1月にパリでのツアーの最中に4テイクで録音された”Can't By Me Love”と2月にアビーロードで9テイクで録音された”You Can't Do That”のカップリングは、ビートルズの6枚目のシングルとして3月20日に発売され、発売されたほとんど全ての国でNo1ヒットとなりました。
アメリカでは予約注文が210万枚となって発売当日にゴールドディスクになり、イギリスでも予約だけで100万枚を超えました。
この後、ビートルズはアメリカで、4月4日付けのビルボードのヒットチャートの1位から5位までを独占するという快挙を成し遂げます。
1位”Can't Buy Me Love”、2位”Twist & Shout”、3位”She Loves You”、4位”I Want To Hold Your Hand”、5位”Please Please Me”というのがその結果です。
(トップ100の31位、41位、58位、65位、79位にもランクインしていました。)
実はこうなったのは、アメリカのEMIの系列会社だったキャピトルが、ブライアンやマーチンが何度もアタックしたにもかかわらずに、ビートルズのシングルの発売を拒否していた!?ので、やむを得ず規模の小さなレーベルから発売していたからなのです。
翌週には、更に2枚のシングルを加え、アルバムチャートでも1位、2位にランクインします。
4月以降はキャピトルも考えを改めて、ビートルズのレコードを統一的に販売するようになり、続々とアメリカ版のビートルズのレコードが発売されるようになります。
(実はこの頃、同様のことが世界中の国々でも起き始めていて、オーストラリアでも4月3日のシングルチャートの1位~6位をビートルズの曲が独占していました。)
3rdアルバム”A Hard Day's Night”のレコーデイング 《1964年2月~6月》
最終的には1964年7月10日にイギリスで発売され、全世界で膨大な枚数を売り上げることになるこのアルバムは、初期ビートルズの最高傑作だと言われることもあり、非常に中身の濃い作品だということは異論のないとことではないでしょうか?
少なくとも、後にも先にもビートルズの全アルバムの中で唯一の全曲レノン=マッカートニーのオリジナル曲のアルバムだということは、一つの時代を象徴していることは間違いないと言えるでしょう。
この頃のビートルズのレコーデイングの様子について、前述のエメリックは言います。
「彼らがぐっとプロらしくなったのを見て、ぼくはとても感心した。演奏がより引き締まっていただけではなく、スタジオでのふるまいもすっかり歴戦のベテランらしくなり、たっぷり油を差したマシーンのように、効率よく自分達の求める音をものにしていた。」
けれども、実はこのアルバムの録音では、ビートルズの面々が知らないところで、とんでもない嵐が吹き荒れていたのでした。
「その朝はそこ(コントロールルーム)に、映画を監督したリチャード レスターが加わっていた。~それも明らかに、招かれざる客として。・・・レスターが不適切な振る舞いをしているのは明白だった。専門外の分野に口をつっこみ、しょっ中ジョージ マーチンと角つき合わせていたからだ。」
「ジョージ(マーチン)はいつものように礼儀正しい態度を崩さなかったものの、内心で苛立っているのことが手に取るように伝わってきた。」
ということで、紆余曲折がありながらも演奏面では非常にスムースに録音は進んで行ったようですが、この映画のタイトル曲としてジョンが一晩で書き上げてきた”A Hard Day's Night”の録音でも興味深い場面がありました。
「レスターがこだわったのは、映画の冒頭に「とにかくインパクトのある何か」がほしいということだった。~こうして、曲の冒頭に、ジョンとジョージが弾き下ろす、激しいギターコードが配されることになる。」
「次はいよいよジョージ ハリスンのソロだった。・・・ジョージはいくらやっても、そのソロをものにできなかったのだ。最終的には、マーチンが・・・音の外れたピアノでギターソロをなぞり始めた。ただし、(テープの)空きトラックは一つしかなく、二つのパートを別々に録ることはできない。そこで、二人のジョージ~ハリスンとマーチンはスタジオで横並びになり、額にしわを寄せ、それぞれの楽器に集中しながら、リズム的に込み入ったソロをタイトなユニゾンで演奏した。それは、何とも興味深い眺めだった。」
レスターから最後に出された、映画の冒頭のシーンに繋ぐための「ドリーミーなフェイドアウトがほしい」という要求には、ジョージがイントロのコードを活かしたアルペジオを12弦ギターでスピードダウンしてダビングし、しっかり応えることができました。
ところで、この<Hard Day's Night>というタイトルは一体誰が考えたのかということが、よく問題になります。このことについてジョンは、生前最後のインタビューで次の様に語っていますが、どうもこれが一番事実に近いように思われるのですが、如何でしょうか?。
「車で家に帰る途中で、ディック レスターが前にリンゴが口にした言葉をヒントにして”A Hard Day's Night”というタイトルを提案したんだ。ぼくも同じフレーズを自分の本で使っていたけどね。あれは、リンゴが何気なく口にした言葉だよ。で、次の日の朝にぼくは曲を提供したのさ。」
この2月に録音されたのは、ポールの初期のバラードとして有名な”And I Love Her”や、ジョンの曲で、”This Boy”の発展とも言われジョン・ポール・ジョージの3人のハーモニーが非常に美しい”If I Fell”、ジョンがジョージのために書いた”I'm Happy Just To Dance With You”、ポールの脅威的な高音シャウトが聴ける”Long Tall Sally”(EPに収録)等々、この時期のビートルズの実力がしっかり反映された名曲・名演が目白押しに並んでいます。
このアルバムのA面は、映画のサウンドトラックとして使うために映画の撮影と平行してレコーデイングされていて4月中にはビートルズの録音は終わっていました。6月になって映画完成後の休暇から戻ってきたビートルズの面々は、残りのB面の曲のレコーデイングに取り組みます。
この時にも、ジョンの”Any Time At All”・"I'll Be Back"やポールの”Things We Said Today”等、後のビートルズの作曲に繋がるメジャーとマイナーの扱い方が聴かれる特徴的な曲が録音されています。
イギリスでは、7月10日に発売された5日後にNo1になって21週間トップを維持し続け、アメリカ版バージョンは、トップは14週間でしたが、史上最も速く売れたアルバムの一つとなりました。
・・・田中さんは次のように解説した。「ヘレン・シャピロがメインのツアー中でしたか、無理やり一日空けて、わずか一日で録音したアルバムが『Please Please Me』なんです。スタッフがランチに行くと言っても、4人は残って牛乳を飲みながら作業を続けました。ロック魂満載のアルバム」。
次に「She loves you」をみんなで聞いた。「これはもう完璧な曲。一番完璧だと思います。ジョンとポールのハーモニー、ジョージのギター、リンゴのドラム。73年、小5の時にEdwinのCMでこの曲のカバー曲が流れるのを聞いて衝撃を受けて、それ以来ビートルズファンになりました。今年の赤盤のこの曲は少しくぐもっているなと思いました」との意見も。
本橋杏珠さんは「エヴリーブラザースなんかに影響を受けているんだろうけど、ビートルズ自分たちのサウンドになっていますね」と話した。杏珠さんは小学生5年生で現在11歳、お父さんの圭一さんと参加した。(中略)
最後はビートルズ時代のジョージの代表曲の一つ「While my guitar gently weeps」。
本橋圭一さんは「娘と映画「Concert for George」を観に行って、いい歌だなって思いました。エリック・クラプトンも好きだし。ビートルズでジョージが歌っているのは珍しいけど、その中でも特にいい曲」と述べた。
杏珠さんは「『Anthology3』のアコースティックギターのが美しいからいい」と通な意見を開陳した。
続けて「Nowhere Man」がかけられた。
ここからはライブコーナーとなり、田中さんと篠塚さんがNBCの(※ビートルズ倶楽部バンドの)テーマ曲「We are the Beatles Club Band」でスタート。
「I'll be back」が歌われたが、その前に田中さんは「メジャーとマイナーが行ったり来たりする特徴的な曲作りをしています」。
続く「Norwegian Wood」には杏珠さんも参加した。
最後はまた2人になって「間奏のピアノを無理やりギターでやろうっていう無謀な挑戦」(田中さん)だと言って「In my life」を演奏した。およそ2時間の地元のビートルズファンの集いは幕を閉じた。