タウン抄
「タウン通信」代表・谷 隆一コラム タウン抄
昨年末、全国チェーンのラーメン店で食事をした。伝票には551円の印字。会計で1001円を出すと、なぜか444円が返ってきた。
「お釣り、違いますよ」
女子高生らしいバイトの子に指摘すると、「あ、これ、伝票のプリントが薄くて557円なんです」と言う。示されたそれを見ると、確かに557円にも見える。
〈それなら、1001円を出した時点で言ってくれよ〉
と思ったが、すでにお釣りを受け取っているし、黙って店を出た。
数日後のこと。ある店で買い物すると、おまけでチョコレートをプレゼントしてもらった。うれしかったが、そのままポケットに入れたのが運の尽き。溶けて油がしみ出し、ポケットの中の紙幣を汚してしまった(私は財布を持ち歩かない)。
さて、その汚れた紙幣。初めて知ったのだが、自動販売機や券売機ではお札と認識がされない。
〈これは、どこかの店で使うしかないな〉
そう思って、機会を待った。
いよいよそのお札を使う日がやってきた。ドラッグストアで素知らぬ顔で札を出す。受け取った女性従業員は、カウンター下のレジにお札を差し込んだ。
〈そうか! お店も機械のレジなんだ〉
今さらながらその事実に気づいたが、それはもはや、私の問題ではない。案の定レジではお札が何度も戻ってきていたが、素知らぬ顔を貫いた。
しばらくして、女性従業員がうんざりした表情で私に言った。
「すみません。別のお札ないですか?」
〈えっ?〉
耳を疑った。汚れた紙幣を出した私は確信犯ではあるが、別に偽札を使ったわけではない。最近はセルフレジも増えているが、そこで別の札を求めるということは、つまりは店員として接客する自分の存在を自ら否定しているようなものではないか。
「いや、ないです」
答えると、女性従業員は、あからさまに不平の一瞥をこちらにくれた。
さて、再びレジと格闘する女性従業員。こちらも素知らぬ顔を決め込んでいると、彼女はふと思いついたのか、にわかにキャッシャーを開け、札を入れ替えた。当然ながら、それは見事にレジを通る。
〈なんだ、できるんじゃん〉
こういう工夫は人間ならではだ。が、この話が明るいものかどうかは、私には分からない。
(2019年1月16日号・本紙掲載分から転載)
『議会は踊る、されど進む〜民主主義の崩壊と再生』(ころから)、『中高生からの選挙入門』(ぺりかん社)、『起業家という生き方』(同、共著)、『スポーツで働く』(同、共著)、『市役所で働く人たち』(同)がある。
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