既報の通り、任期満了に伴う西東京市長選挙は、自民党・公明党が推薦した前副市長の池澤隆史さんの当選で幕を閉じました。
緊急事態宣言下での選挙で低投票率が危ぶまれましたが、蓋を開けてみれば、12年ぶりの40%以上の投票率となり、当選・次点の差はわずか1514票という熱戦となりました(今回の投票率は42.23%)。
投票率が回復した理由は何だったのか、そして市民の選択はどういうものだったのか―—を考えるとき、今回の選挙においては、突然現れた候補者の保谷美智夫さんの存在が気になってきます。
そこでタウン通信では、保谷候補者の登場によって何が変わったのか、を探ります。
「反・現政権への票が割れた」の声
まず確認しておきたいのは、今回の選挙結果・得票数です。
立候補したのは、現・丸山浩一市長の後継者として自民党・公明党の推薦を受けた池澤隆史さんと、反・丸山市政の立場を取る立憲民主党・日本共産党などの野党連合が推薦する平井竜一さん、そして、告示日間際に単身で現れた保谷美智夫さんの3者でした。
その結果は以下です。
池澤隆史 3万4299票 (当選。得票率48.76%)
平井竜一 3万2785票 (得票率46.61%)
保谷美智夫 3256票 (得票率4.63%)
(※敬称略、得票数順)
投票率は、上記にも記しましたが、42.23%でした。
当選した池澤さんと次点の平井さんの得票差は、わずかに1514票。
これを現政権(与党)vs反現政権(野党)の構図に当てはめるなら、「池澤さんvs平井さん・保谷さん」ということになり、平井さんと保谷さんを合計した得票数は3万6041票なので、野党側が池澤さんを上回ります。
こうしたことから、平井さん支持者の一部からは「保谷さんが出馬したことで、野党支持者の票が割れてしまった」の恨み節が聞こえてきます。
投票率回復の理由は?
確かに、野党側に立つなら、今回は政権交代の追い風が吹いていました。国政における菅義偉内閣の支持率急落、そして、オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の森喜朗会長の例の失言問題です。
特に森会長は、元総理大臣でもあり、既存政治の象徴的存在ともいえます。失言に対して国際社会から強い批判があっても辞職の意向はまったくなく、さらには謝罪の仕方に問題を残したことから、「自民党に喝!」「変革が必要だ!」といった政治への憤懣が市民の間に溢れていました。
国政と市政は違うとはいえ、暮らしに多大な影響を与えている新型コロナウイルスによって政治への関心が高まっているということもあり、「変える」という市民の意向が強かったのは明らかです。
加えて、4月上旬並みとも報じられた朗らかな好天と、緊急事態宣言下とはいえ「コロナ」感染者数が減少し出していることが、市民の外出を促し、投票率回復につながりました。
そう述べる根拠となるのは、前回選挙との比較です。
まずは前回選挙の結果・得票数をご確認ください。
丸山浩一 3万3486票 (得票率62.96 %)
杉山昭吉 1万9698票 (得票率37.04%)
(※敬称略、得票数順)
平成29年の市長選挙で、このときは丸山市長の2期目再選を問う選挙でした。投票率は32.90%です。
勘の良い方はすでにピンと来られたことと思いますが、前回の丸山さんと今回の池澤さんは、共に3万4000票前後で、その得票差は813票。ほぼ同数となっています。
ここで、改めて確認したいのが投票率。前回と今回では、ほぼ10ポイント上昇しています。
つまり、投票率は10ポイント上がっているのに、自・公推薦の現政権側候補者の得票数は変わっていないわけです。従って、投票率が上がった分がほぼそのまま反・政権側の候補者に入ったといえるわけです。
保谷美智夫とは何者か
ここで一つの問いが浮かびます。
では、もし一騎打ちだったなら、平井さんが当選していたのだろうか―—という問いです。
つまりは、上記で紹介した「票が割れた」の恨み節を検証してみるわけですが、「票が割れた」の信憑性を真面目に問うとなれば、「一騎打ちでも三つ巴でも、投票率は変わらない」という前提が必要になります。
その点はどうでしょうか?
ここで思い出されるのが、タウン通信がインタビューしたなかで保谷さんが答えた一言です。
「それぞれの候補者に政党の推薦があるなかで、何のバックもなく勝算があるのですか?」という質問に対し、保谷さんはこう答えていました。
「前回の選挙でいえば、7割近い人が投票に行っていない。その無党派層を取り込みたいのです」
この言葉を尊重すれば、今回の保谷さんの得票数3256票は、「票が割れた」などと評するものではなく、保谷さん自身が掘り起こした票だというべきでしょう。
3256票は、16万8588人の有権者数に対して約2%。そう考えると、保谷さんは、投票率を2%押し上げた功労者だという見方もできます。
実際には、保谷さんの存在に注目し、検討をしたうえで平井さんに票を投じた、という人も少なくなかったでしょう。この部分は仮説にはなりますが、保谷さんの存在によって恩恵を得たのは、むしろ平井さんのほうだった、という考え方も成立するように思われます。
今回、保谷さんは、「ポスター貼りさえ一人で行う」というような単身での選挙を行いました。悪くいえば「思いつき」とも評せるような、通常の認識では準備不足の決起となったわけですが、しかしそれは、あるいは少なくない市民の心底にある「資金も体制もないけど、立候補してみたい」といった思いを体現する行動だったのかもしれません。
現実的な投票先としては、保谷さんは、周知の通り「西友」の社員で売り場に立っており、政治経験はまったくないという方です。市民が市政を託すには低くないハードルがあったといわざるを得ません。
それでも、地元に支援者がまったくないなかで3000票以上を獲得したのは、その姿に共感した市民がいたことを物語っています。と同時に、市政においても政党政治が持ち込まれていることへの反発の受け皿にもなったといえそうです。
ちなみに、タウン通信のウェブサイトでは、3者の主張を記事掲載(及び動画配信)しましたが、選挙間近の1週間のアクセストップは保谷さんでした。
保谷さんについては公式ページもなかったため、情報自体が不足していたという面がありますが、保谷さんは確かに、今回の選挙への関心を掘り起こした人物でした。
競ったからこそ期待できる「対話の政治」
もちろん、このように仮説を幾つ並べても机上の空論に過ぎません。
結果は、僅差ながら現政権が支持された、ということになるわけですが、全体としては、投票率が40%台に回復し、競った選挙が行われたのは歓迎すべきことだと総括できます。
今後、新たに市長となる池澤さんは、投票した人の過半数が対立候補者に票を投じたということを意識しながら市政運営をしていくことでしょう。それは、対話による政治を期待させます。
池澤市政が始まるのは、2月18日からです。