下保谷の自然と文化を記録する会が冊子発行
西東京市の市民団体「下保谷の自然と文化を記録する会」が、このほど、冊子「西東京市白子川上流(大泉堀)流域の自然と文化――川に寄り添い紡いだ人の営み――」を発行しました。
西東京市の北部を流れる一級河川・白子川を手がかりに、地勢、歴史、自然、宗教・寺社など、多面的に地域についてまとめています。
一般的には練馬区大泉井頭が源流地点とされる白子川ですが、実際にはその上流の西東京市エリアに源流があり、下保谷地域を流れる部分は「大泉堀(だいせんぼり)」と呼ばれたりもします。
下保谷の地域は、この川がここにあることによって拓かれてきました。縄文時代には集落が、江戸時代以降は村がここに作られており、周辺には、地域の信仰を伝える寺社や人々の往還を示す街道などが残っています。
しかし、そうした歴史や文化の元となった白子川は、現在は下保谷エリアでは暗渠(川の上をコンクリートで覆ってしまうこと)になっており、地域の人々の間でさえ、忘れられた存在のようになっています。
そうした状況に対し、同会では、「川や水辺の働きを掘り起こすことで、地域への理解が深まるのではないか」(同会・高田賢代表)と、川に着目して、調査を進めていきました。
取り組みを始めた昨年は、4回のフィールドワークを実施。加えて、練馬区を拠点に活動する市民団体「白子川源流・水辺の会」の協力を得て講演会や生き物の見学なども行い、白子川への理解を深めていきました。
冊子では、その成果を、「西東京市白子川上流域の地勢と人の往還」「白子川と共生する未来へ」「下保谷村の行政の拠点」「祈願の拠点」の4章に分けて紹介しています。
その中でも、昭和30年代までは水害がときどき起きており、特に昭和33年(1958年)の狩野川台風の時には、保谷町内で床上浸水160戸、床下浸水232戸という被害が出たという記述などは目を引きます。浸水した住宅の写真も掲載されており、現在からは想像できない地域の姿があったことを教えられます。
そのほか同冊子では、鷹場としての地域の姿や、エリアに残る寺社(福泉寺・天神社)、さらに名主(蓮見家)について深い考察を寄せています。
「地域を知り、地域に愛着を持って」
冊子をまとめた「下保谷の自然と文化を記録する会」は、地域の自然、文化、歴史などを調べ、地域で共有していくことを目指す、地域住民による会です。
これまでに「高橋文太郎の真実と民族学博物館」「保谷の藍」など約10冊の冊子を発行してきており、例年秋には、東京都文化財ウィークの企画として藍染めなどのワークショップを行ってきました。
今回の「白子川」についても文化財ウィークで企画展を行う予定でしたが、新型コロナウイルスの感染拡大のため、企画展は中止。それに代えての冊子発行となっています。
高田代表は「三密を避けるためにみんなで集まることができず、テーマの共通理解などに少し課題が残りましたが、この冊子が、皆さんにとって地域を知る一つの手がかりになればと願っています」と話しています。
そんな思いを高田代表は、哲学者・西田幾多郎の言葉を引用し、はしがきに以下のように記載しています。
「物を知るにはこれを愛さねばならぬ。物を愛するにはこれを知らねばならぬ。」
冊子は500部を発行し、各所に進呈しています。残部少数ながら、希望者には500円で販売も可能とのことです。A4判、カラー、36ページ。
詳しくは高田さん(042-478-3820)へ。