青梅街道を挟んで、小川寺とほぼ面するようにある小平神明宮は、近隣の小川寺、日枝神社と同じく、小川村開拓の祖・小川九郎兵衛によって開かれた神社です。
開拓にあたり、村の鎮守を求めたとのことで、九郎兵衛の出身地である多摩郡岸村(現・武蔵村山市)に鎮座していた産土神を勧請したと伝わっています。御主神は大日孁貴尊、すなわち天照大御神です。太陽、天の恵み、農耕などを象徴する神を祀るところに、開拓にかけた当時の人々の思いが表れています。
実際、神社を創建する動きは、開拓の許可が下りるとともに始まっています。そして、その社殿は、小川村開拓の許可が出てから5年後の1661年(寛文元年)に建立されています。
境内の様子を50秒ほどの動画にまとめています。雰囲気など感じてみてください。
動画(53秒)
今よりも375メートルほど北側にあった
創建当初の境内は、青梅街道に面する現在地よりも375メートルほど北側で、野火止用水に面して建てられていました。
興味深いのはその神主を京都・吉田家の系列となる宮崎家が務めていることです。同時期に村内に建立された日枝神社(日枝山王社)の神主は、江戸・麹町山王社系列の山口家が務めており、狭い村内に、京都の権威と江戸の権威が併存していたことが分かります。
新しい村として各方面に気を配る必要性があったのか、あるいは、さまざまな権威の力を神頼みのような思いで求めたのか、興味は尽きません。
境内が現在地に移ったのは1681年(天和元年)9月のこと。村人が参拝しやすいようにと遷座したようで、やはり、青梅街道が村の中心にあったということなのでしょう。
新しい地に社殿が建立されたのは30年後の1710年(宝永7年)のことで、その事実は、ともかくも遷座を優先しようという村人の思いを物語ります。
参道沿いに「小川村開拓碑」
このように、小川村開拓の歴史と共にある神明宮には、小平市有形文化財に指定されている「小川村開拓碑」があります。
これは、1918年(大正7年)に開拓者・九郎兵衛の子孫が「九郎兵衛250年祭」を記念して、村民と共に建立したものです。九郎兵衛の功績などが記されています。
この碑で注目すべきは、その篆額(石碑上部にある題字)で、当時の総理大臣・寺内正毅による筆です。記念碑を建てるにあたっての、子孫や村人の思いが伝わってきます。
シベリア出兵の年でもあり、ここでもやはり、共同体の強化や郷土愛醸成などの狙いもあったのかもしれません。
風格ある神社
小平神明宮の魅力は、その静けさと風格にあるように思われます。
青梅街道から境内に足を踏み入れると、入り口すぐに用水が流れ、清涼感が漂います。鳥居をくぐると、長い参道が……。
参道を覆うように大木が葉を繁らせており、気持ちを鎮めながらゆっくりと拝殿へと向かえます。ここが村の総鎮守であったということに、誰もが納得することでしょう。
立ち寄る際は、ぜひ、すぐそばの小川寺(開拓の祖・小川九郎兵衛の墓がある)も併せて訪ね、開拓当時に思いを馳せてみてください。
データ