ウクライナの思い出

2022年3月16日

猫 耳 南 風

太宰治文学賞作家 志賀泉さんコラム

ウクライナの兵士と握手したことがある。二〇一七年秋、チェルノブイリ・ツアーに参加した時のことだ。

彼は高線量地帯にある幼稚園の廃墟に立っていた。旅行者のガイドをしているという彼は軍服姿で、いかにも兵士らしいマッチョな肉体の持ち主だが、性格はフレンドリーで、日本人ツアー客の僕らに話しかけてきた。彼は福島の原発被災地を訪問したことがあるという。僕が福島の出身者だと通訳を介して挨拶すると、彼は親愛の情を示し握手を求めてきた。彼の大きくて分厚い手は忘れられない。彼は三十代後半くらいだったろうか。あれから四年半たつが、退役軍人としてロシアとの戦闘に参加している可能性は高い。

沖縄に「いちゃりばきょーでー(一度会えば兄弟)」という言葉があるが、一度でもその土地を踏み、市民と交流を持つと、まったくの他人とは思えなくなる。ましてウクライナだ。原発事故という同じ苦難を体験した者同士、ウクライナ人が日本人に抱くシンパシーは日本人の想像を超えたものがあった。僕はそれを行く先々で感じた。

もう一人、忘れられない人がいる。夜中にキエフの街を散歩していたら、カーネーションの花束を抱えた妊婦に呼び止められた。花を買ってほしいという。旅先で花を買っても仕方がないので断ったが、今でも思い出すたび、買えばよかったなあと後悔する。ウクライナの経済的な苦しさを垣間見た夜だった。

無事に出産したとすれば、その子は四歳になる。そして、母子がキエフで暮らしていたとすれば、国外に避難したにせよ、国内に留まっているにせよ、命の危険にさらされていることは間違いない。

僕がウクライナで出会った人々が、例外なく、一人残らず、戦火の脅威にさらされている。その事実に胸が締め付けられる毎日だ。

プロフィール

志賀 泉

小説家。代表作に『指の音楽』(筑摩書房)=太宰治文学賞受賞=、『無情の神が舞い降りる』(同)、『TSUNAMI』(同)がある。福島県南相馬市出身。福島第一原発事故後は故郷に思いを寄せて精力的に創作活動を続けている。ドキュメンタリー映画「原発被災地になった故郷への旅」(杉田このみ監督)では主演および共同制作。以前、小平市に暮らした縁から地域紙「タウン通信」でコラムを連載している。

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