西東京ビートルズ倶楽部(NBC)代表 田中敏久
好評頂いている【ビートルズって、何?】では、自分たちの音楽活動や社会の動きをどう思っていたのか、ビートルズや彼らを取り巻く人々とのdynamics(関係性/集団力学)に注目しながらたどっています。
前回【12】では、初の海外ツアーや大規模な北米大陸でのツアー、イギリス国内でのツアー等々、そしてツアーの合間をぬって休日返上でレコーデイングしたシングルやアルバムが世界中でヒットする多忙な日々。少々くたびれたような顔をしていたビートルズでした。
今回は、ビートルズサウンドを支えていたビートルズの楽器の中で、特にギター(とベース)について、ハンブルグ時代からデビューの頃まで見ていきたいと思います。
たくさんの皆さんの感想やご意見、どうぞよろしくお願いします
トニー シェルダンとビートルズのギター
ビートルズの面々は、どちらかというとあまり頻繁に楽器を変える方ではなかったと言えます。
デビュー前のお金のない頃は勿論ですが、ジョンもポールもデビューする頃に使い始めた楽器を数年間に渡って使い続けています。これはリンゴも同じですが、その中では、ジョージは若い頃から楽器に限らず新しい物を試してみるのが好きだったようですね。
そんなジョンやジョージのハンブルグ時代に、ギタリストとしてまたシンガーとして大きな影響を与えたのがイギリス人のトニー シェリダンでした。(彼に誘われて一緒にドイツで録音した’My Bonny’が、ビートルズが最初にリリースしたレコードとなったことは【3】でお話ししました。)
「シェリダンがいなければ、ハンブルグの音楽シーンは誕生しなかっただろう」と言われるシェリダンは、ビートルズより数ヶ月前からハンブルグで活動を始め、当地でも瞬く間に人気者になっていたシンガー/ギタリストでした。
彼は当時レコードも何枚か出していましたが、イギリスのTV番組で初めてエレクトリックギターを弾きながら唄ったミュージシャンで、ビートルズの面々もTVでよく目にしていましたし、彼らが憧れていたエディ コクランやジーン ヴィンセント等のアメリカのスター達ともリバブールのステージで共演したりしていました。
また、シェリダンはミュージシャンが敬うミュージシャンで、多くの若者が彼からいろいろなことを学んでいて、ジョージもシェリダンが半年前にエディ コクランから習ったというギターの演奏法を教えてもらって感激したりしていました。
当時のジョージとのやりとりを振り返ってシェリダンは言います。
「ジョージは会うなり私をつかまえて『どうしてあのコードじゃなくて、このコードをつかうんですか?』と聴いてきた。ギターやコードのことを夢中で議論した。ステージそっちのけで、おかしなくらい情熱を傾けてね。・・・私はいつもジョージにブルージーなギターを弾かせたいと思っていた。『例えそれがポップソングでも、アメリカ南部のサウンドにするんだぞ』なんて言ってね。」
シェリダンはまた「私は彼らに分厚い音や音質に対する考え方の点で影響を与えたんじゃないかな。私はいつも良いギターを使えと言っていた。ギターに対する思い入れは私の方がずっと強かったよ。私のGibsonES-175は、私達がハンブルグで共演している間、ジョンやジョージもよく弾いていたんだ。彼らにとってはきちんとしたギターを弾くことは良いことだった。彼らも私のGibsonやMartin-D28Eを気に入って弾いていた。」
※GibsonES-175は、当時も今でもジャズギターの代名詞とも言うべきフルアコギター。このギターを使ったJazzの名演は枚挙に暇がありません。またMartinD-28Eは、フォークギターの名器と言われたD-28に電気的に音を増幅するピックアップ(ギター用マイク)を取り付けた楽器です。
ジョン愛用のギターは売れ残りのギターだった?!
さて、ジョンがこの後長きにわたって使い続ける愛器に出会ったのもこのハンブルグでした。セミホローボディで3つのピックアップとアームが付いたアメリカ製のRichenbacker325です。
ジョンは後に、伝記作家のインタビューで自分の大切な物は何かと聴かれ、こう答えています。
「最初に手に入れたこのRichenbackerだね。ちょっと使い込んでいるけれど、弾いていて楽しいんだ。ドイツで分割払いで買ったんだ。当時のぼくにとっては目玉の飛び出るような大金だった。」(※後日、未払いだった分割払いの残金を精算したのはマネージャーになったばかりのブライアンでした。)
ジョンはこの楽器を、何度も修理に出したり部品を交換したり、更には色を塗装し直したりして、ずっと大切にして手元に置いておいたのでした。
このギターを初めて見たのは最初にハンブルグに行った時だったと、当時を振り返ってジョージは言います。
「僕らはハンブルグの楽器店に入って、ジョンがビートルズのコンサートで有名になったあの小さなショートスケールネックのRichenbackerを買ったんだ。彼はその頃、ジョージ シアリング クインテットのギタリストだったトゥーツ シールマンスのアルバムを見ていたんじゃないかな。」
ジョージ シアリングは、イギリス人の全盲のジャズピアニストで、当時アメリカに渡って絶大な人気を得ていました。この頃シアリングのグループでギターやハーモニカ等で素晴らしい演奏を繰り広げていたのがベルギー出身のトゥーツ シールマンスでした。そして、この頃大ヒットしていたのが、彼らのライブの熱狂を伝えるアルバム”Sharing On Stage”で、そのジャケット写真にはRichenbackerギターを弾くシールマンスの姿がしっかり映っていたのです。
ここで、ジョンとジャズの関わりについて、少し考えたいと思います。
実はジョンが最初に覚えた楽器はハーモニカでした。そして、デビューシングルの’Love Me Do’でのジョンのハーモニカの印象的な音色がマーチンの耳にとまったことはお話ししました。
このシェアリングのアルバムでも、シールマンスはギターのみならずハーモニカでも素晴らしい演奏を披露しています。(どちらかというと後年は、ハーモニカや口笛とギターの一人デュエットでの演奏の方が有名かもしれません。日本人との共演アルバムも多く残しています。)
ジョンが、そんな<ギターもハーモニカも演奏するジャズミュージシャン>としてのシールマンスに興味を持っていたことは、彼の音楽性を考える上で重要な点ではないかと思います。
実はジョージ シアリングは、このライブアルバムが大ヒットしたことにも表れているように、素晴らしい技術を持ちながらも、ジャズを一部の高尚な人だけでなくより多くの人達に親しんでもらえるよう、<ジャズの大衆化>に尽力したミュージシャンだったのです。
シールマンスも80年代にハーモニカでアレンジャーの大御所クインシー ジョーンズと共演して名演と言われる録音を残す等、狭い意味のジャズの範疇に収まりきらない幅広い音楽性を持ったミュージシャンとして、多くのファンや愛好家の支持を獲得していきます。
ジョンがこのような幅広い音楽性を持った優れた音楽家に対する何らかの想いをもって、他の多くのロックンロールバンドで使われていたギターではないRichenbackerを選んだのでないか、そう考える事はそれ程無理はないようにも思えますが、如何でしょうか?
(このギターが、ショートスケールでネックが短いのでコードが押さえやすかったり弦高を低くすることができたりという演奏上のメリットもあったかもしれませんが・・・)
ところで、どうもジョンとこのRichenbacker325というギターには、不思議な巡りあわせがあるようなのです。
1958年にアメリカで行われた楽器の見本市でシールマンスがRichenbacker社のギターのデモンストレーションをしている写真があります。この写真でシールマンスの背後に写っているのが、実は後にジョンがドイツで購入することになるRichenbacker325だったです。
このギターは後年ジョンの奥さんとなったオノ ヨーコが管理することになりますが、そのギターのシリアルナンバーは、この個体が1958年に最初に製造された28本のうちの1本だということを表しています。また、この28本の中でジョンが購入したようなメイプルグローと呼ばれる色の物は8本しかなかったのです。(※このギターが黒に塗り替えられるのはデビューの頃です。)
更に、シールマンスと一緒にこの写真に写っている個体そのものの特徴として、fホールと呼ばれるボディの切れ込みがないことやピックガードのネジの数、2か所で曲げられたアームの形等、この個体にしかない複数の特徴が確認できるのです。
造られてから2年も売れずに残っていたこのギターはアメリカからドイツに渡り、1960年11月になってハンブルグでジョンと出会うことになるのです!
ジョージの話には続きがあります。「トゥーツ シールマンスはそれまでに僕らが見た中で、ただ一人のRichenbackerを持ったギタリストだった。それで、ジョンが楽器店に入ってあのギターが目に入った時、彼はそれが欲しくてすぐに買ったんだ。・・・ジョンがとにかくまともなギターを必要としていた時に、あのギターがたまたま店にあって、ジョンがそのルックスを気に入ったってだけのことじゃないのかな。」
ジョンとRichenbacker325との不思議な出会い。皆さんはどう思いますか?
ポールのベース選びの決め手は<左利き>?!
さてポールですが、ビートルズがまだクオリーメンだった頃からハンブルグに行く少し前までは、ジョン、ポール、ジョージの3人がギターを弾きながら唄っていたことはご存じと思います。
そして、ジョンの美術学校仲間だったスチュ サトクリフが、絵が売れて大金を手にしたことからベースとアンプを買ってビートルズにバンドメンバーとして入ってくることになったのが1960年初めの頃でした。
この時スチュが買ったのは、普通のギターよりはずっと大きな中空構造のボデイをしたHofner333というベースでした。どちらかというと華奢で小柄だったスチュが大きなベースを抱えている姿は「ベースに持たれているみたいだった」と言う人もいたようですが、楽器としてはなかなかしっかりしたベースらしい低音が出ていたようです。
実はポールは、そんなスチュが楽器も満足に弾けないのにジョンから深く信頼されていることに対して、疑問をもつと同時にジョンの信頼に対するライバル意識(≒やきもち)をもっていたようで、ハンブルグ時代にはかなりきつく当たることがあったり、スチュと大げんかをして仲直りをする前に彼が亡くなってしまったことを後悔していたというポールの話もあります。
そんなスチュがアストリットと婚約して美術の勉強をするためにドイツに残ることになった後、最終的にはポールがビートルズの2代目のベーシストの席に座ることになります。
ビートルズとしての最初レコーデイングとなったシェリダンとの’My Bonny’のレコーデイングは実はこの頃のことでした。当時はまだステージではスチュもベースを弾いていたのですが、どうやらこの録音でベースを演奏することが期待されていたのはポールだったようで、このこともベーシスト交代の一つの大きな理由になっていたように思えます。
ポールはピアノを弾きながら唄うこともよくあり、この頃から多彩なマルチプレーヤーぶりを発揮していたようですが、ベースを弾くこと自体はあまり気乗りがしなかったようです。しばらくは右利き用のスチュのベースを借りて逆向きにして弾いたり、壊れかけた自分のギターに手近なピアノの弦を引っこ抜いて張ってベースの代用にしたりしたこともあったようです。
さて、ポールが選んだのは、Hofner500/1。スチュと同じドイツのHofner社のベースでした。
当時を振り返ってポールは「最終的には、ハンブルグの楽器店でウインドウに飾ってあったヴァイオリン型のベースが目に入った。結構いいルックスだと思った。軽いって言うのも気に入った。値段も丁度良かった。」(この楽器は当時スチュの楽器の半額程度の値段でした。)
そして、「ぼくは左利きだから、左右対照的なデザインのこの楽器なら、ぼくが弾いていてもそれ程おかしくは見えないだろうと思った」のでこの楽器を選んだということです。
さらに、どうやらポールはHofner社がドイツのメーカーだということで、ハンブルグの楽器店で左利き用のベースを特注したようなのです。
このことは、当時のドラマーだったピートも「楽器店に特別に注文を入れたんだ」と証言していますし、1963年のイギリスのミュージシャン向けの雑誌には「ポールの左利き用のHofnerベースは、ドイツで彼のために改良されたもので、イギリスでは手に入らない」という記事もあります。
因みに、このHofner500/1ベースの音質は非常に丸く豊かな響きがあり、楽器の中が中空になっているので中音域が伸びやかだという特徴があり、逆にネックのハイポジションを弾くと低音域が強く出る場所もあり、ビートルズサウンドの特徴にもなっていると言われます。
この後長らく、ビートルズのベースとして、R&Rバンドのベースとして世界的な人気を得ることになるこのHofner500/1ベースが選ばれた背景には、こんな事情があったのですね。
ジョージのお気に入りの楽器は?
ピートの話では「ハンブルグ時代のジョージはいつもギターの事ばかり考えていた」ということですが、この頃最初にジョージが使っていたのはマンチェスターの楽器店で買ったFuturamaというギターでした。
スチュのHofnerベースやジョンのRichenbackerギター等と一緒に、このFuturamaを抱えたジョージの姿がアストリットが遊園地で撮った写真やステージで演奏しているスナップ等で残されています。
ジョージは本当は、バディ ホリーが使っていたアメリカのFender社のStratocasterというギターに憧れていたようですが、このFuturamaはそのギターにとてもよく似た形のギターで、チェコスロバキア製でHofner等も輸入していたイギリスのセルマー社が販売していました。(当時のイギリスではアメリカ製品の輸入を禁止する法律があったようです。)
このギターはとても弾きにくかったようですが「それでもサウンドは素晴らしかったんだよ。3つのピックアップをいろんな組み合わせで使えるようなスイッチが付いていたしね。」とはジョージの話。
その後、1960年の夏にリパブールに戻ったジョージは、いよいよ彼が言う「初めてのちゃんとしたギター」を手にれることになります。Gretsch社のDuoJetです。
当時人気だったGibson社のLesPaulモデルに対抗してよく似たスタイルのソリッドボディのエレクトリックギターとしてGrtsch社が1953年に発表したのがDuoJetでした。
(このギターは、LesPaulのように完全なソリッドボディではなく、中空構造のボディを持ったギターで、この点ではジョージが後に入手するセミアコギターに近いと言えると思います。)
「欲しいと思っているのはGretschだった。ギターを売ろうとしている男がいて、アメリカで買って持ち帰ったというGretschのDuoJetをその水夫から買ったんだ。ぼくにとって初めての、本物のアメリカ製のギターだった。そりゃあ、中古だけどきれいに磨いたよ。持っているのが自慢だったからね。」当時を振り返ってジョージは言います。
「1960年代の初頭にリパブールでアメリカ製のギターを手に入れるのは、その希少性と値段からして、簡単なことではなかったよ。・・・ハンブルグやキャバーン、ヨーロッパツアー、1964年のアメリカツアー、それにビートルズの数多くのレコーデイングで使ったそのギターは、今でも持っているよ。」
この頃のDuoJetの演奏性や音質は極めて優れているとされ、多くのコレクターが探しているとのこと。特有の深みのある豊かな音色と、シングルコイルピックアップの高音特性を強みとして、これらの初期製品は独特な響きを持っていると考えられているようです。
’I Saw Her Standing There’等で聴くことができる、明るく乾いた音色のジョージのリードギターとジョンのゴリゴリ押してくる力強いリズムギターのはっきりとした対比は、こうして生まれたのですね。
因みにジョージがこの後手にする2台目、3台目のギターもGretsch社のギターでした。
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