志木街道と新小金井街道が合流する三叉路に面して風格ある門構えを見せるのが、浄土宗の「長命寺」です。
開山は室町時代末期と見られます。
開基は、徳川家の菩提寺「増上寺」の法主を務めた高僧・感誉上人です。感誉上人が1549年(天文18年)に開いた河越(川越)の蓮馨寺の末寺で、上人自身は1574年(天正2年)に没しているため、その間の開山であることは間違いなさそうです。
長命寺には清瀬市指定有形文化財である薬師如来立像があり、特に江戸時代には、大勢の参拝者でにぎわいました。
境内の様子を動画にまとめています。まずは雰囲気を感じてみてください。
動画(39秒)
一石二鳥の戦略があった?
その薬師如来の話の前に、開山についてもう少し触れます。
長命寺がなぜこの場所に開かれたのか。開山の経緯を追うと、そのヒントが見えてきます。
注目したいのは、長命寺近くにあった滝城(所沢市)の存在です。
柳瀬川流域に築かれた滝城は、河越城、八王子城、岩槻城などをつなぐ重要な位置にあり、事実この周辺には、番衆(見張りや雑役等をする者たち)の拠点だったという「清戸の番所」があったとされています(滝城にあったとする説もある)。
このような重要地に対して、川越城主が「寺」を名目に自身の手先を送り込むことは十分ありうることで、長命寺はその役を担っていたとも見られます。
というのも、開基の感誉上人は、河越城などを収めた大道寺駿河守政繁(北条氏家臣)の甥にあたるのです。
つまり、開山の背景には、軍事上の理由があったと考えられます。
と同時に、宗教的な狙いもあったと見られます。
前述・政繁の母は浄土宗を信奉しており、河越の蓮馨寺を基盤に、多摩地方への勢力拡張を意図していたようです。
その足掛かりとして、清瀬は理想的な位置にあったのでしょう。
薬師如来の伝説
そのような重要地に開かれた長命寺は、江戸時代の頃には、縁日に大勢の人々を集めました。船運で栄えた引又河岸へのルートでもあった引又街道(現・志木街道)に面する立地の良さに加え、長命寺が管理した薬師堂が信仰を集めたためです。
現在は境内の一角に手厚く置かれる薬師堂ですが、かつては街道を挟んで対面にありました。
納められる薬師如来立像には、以下のような伝説があります。
いわく―—
弘法大師によって彫られたこの薬師如来は、新田義興の宝蔵に収められるも、ある夕暮れ、宝蔵から光明を放った。驚いた人々が確認したところ、如来の尊体は消えていた。そして、その夜、城は敵襲を受けて消失した。
数年後、光明がある梅の梢があり、不審に思って人々が探ったところ、梅の穴から薬師如来が現れた。
さらに数年後、修業を積み悟りを開いた高僧が薬師如来に基づき、丸薬を調剤し、人々に投じたところ、霊験があり、効果を得る者が少なくなかった——。
医療の乏しい江戸時代、その霊験を求めて、多くの人が集まりました。同時に、江戸時代は庶民の文化が栄えた頃でもあります。縁日は、人々の楽しみとして定着していきました。
薬師堂再興祈願の謎
そのように、多くの人を集めた長命寺ですが、実は一つ、不思議な古文書も残っています。
薬師如来の胎内から発見された、薬師堂再興を願う願文と、15枚の寛永通宝(古銭)です。
僧の手によるものとみられるその文面には、「荒廃した薬師堂を再興したいが、貧僧にて力がない。薬師如来の功徳によって、後年、優れた者が現れ、再興してくれるだろう」といったことが書かれています。
興味深いのは、その願文が納められた2年後に薬師堂が焼失しているとみられることです。
薬師如来は、それこそ霊験により火災のなかで焼失を免れたのでしょうか。あるいは、別の場所に安置されていたのでしょうか。
そもそも、「荒廃」が何を意味しているのか明確ではありません。前述の通り、長命寺が縁日に相当なにぎわいを見せたのは確かなようですし、高僧も幾人も輩出しています。
地域有数の寺院であったはずで、それは、現在の門構えや境内、燈籠や鐘楼からも推察できます。
では、「荒廃」とは、あるいは、権力争いのようなことを暗喩しているのでしょうか?
謎が謎を呼びます。
何にせよ、歴史を思わせる寺院です。
門前のにぎわいを思う
長命寺は、門前に立つだけで風格を感じるような寺院です。
ここから高僧が多数生まれたというのも納得できます。
掃き清められた境内を歩くのはやや緊張しますが、ぜひ、堂々たる本堂、そして薬師堂に手を合わせてみてください。
前述で何度か繰り返したように、長命寺は、縁日に多くの参拝者を集めたという寺院です。
今は車通りの志木街道ですが、この通りが江戸の農民や町人でにぎわった様子をイメージすると、またお寺への見方も変わってくるはずです。
なお、志木街道を清瀬駅方面に1キロほど進むと、日枝神社(および水天宮)、全龍寺があります。
余力があるようでしたら、ぜひ歩いてみてください。きっと昔の清瀬の村を体感できることでしょう。
データ
長命寺
◎清瀬市下清戸2丁目471
◎ホームページ