西東京ビートルズ倶楽部(NBC)代表 田中敏久
「なぜ、ビートルズは今でも新鮮な気持ちで聴けるのか?」こんなことを思った方は多いのではないでしょうか?
ザ・ビートルズのレコードデビューは60年以上前の1962年10月ですが、先日放送されたTV番組でも、iPhoneを創ったスティーブ・ジョブスの「私のビジネスのモデルはビートルズ」という言葉が紹介されていました。関連の新刊書籍の発行やCDの再発は今でも続いています。
ビートルズを愛する市民が集まる「西東京ビートルズ倶楽部」では、ウェブサイト「タウン通信」で、ビートルズについて語り合うサイトを始めます。
ここでは【ビートルズが残してくれたもの】について、彼らが自分たちの音楽活動や社会の動きをどう思っていたのか、彼らの言葉や行動を手がかりにして皆さんと一緒に探ったり、今なお愛されている《ビートルズサウンドの秘密》を一緒に考えたりしたいと思っています。
このサイトは年内は続けますが、皆さんからのお声や反響によっては、紙面での再掲や後述の様なイベントも企画したいと思っています。
たくさんのご意見や感想、どうぞよろしくお願いします!
互いに「ぶったまげた⁉」二人の天才、ジョンとポールの出会い ~1957年7月6日~
ジョンレノンのバンド、クオリーメンが演奏する教会の野外バザーに、ポールマッカートニーが共通の友人アイヴィーに誘われて行ったのが二人の音楽家の最初の出会いと言われています。
まず、ポールがリードシンガーのジョンの歌にぶったまげます。
「皆に知られていないこんな曲を、歌詞を自分で創って唄っている!」
この時ジョンが唄ったのは "Come Go with Me" という、アメリカ空軍出身の黒人・白人混成(!)のThe Del-Vikingsというグループが、この年の始めに地元のローカルレコード会社から出したばかりの曲でした。つまり、プレスリーやチャックベリー等の米英での大ヒット曲ではなく、一般にはほとんどなじみがない、いわゆる「通好み」の曲だったということなのです。
ポールもこの曲を聴いて苦労して歌詞を聴き取っていたのですが、それをジョンが全部自作で歌詞をでっち上げて、魅力的で自信たっぷりに唄っていたことに、「うまいことやるな~!」と感心したというわけです。(勿論、有名なプレスリーやジーンヴィンセントの曲も唄いましたが。)
さて、次の出番を控えてダラダラしていた時、今度はジョンがポールの技術にぶっ飛びます。
ポールはジョンのギターを借りると、バンジョー用になっていたチューニングを正しく直した後、"Twenty Flight Rock" というエディコクランの曲を弾き始め、正確な歌詞をパワフルな声で唄いきります。この曲もまだヒットチャートにも出ていない頃で、正しく演奏して唄えるだけでもビックリでしたが、ポールは更に何曲かギターで唄った後今度はピアノでロックンロールを弾き始めます。
ピアノを力強く弾きながらリトルリチャードばりの高音を響かせて"Long Tall Sally" をシャウトした頃には、その場の誰もがポールの声や演奏にノックアウトされていたことでしょう。
この時、ジョンレノンは後3ヶ月で17才。ポールマッカートニーは15才になって3週間。若い二人の心には、お互いの存在が強く刻まれた筈です。
66年前のちょうど今頃。伝説のグループ、ザ・ビートルズの始まりには、未来の音楽家二人のこんな衝撃的な出会いがあったのですね。
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西東京ビートルズ倶楽部(NBC)では、このサイトの内容やビートルズについてのご意見・感想等、お待ちしています。特に<私の1曲>として、<ビートルズの楽曲213曲の中でどの曲が好きか、好きな理由やその曲にまつわる皆さん自身のエピソード等々>は大歓迎です。
NBCでは、今までにもビートルズ好きの皆さんがリアルで集まって、ビートルズのCDを聴いて語り合ったりビートルズの曲をライブで聴いたりするイベントも行ってきました。
「ビートルズのこの曲なら弾ける」とか「演奏してみたい・唄いたい」という皆さんの声がたくさん集まったら、一緒に演奏したり唄ったりする会も企画したいと思っています。
ぜひメールでご連絡下さい。お待ちしています!
【 西東京ビートルズ倶楽部 メール:nbc4beatles@outlook.jp 】