猫 耳 南 風
太宰治文学賞作家 志賀泉さんコラム
ウクライナの兵士と握手したことがある。二〇一七年秋、チェルノブイリ・ツアーに参加した時のことだ。
彼は高線量地帯にある幼稚園の廃墟に立っていた。旅行者のガイドをしているという彼は軍服姿で、いかにも兵士らしいマッチョな肉体の持ち主だが、性格はフレンドリーで、日本人ツアー客の僕らに話しかけてきた。彼は福島の原発被災地を訪問したことがあるという。僕が福島の出身者だと通訳を介して挨拶すると、彼は親愛の情を示し握手を求めてきた。彼の大きくて分厚い手は忘れられない。彼は三十代後半くらいだったろうか。あれから四年半たつが、退役軍人としてロシアとの戦闘に参加している可能性は高い。
沖縄に「いちゃりばきょーでー(一度会えば兄弟)」という言葉があるが、一度でもその土地を踏み、市民と交流を持つと、まったくの他人とは思えなくなる。ましてウクライナだ。原発事故という同じ苦難を体験した者同士、ウクライナ人が日本人に抱くシンパシーは日本人の想像を超えたものがあった。僕はそれを行く先々で感じた。
もう一人、忘れられない人がいる。夜中にキエフの街を散歩していたら、カーネーションの花束を抱えた妊婦に呼び止められた。花を買ってほしいという。旅先で花を買っても仕方がないので断ったが、今でも思い出すたび、買えばよかったなあと後悔する。ウクライナの経済的な苦しさを垣間見た夜だった。
無事に出産したとすれば、その子は四歳になる。そして、母子がキエフで暮らしていたとすれば、国外に避難したにせよ、国内に留まっているにせよ、命の危険にさらされていることは間違いない。
僕がウクライナで出会った人々が、例外なく、一人残らず、戦火の脅威にさらされている。その事実に胸が締め付けられる毎日だ。
プロフィール
志賀 泉