新型コロナウイルスの拡大は、「教育」にどのように影響しているのでしょうか。
「『コロナ』と地域」をテーマに各方面に取材を行っている「タウン通信」では、今回、幼児部から最高学部(大学に相当)まである私立校の「自由学園」(東久留米市)の男子部校長・更科幸一教諭にインタビューをしました。
自由学園では、新学期の4月からオンライン授業を実施しています。
独自性のある取り組みを行うなど、その事情は公立校とはかなり異なりますが、更科校長の言葉からは、コロナ禍の中で子どもたちがどのような状態でいるのか、また、今後どのような方向を目指すべきかなどのヒントがうかがえます。
インタビューの様子は、約9分の動画と、より詳細な記事(下部)に編集しました。
なお、自由学園は幼児部から最高学部(大学)まで有する学校ですが、更科校長は主に中高生を担当しているため、今回のインタビューでは中高生をイメージしながら行っています。
動画(9分1秒)
近年ないくらいに、落ち着いている
寮生活をする生徒も多い自由学園では、文部科学省による全国一斉の休校要請が出される2日前に自主休校を決定し、4月の新学期からはオンライン授業を実施するなど、いち早く対策を取ってきています。
それまでと一変した学園は、今、どのような状況なのでしょうか。
あえて漠然と「『コロナ』の影響はどう出ていますか?」と質問してみました。
「人と人との関係性が非常に変わりました。
もちろんそれは、良い部分、悪い部分、両面があります。捉え方はさまざまでしょうが、一言でいえば、『オンライン』の導入で人と人とのつながりが変容しているように思います。
それまでの関係は―—大人もそうですが―—、干渉し過ぎというか、ちょっとかかわり合い過ぎていたな、という面がありました。
しかし、『オンライン』の活用や『密』を避ける行動によって、『少し気が楽になった』という子が多くいます。
自由学園では、1学期は、入学式も含めて、すべてオンラインで授業を行い、8月24日から、オンラインと通学とを織り交ぜた授業を展開しています。
生徒たちの始業は、現在、午前10時からです。学校での授業とは別に、自主的に行う課題をオンラインで与えており、多くの生徒は、通学前に課題に取り組んでいます。
このような学園生活は、今までの自由学園のスタイルとはかなり異なります。
自由学園の男子部では、中学1年生と高校1年生は全寮制になっており、4月から“密”な関係で慌ただしく進むのですが、今年は寮生活も2学期になってからですし(感染予防のため、全員の寮生活は約1カ月のみ)、通学時間などにも余裕があります。
このような、ゆとりや心の余白を持ちやすい状況があるためか、今年の学園は、近年ないくらい落ち着いています。
それが良いことなのかどうかは、先になってみないと分からないと思っています。
人間関係の中ではいろいろなかかわりがあり、時にはいやな他者とも付き合っていかなければならないわけですが、そうした機会は確かに減っています。その意味で、レジリエンス(困難に適応したり跳ね返したりする力)が鍛えられていない心配もあります。
しかし、前と比べたら足りないな、という気持ちは働くのですが、前と比べることが適切とは限りません。
もしかしたら、これまでの教育は、子どもたちに『密』な人間関係を求めすぎてきたのかもしれません。先ほどゆとりや余白といいましたが、立ち止まって思考できる時間を持てたことで、多くの生徒たちが『自分ってどんな人なのだろう』『将来はどうすればいいのだろう』などと、自分自身を見つめ直しています。そういう状況を見ると、これまでの教育を見直す機会が来ているようにも感じています」
「淡交」が自然に生まれている
自由学園では、4月から6月末までを1学期とし、オンラインのみで授業を展開。8月末からの2学期では、新入生たちは最初の約1カ月を全寮制で過ごしています。
そのギャップの大きさに子どもたちは四苦八苦したのではと推察しますが、実際はどうだったのでしょうか。
「中学生の新入生は38人なのですが、彼らはオンライン上でしか会ったことがなくて、8月に初めてリアルで交流しました。
ところが面白いことに、オンライン上だけだった1学期の間に、ある程度の関係ができていたのです。
事前にクラスメートのことを知っていたためか、彼らの心のざわつきはとても少ないもののようでした。
通常だと、初めて会ったクラスメートと時間も空間も共有するなかで、時にはいやなことを言われたり、『こいつなんだよ』と思うようなこともあるわけですが、オンライン上だと、同じことに直面しても軽く受け止めることができます。パソコンの電源を切れば、そこには何もないわけですから。
そういう感覚の延長で出会っているせいか、彼らは自然に交じり合っています。『淡交』みたいな良さがあるのだろうな、と感じています。もちろんデメリットもあるのですが、良い部分として、彼らは、『自分を生きる』ということができているような気がします」
オンライン授業は自主性が試される
前述の通り、自由学園では、オンライン授業をいち早く取り入れてきています。その姿勢は徹底しており、「普段と同じカリキュラムを」と、美術や体育までオンライン授業で行っています。
となると、気になるのは、学習の習熟度ですが……。
「テストの結果は2学期末に出るので、今の段階では、過去と比較してどうとは言えません(※インタビューは11月中旬に実施)。
これまでのやり方が学習習熟に良かったのかというと、そういう部分もあるし、そうでない部分もあるはずです。教科にもよるでしょう。オンラインの効果はどうか、については、すぐには答えられない問題です。
ただ、一つはっきり言えるのは、進度が早いということです。生徒たちの質問を受けて、それに答えて……という、リアルの授業で行われるやり取りがあまりないため、その分、スピーディーに授業は進みます。
進度は早いですが、教材資料などはアップされているので、生徒たちはいつでも復習することが可能です。
ただ、それは逆にいえば、ぼおっとしていると出遅れてしまう、ということでもあります。教材などにアクセスするかどうかは自分次第ですから。
自分次第、という例では、実はこの間、『スペイン語を学び出した』と話してくれた生徒がいました。
彼は英語は比較的できるのですが、「それに加えてもう一つ自分に武器がほしい」と、スペイン語を始めたそうです。勉強は語学アプリを使っているとのことでした。
こういう子もいれば、もちろん一方には、ポワーンとしている子もいます。
もともと自由学園は『自分で考え、他者と話し合う』ということを重視して、学校運営や行事を『自治』で行う教育をしてきているのですが、それが身に付いている子なら、今何が自分に必要なのかを考えて主体的に行動ができます。
いわば、自分の人生のオーナーシップです。
『自分がこの車のハンドルを握っている』という自覚があれば、『学習は自分のため』という意識を持てるはずです。
ところが、『学校は教室に座って1時間目から6時間目までやるものです』という認識で、世間の『こうあるべきだ』に考えなく従っているような子だと、こういう変容の時に『何をすればいいのだろう?』となってしまいます。
ましてこれからは、『以前の形に戻ろう』という力が社会全体で働くはずなので、主体性がないと『従ったほうが得』という判断で流されてしまいます。
もっと先々を見て、こういう社会になると想定されるから今これをやろう、と考えて動いていくことが大切だと思います」
「コロナ禍」に団結して立ち向かう
学力と同時に、学校には生活や交流の場という側面もあり、心を育てるという役割もあります。
「コロナ」によって集団行動や行事を行いにくい状況があるなか、指導者たちはどのように考えているのでしょうか。
更科校長は意外にも「『コロナ禍』の中で生徒たちが心を合わせている」と、前向きな発言をされました。
「自由学園は『生活即教育』という教育方針を持っており、創立以来、行事や集団行動を重視してきています。
しかし、1学期はオンライン授業のみでしたから、行事は一切行えていません。
また、ふだんの学園生活においても、通常なら全員が一緒に食事をするのですが、今年は食堂と教室とで2班に分かれ、かつ席を向かい合わせないなど、これまでの自由学園では想像できないような対応を強いられています。
2学期からは通学するようになったわけですが、秋のメインイベントとなる『体操会』は、ビデオ撮影をして保護者の方に見ていただくという形を取りました。
11月には『美術展』がありますが、これも『オンライン美術展』で実施します。
ビデオやオンラインでは、時間・空間を共有できないため、温度感がまったくありません。そこについては、『残念』としか言いようがないです。
ただ、だからすべてネガティブかといえばそうではなくて、そういう状況のなかでも子どもたちは、『それならば何ならできるのか』を自分たちで考えています。
単純なところでいえば、今年は例年になく、みんなでサッカーや野球などに興じる姿が見られます。それはやはり、行事が制限されているなかで、『みんなで何かを一緒にやりたい』という気持ちの表れなのだろうと思っています。もちろん、ストレス発散という面もあるでしょう。
それが高校2、3年生になると、もっと発展した活動になります。
例えば、つい先日には、寮でファッションショーが初開催されました。これなどは、『寮生活にさまざまな不自由があるなかで、何か面白いことをやりたい』という思いから生まれたものでした。
言うまでもなく行事には、集団で何かを作り上げる喜びや困難を乗り越える体験をするという教育的な面があるわけですが、実は広げて考えると、今、私たちは『新型コロナウイルス感染症』という大きな課題に団結して立ち向かっているといえます。
そのなかで、子どもたちは、係になれば朝7時30分に登校して各所を消毒して回ったり、一人ひとりが、コロナ禍のなかでどう行動するかを考えながら活動しています。
私たちが思う以上に子どもたちは柔軟ですし、自分たちで考えて生み出すという力は、むしろこういう状況のなかで強まっているように思います」
新しいことが生まれている
生活様式まで変わるような厳しい状況にありながら、全体としてポジティブな発言が多い更科校長。
その根底にあるのは『よい社会を作りたい』という思いとのことでした。
インタビューの最後に、教員としてコロナ禍の状況をどう捉えてきたのかをお尋ねしました。
「『コロナ禍』の状況を嘆いても仕方ありません。この状況があるというなかで、このピンチをどれだけチャンスに変えられるか。その思いだけです。
しかし、実はそれは、大人よりも子どものほうが強く持っています。
彼らのほうが諦めるのも早いし、次に進むのも早い。
それならば、大人が『こうあるべき』などと考えるのではなく、もっと良くするにはどうしたらいいだろうと一緒に探していったほうがポジティブだし、楽しいことです。
実際、そういう思考のなかで、自由学園ではこの間にさまざまな活動が新たに生まれています。
例えば、おにぎりやマスクを作ってホームレスの方々に手渡すという活動が高校生の呼びかけで始まり、今も続いています。
また、高校生が学者などの有識者にインタビューして動画配信する活動や、学外の子たちも参加できるオンラインの公開授業などもありました。
こういう困難のなかで、『より良い社会を作るためにどうすればいいか』をみんなが考える状況が生まれていると思います。
私自身、教育においては、そのこと―—平たくいえば、平和な社会、優しい社会をどう作っていくかを根底に置いて、指導に当たってきました。
平和で優しい社会にしていくには、マイノリティーの小さい弱い声に耳を傾けていくことが重要だと考えています。
捉え方によっては、コロナ禍がもたらしたのは、よりパーソナル度の進んだ社会だともいえます。先ほどお話した、自分で考えて動けるか、という面もそうですし、オンラインが加速すれば、学校に行かなくて良い、会社にいる必要がない、という状況で、仲間と交流する機会も減っていくことでしょう。
ともするとそれは『組織のことなんて知らないよ』『社会なんて関係ないよ』という発想につながってしまうかもしれません。
環境的にはそうした思考が生まれかねない状況のなかで、一人ひとりがどう社会とつながっていけるか。
そのマインドを持てる子どもたちを育てることが、今こそ本当に重要なのだと感じます」
◎自由学園