、この作品はかなり高度な内容を誇るものだ。」
(筆者には、アルバム"Help"中の’Help’や’You've Got To Hide Your Love’等の曲にも、本作に繋がる<内省的な視点>が出始めていると思えるのですが、皆さんはどう思います?)
前回もお話ししましたが、この年のヨーロッパやアメリカでのツアーでも<自分達の音楽を伝えられないライブ>に嫌気が差していたビートルズが、<自分達の分身としてのアルバム>を強く意識するようになったことは、ブライアンが何度説得してもこの年のクリスマスショーやロイヤルバラエティショーへの出演を頑として受け入れなかったことにも表れていると思います。
この頃のビートルズは、当時の不十分な音響のライブでは<自分達の本当に出したい音が出せない≒本当の自分達の姿を見せられない・聴かせられない>と思っていたのですね。
この時期のアルバム作りに対する意識の変化に関わって、ジョンは次の様に言っています。
「僕たちは技術的にも音楽的に良くなっていた。結局、僕たちは自分達でスタジオ(での仕事)ができるようになったんだ。僕たちは、このアルバム作りをどうすればいいのか、的確に分かった。ジャケット写真も何もかも。」
このアルバムジャケットの、曲面を活かした写真のデザインもビートルズと写真家が相談して決めました。バンド名をジャケットの表面に出さないことも。後に当然になったこんなことも、ビートルズですら初めてのことだったのでした。
当時のメディアの評価も様々でしたが、イギリスの著名な音楽音雑誌"MelodyMaker"では、
「演奏者としても作曲家としても、巧みにメロディーを創り出していることに驚嘆と驚異を覚える。多様性という意味では、彼らのベストアルバム」等と高く評価しています。
このアルバムは、録音後1ヶ月もしない12月3日に発売され、5日後には、1位でアルバムチャートに入ると3ヶ月間首位を独占しました。
ではまず、その曲つくりの面で特徴的な何曲かをみていきましょう。(次号にも続きます)
<Norwegian Wood(This Bird Has Flown)>(独創的な曲創り)
レコーデイングの初日に取りかかった曲の1つが’Norwegian Wood’です。
ジョンが準備してきたこの曲、最初ジョンは’This Bird Has Flown’(彼女は行ってしまった≒ふられてしまった)と呼んでいたのですが、エンジニアのノーマン スミスが途中で曲名が分からなくなってしまって’Norwegian Wood’と呼んでていて、最終的には ’Norwegian Wood(This Bird Has Flown)’となったのでした。(どちらも曲中の言葉ではありますが・・・)
前述のルイソンはこの曲のことを「ポップミュージック史上最も独創的な曲」と言っていますが、何と言ってもこの曲のサウンドの大きな特徴は、インド音楽の弦楽器<シタール>が重要な要素として使われていることでしょう。ビートルズの曲では勿論ですが、ポピュラーミュージシックとしても最初だと言われます。(シタールとジョージとの出会いは、前号を見て下さい。)
この楽器を取り入れたことについて、ジョンやジョージは次の様に言っています。
「ジョージはシタールを手に入れたばかりだった。僕は彼にこの曲は弾けるか聴いてみた。彼はその曲が弾けるかどうか自信がもてずにいた。でも彼には挑戦する気持ちがあった。ジョージはいつもの調子で演奏法を学び、後でその部分をダビングした。」(ジョン)※前回紹介した新しいレコーディング技術(マルチトラック方式)が、ここでも有効に使われていたのですね。
「’Norwegian Wood’は、何か特別なものを必要とする曲だった。僕はロンドンでとても安いシタールを買った。それはこの曲にふさわしかったし、ちょっとした要素を曲に付け加えた。僕らは多くの影響を受けながらとても速く成長している。それが僕らのバンドの一番いいところだ。僕らは何に対しても、とてもオープンだ。あらゆる種類の音楽を聴いていたし、みんなシタールのサウンドが気に入っていた。」(ジョージ)
そして、もう一つのビートルズらしいこの曲の特徴として<同じ和音の繰り返し>と<メジャー(長調)とマイナー(短調)が交錯する曲創り>を挙げたいと思います。
実は、この曲(メロディー)の構成は、次の様に大きく2つの部分からできています。
A(4小節)ーB(4小節)ーA’(4小節)。合計12小節で、AとA’は全く同じメロディーです。
曲全体では、このAーBーA’の12小節が2回繰り返され、Aと同じメロディーで4小節の<前奏>とその半分の2小節の<後奏>がついて、全部で30小節になります。
AとA’は同じメロディーなので1つとして考えると、全体では2種類のメロディー(部分)しかないわけです。
実際の演奏では、まず、Aの半分の長さの<前奏>が途中からシタールも入って演奏されます。
その後に、このAーBーA’の組み合わせに1番の歌詞が付いて唄われ、2番の最初のAの部分は歌がない演奏だけの<間奏>となり、その後のBとA’には2番の歌詞が付いて唄われた後、前奏の半分の<後奏>が演奏されて終わります。AとA'の部分はメロディーは全く同じなので、この曲では全く同じAのメロディーが4回、Bのメロディーが2回、出てくる訳です。
そして何と、このAとA’の部分の和音は、全て同じ和音(Eメジャー/ホ長調)なのです。
また、Bの4小節の半分の2小節も同じ和音(Eマイナー/ホ短調)でできています。
つまりこの曲は、30小節中22小節(73.3%)が全く同じ和音でできていて、残りの8小節の半分の4小節(26.7%)も、別の同じ和音でできている曲、ということなのです!
そして、この2つの和音(EメジャーとEマイナー)は構成音の1つの音が、半音上がるか下がるかだけしか違わない和音なのです。(EメジャーはE・G♯・B、EマイナーはE・G・B)
実は、Bの残りの2小節も、和音は違うのですが歌のメロディーは全く同じなのです。
このように、この’Norwegian Wood’は、ビートルズの曲の中でも極めて特徴的な作り方がなされている曲だと言うことができると思います。
(例えば、前回紹介したポール作の’Yesterday’には、10以上の和音が使われていますし、その和音同士の繋がり方(和音進行)も、ほとんどが楽典に出てくるようなセオリー通りの使われ方をしています。)
サウンドとは逆に、この曲の言葉=歌詞には繰り返しは全くありません。きちんとしたストーリーがある、不思議な展開を見せる男女の出会いの物語が描かれていて、詩としての芸術性も認められて評価されているようです。
勿論、初期のビートルズの曲で唄われていたような、若者らしいストレートなラブソングとは随分違っていますが。(作者のジョンは当時まだ20代後半になったばかりだったのですが・・・。)
ところで、筆者はジョージが「この’Norwegian Wood’では、ジョンは少しアイルランド人っぽく唄っている」と言っていることが非常に気になります。
確かに、この曲でのジョンの唄い方(節回し)には、アイルランド民謡のジークやリール等の唄い方に共通している部分があるように感じられます。また、どうも先刻お話しした<同じ和音の繰り返し>や<長調と短調の交錯>等の特徴にも、アイルランド音楽(アイリッシュミュージック)の影響があるようにも思われるのです。
ビートルズの面々の血統や彼らの故郷リバプールが、地理的歴史的に見てアイルランドとの繋がりが強いということはほぼ間違いないと思われますが、ビートルズの音楽とアイルランド音楽との繋がりについても、いろいろな可能性があるのではないかと思っています。
このことについては、どこかでまたお話しできればと思います。
<In My Life>(作者は・・・でしょう?)
’Norwegian Wood’ほど極端な場合は少ないのですが、ビートルズの曲の中には、前述の<メジャー(長調)とマイナー(短調)が交錯する曲創り>がよく見られます。
例えば、アルバム”A Hard Day's Night”の最後を締めくくる’I'll Be Back’では、前奏冒頭や曲の途中で、それに続く和音は同じなのに、最初に出てくる<A(Aメジャー)とAm(Aマイナー)>の部分だけが違う、という和音進行が繰り返され、曲の特徴となっています。
今回の”Rubber Soul”の中の1曲、名曲と言われることが多い’In My Life’でも、部分的に次のような<長調と短調の和音の交錯>が見られます。
歌の最初の方、2行目の”All My Life,~”や4行目の"Some Have Gone~"の所です。
ジョンが唄う主旋律につけられたバックコーラスのメロディーが、<D-Dm-A>という<長調ー短調ー長調>の和音進行に伴って<F#ーFーE>と半音づつ下がっていく音程になっているのです。
この部分のコーラスは、それ以外の部分のハーモニーがジョンが唄う主旋律と同じように上下に動いているのに、そこだけ主旋律と違う動きをしているので、コーラスが非常に目立ちます。
バックコーラス・ハーモニーの付け方一つにも、ビートルズらしい工夫があるんですね。
この曲についてジョンは、「本当の意味で傑作と言える僕の最初の作品だと思う。それまでは、単に言葉を並べたどうってことのない内容のものがほとんどだったけれど、これは、僕が初めて歌詞の中に意識して自分が持っている文学的要素を取り入れたものなんだ。」と、生前最後のインタビューで語っています。
ジョンは別のインタビューでも「’In My life’は本当に意識して自分の人生について書いた最初の曲だと思う」と言っていますが、この曲に対するジョンの思いが伝わってきますね。
※ジョンの子ども時代からの悪ガキ仲間で最初のバンドのメンバーでもあり、後にビートルズの伝記作家となるピート ショットンは、この歌で次の様に唄われている一人にハンブルグで亡くなったスチュがいる、と言っています。きっと、亡き母ジュリアンのことも思っていたのでしょうね。 <Some are dead and some are living / In my life, I've love them all>
実は、この曲の大部分はこのレコーディング初期の10月18日に3テイクで録音されましたが、マーチンが「ここで間奏(ソロ)が必要だ」と言った中間部分は空白のままでした。(マルチトラック方式で、後から入れられるように空けておいたのですね。)飽きっぽい?ジョンは「貴方に任せるから何か弾いてくれ」と言って、ティータイムの休憩に出てしまいました。
残されたマーチンは、最初はオルガンでバッハ(バロック)風に弾こうとしましたが、うまくいきません。
そこで、以前’Hard Day's Night’でやったように、テープスピードを半分にして録音することにし、この曲の和音進行にも合ってバッハ風に聞こえるメロディーを考えてピアノで弾いて録音しました。普通の速度で再生するといい感じでバロック(のチェンバロ)風の音に聞こえます。
戻ってきた面々に聞かせると「いいねえ!」と喜んだので、そのままになったとのこと。・・・。
ところで、この曲については、作者はだれか?ということが問題になったことがありました。
ジョンの死後のインタビューでポールが「曲を書いたのは僕だったと思う。ジョンは忘れてしまったようだけど」等と発言したことからしばらく論争?が続いていましたが、2018年に次のような研究論文が発表され、決着がついたと言っていいと思います。
ハーバード大学の研究者が、シェイクスピアの幾つかの作品が劇作家との共作だと解明したのと同じ手法で、Lennon=McCartneyの曲のメロディーやコード(和音)を分析し、二人のうちのどちらが’In My life’を書いたのかを統計学的に推測したのです。
その結果、作者と思われる確率は、この曲の主要な部分については、ジョンが81.8%、ポールが18.9%。ミドルエイト部分は、ジョンが56.5%、ポールが43.5%というものでした。
この結果は、ジョンの「この曲のメロディーでポールが手伝ってくれたのは、ハーモニーとミドルエイトの部分だよ」という最後のインタビューの話ともよく一致すると思われます。
※実はこの問題について、ビートルズやジョンの曲を唄ってきた人達の中では「’In My life’はどう聴いてもジョンの曲にしか聞こえない。」という声がありました。
筆者もそうですが、この曲のメロディーや唄い回しはジョンの他の曲と似ている部分が非常に多いと思うのです。曲の出だし部分もそうですし、前述した2行目の”All my life,~”や4行目の"Some have gone~"の後半の節回し(装飾的な音の伸ばし方)等もそうです。
音域的にもジョンの他の曲と同じように唄うことができ、ポール作の多くの曲のように高音域を強調した部分もありません。逆に、最後のファルセット(裏声)で唄う♬In m~y life♬の所は、全くのレノン節です。
【NBC イベント情報】
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西東京ビートルズ倶楽部史上最多の、多彩なメンバーでお送りする名曲の数々♬
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ビートルズを聴いて唄いましょう!
※お申込は下記NBCまで
♪まだ余裕はありますが、念のため早めにお申し込み下さい。
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NBCでは、このサイトの内容やビートルズについてのご意見・感想等、お待ちしています。
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