清瀬市の見どころを、地域メディア目線で選んでみました!
清瀬市は、市役所屋上で養蜂をして地域をPRするような「農と緑の町」。見どころとしては、やはり緑地に目がいきます。
と同時に、清瀬は結核療養の拠点となった「病院の町」でもあり、市内には国立看護大学校や明治薬科大学などがあります。
全体として農村の雰囲気が残るのんびりした町なので、「散策」をイメージしながら選んでみました。
”清きせせらぎの町”を代表する 「金山緑地公園」
水と緑が身近にある町・清瀬市を代表するエリアです。
柳瀬川に沿って遊歩道が続いており、公園内には遊水池も。道路を挟んで整備された遊歩道があり、こちらを進むと調整池に出られます。遊歩道に沿って流れる小川には、小さな魚やザリガニがいて、採取に励む子どもたちの姿も見られます。
周辺を散策するのも良いですが、「しっかり歩きたい」という方なら、上流に向かえば「清瀬せせらぎ公園」へ、下流に向かえば「滝の城址公園」へと出られます。
この公園の特徴の一つは、川辺でバーベキューができること。トイレもあり、一日楽しめるので人気ですが、ハイシーズンは駐車場がすぐにいっぱいになるので注意が必要です。
”病院の町”のシンボル的存在 「東京病院」
「病院の町」を象徴するところといえば、やはり「独立行政法人国立病院機構 東京病院」になるでしょう。
1939(昭和14)年に傷痍軍人東京療養所として開設されたこの病院は、地域で最初にできた結核療養所「府立清瀬病院」と合併し、現在の姿となっています。病院敷地内には、結核療養に用いられた外気舎が、記念館として残されています。
また、清瀬病院があった場所には、中央公園と看護大学校ができており、中央公園には病院があったことを記す記念碑が建っています。
この一帯からは、結核に苦しんだ人たちがどんな思いで自然や空を眺めたのかが偲ばれます。
1分で登れる富士山? 「中里富士塚」
清瀬市郷土博物館の北方の住宅街に突然現れる人工の小山が、中里富士塚です。
文字通り富士山に似せて作られた小山で、その規模は直径15メートル、高さ9メートル。1分もかからず登りきれる小山ですが、ここは信仰の場として、地域で大切に守られてきました。
富士山を信仰の対象とする「富士講」によるもので、富士山に似せたこの塚には、登山道にそって1合目から頂上までの合目石も置かれています。
このような富士塚は各地にありますが、中里富士塚の特筆すべき点は、今もなお、祭祀の場となっているところです。
例年9月1日に「火の花祭り」が行われ、お焚き上げによる灰は、縁起物として大勢の人々に持ち帰られています。
見学の際は、火の花祭りの映像なども紹介している清瀬市郷土博物館と併せて訪ねることをお勧めします。
天気予報でおなじみ 「気象庁衛星センター」
天気予報でおなじみの気象衛星「ひまわり」。その観測データを直接受信しているのが、清瀬市中清戸にある「気象庁衛星センター」です。
初代「ひまわり」が打ち上げられた1977年からこの地にある同センターは、「極軌道衛生受信アンテナ塔」がランドマーク。普段は見学不可ですが(団体で事前申し込みの場合は条件付きで対応)、4月の科学技術週間施設公開と、8月の「お天気フェア」では、一部施設が一般公開されます。
なお、ちょっとしたトリビアですが、この地は、戦時中は、海軍が外国無線を傍受するための副受信所でした。
10万本が咲き誇る 「ひまわり畑」
気象衛生「ひまわり」の関連ではないですが、気象庁衛星センターにもほど近い下清戸の一帯では、例年夏に、約10万本ものひまわりが開花します。
町おこしで種が撒かれているもので、満開の頃には地場産野菜の販売や模擬店なども出て、大勢の来場者でにぎわいます。絶景にカメラを向ける人も多く、フォトコンテストなども実施。清瀬の夏の風物詩として定着しています。
地域屈指のパワースポット 「水天宮」
市外からの人を集める清瀬屈指の場所といえば、なんといっても水天宮です。
水天宮は言わずと知れた安産祈願のお宮。特に戌の日には、お腹を大きくした女性とパートナーでにぎわいます。
そんな明るい祈願に包まれた境内には、清瀬の地名のゆかりにもなったという柊(ひいらぎ)の木もあります。その昔、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の際にこの木の下で足を休め、「清き土なり」と仰せられたとか。
そのほか、境内には、市天然記念物のスギの巨木などもあり、市域随一の縁起の良い場所(パワースポット)となっています。
伝承行事を今に伝える、地域最古の寺社 「円通寺」
現存する寺社のなかでは市内最古といわれる「円通寺」は、武蔵野では珍しい規模の長屋門がある真言宗の寺院です。
中世の武蔵野の重要な武家・新田家にゆかりがあり、新田義助が鎌倉から移したと伝わる観世音菩薩立像には、その前を乗馬したまま通ると必ず落馬したという伝説も残っています。
そんな歴史とともに同寺で見逃せないのは、地域に残る伝承行事「ふせぎ」の舞台にもなっていることです。
わらで大蛇を作り、厄除け(=防ぎ)のために付近に供えるもので、大木に結ばれた大蛇は円通寺のすぐ近くの三叉路で見ることができます。
訪ねた際は、寺院と併せてぜひ眺めてみてください。
「武蔵野の緑を後世に」と寄付された 「伊藤記念公園」
豊かな緑地が残り、散策路に事欠かない清瀬市において、特に目を引く存在が「伊藤記念公園」です。
総面積約1万9000平方メートルの公園は、ほとんどのエリアが雑木林でゆったりと歩けるようになっていますが、どうしても気になるのが、樹林帯に入る手前にある老女の銅像です。
これは、公園の名の元となった伊藤ヨシさんの銅像。伊藤さんはこの土地を所有していた方で、「この緑が末代まで変わらずに残ってほしい」と土地を市に寄付されました。
そうした思いのこもった同公園は、武蔵野の素朴な樹林を維持し続けています。
明治薬科大学内の薬の博物館 「明薬資料館」
明治薬科大学のキャンパス内にあり、誰でも無料で見学できるのが「明薬資料館」です。
主に日本の薬学に焦点を当て、生薬の標本資料や貴重な文献類などを中心に紹介しています。
常設展示室と研修室があり、折々、企画展なども開催。また、同大学の前身である東京薬学専門学校の創学者・恩田重信の関連資料なども展示しています。
なお、大学のすぐ目の前には柳瀬川と空堀川が流れ、樹林が美しい中里緑地保全地域の遊歩道もあります。
散策がてら、併せて訪ねてみてはいかがでしょうか。
是枝裕和監督も暮らした 「旭が丘団地」
わざわざ訪ねるスポットではないかもしれませんが、最後に清瀬旭が丘団地を紹介します。
約1800戸があるこの大型団地は、農村であった清瀬が通勤圏の住宅地として発展していくうえで、シンボル的な存在となりました。
この団地は、世界的な映画監督・是枝裕和さんが9歳から28歳まで暮らしていたことでも知られます。是枝監督はここをロケ地に作品「海よりもまだ深く」を撮影しています。作品を見る機会があったら、ぜひ注視してみてください(同作は東久留米の滝山団地でも撮影されています/リンク)。
ところで、この団地の一角には、警察官が殺害され、今なお未解決のままとなっている旭が丘派出所があります(1992年2月の事件、時効成立)。派出所の裏にひっそりと慰霊碑があり、胸が痛みます。