福島県南相馬市(旧小高町)出身で太宰治文学賞を受賞している小説家・志賀泉さんは、「タウン通信」でのコラム「猫耳南風」も含め、東日本大震災発生直後から、故郷や原発などについて積極的に発言してきています。
この10年の間には、被災地となった南相馬市を歩くドキュメンタリー映画「原発被災地になった故郷への旅」(杉田このみ監督、2013年、映文連アワード2014「パーソナルドキュメンタリー賞」など受賞)を発表したほか、チェルノブイリを訪問取材するなど、さまざまな活動をしています。
この3月には、震災をテーマにした4編を収める短編集『百年の小舟(こしゅう)』の出版も予定しています。
いま、3.11から10年を迎えてどのようなことを考えているのか、インタビューをしました。
なお、以下にインタビューの抜粋を記事掲載していますが、この記事は、「タウン通信」の紙媒体(水曜発行・9万部)の記事の転載です。
インタビュー自体は、動画に主要部分を編集していますので、ぜひこちらもご覧ください。
動画(26分26秒)
「コロナ禍の姿は、フクシマが一度体験したこと」
以下、タウン通信の地域紙版(PDF)からの転載です。
――震災直後から、講演などさまざまな活動をされてきました。10年をどう振り返りますか?
「現地に行けない状況なので、分かったようなことは言えません。今は、10年の節目というより、『コロナ禍でどう3.11を捉え直すか』ということをやっています」
――というと?
「1回目の緊急事態宣言が出たときに感じたのは、『これはフクシマの人たちが体験したことだ』ということでした。
今までの日常が突然断ち切られ、無人の町が出現し、活動するにはマスクが必要になる。そして、目に見えない脅威と共存して生活する。
『お客が来ない』と廃業を考えるお店があり、安全なところへ……と避難する人が出る。
そして差別の問題が起こる。目に見えない脅威が迫ってくると、目に見えるものに仮託し、それを攻撃することで安心感を得ようとするのです。
そういう関連のなかで3.11を捉え直すと、大げさかもしれませんが文明史的な課題を感じます。つまり、3.11で乗り越えられなかったテーマが、今度は『コロナ』として起こったという捉え方です。
そう考えると、このテーマにきちんと向き合って乗り越えていかなければ、何度でも同じ過ちを繰り返すことになるということです」
――そうすると、フクシマの教訓が何かありますか?
「今、現地で『東京の人はこっちに来てはダメだよ』と言う人がいます。感染症を警戒した発言なので正当性はあるのですが、どこか、10年前の意趣返しのように聞こえてしまいます。
昨年話題になったカミュの小説『ペスト』では、主人公が『我々はみんなペストのなかにいるのだ』と言っています。最終的にはそのテーマが重要です。つまり、自分も害悪を持っているかもしれず、その意識を持ちながら社会とかかわる、ということです」
――ブログで「復興ではなく、再生と呼びたい」と書いています。
「被災された方々には怒られてしまいますが、実は僕は、被災後の故郷を訪ねて『美しいな』と思いました。草ぼうぼうの田んぼを美しいと感じるのは感性がおかしいのかもしれません。それで自分の中で整理してみたのですが、ピンときたのが『國褒め』でした。
『國褒め』は、天皇や支配者が自分の土地を見渡し、歌を詠み、その土地の霊を鼓舞することです。万葉集などにも収められています。
復興というと帰還するしないも含め人為的な感じがしますが、再生ならば土地が力強く蘇っていくイメージがあります。僕は被災地出身の文学者として、國褒めをしていきたいと思っています」
震災短編集『百年の孤舟(こしゅう)』発行
志賀さんの短編集『百年の孤舟(こしゅう)』が今月下旬に出版の予定です。震災をテーマにした4編を収録しています。出版社は荒蝦夷(あらえみし)。1980円です。
また、志賀さんはフクシマを伝えるブログを公開しています(https://futakokun.hatenablog.com/)。
前述の短編集の舞台は、作中では架空の名称ですが、実際は志賀さんの出身地である南相馬市小高区とのことで、志賀さんは「ブログには故郷の写真も載せているので、見てもらうと、作品の世界がより分かるはず」と話しています。
なお、前著『無情の神が舞い降りる』が、フランスに続き、イタリアで翻訳出版されます。
【志賀泉】
1960年福島県南相馬市(旧小高町)生まれ。福島第一原子力発電所に近い福島県立双葉高校を卒業。二松學舎大学卒業。2004年、『指の音楽』(筑摩書房)で太宰治文学賞受賞。
作品に『TUNAMI』(同)、『無情の神が舞い降りる』(同、仏で翻訳出版)などがある。
ドキュメンタリー映画「原発被災地になった故郷への旅」でパーソナル・ドキュメンタリー賞受賞。
地域紙「タウン通信」にて2008年よりエッセー「猫耳南風」を連載。