猫 耳 南 風
太宰治文学賞作家 志賀泉さんコラム
僕が軍艦島を見たのは二〇〇三年の夏。十年以上前のことだ。軍艦島へ行くには長崎港からフェリーに乗って高島という離島にまず上陸する。高島は軍艦島と同じくかつて炭鉱で栄えた島で、海岸に立つと軍艦島 の異様にごつごつした姿が沖に浮かんでいるのが見える。島の老人に聞くと、かつて夜の軍艦島は炭鉱街の光がそれこそ満艦飾のように壮 観だったと懐かしそうに語った。
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軍艦島への遊覧ボートが出る港には「軍艦島を世界遺産に」というポスターが貼ってあり、「本当ですか?」とたまたま近くにいた人に聞いてみたら、「そんな運動をしている人もいますな」と鼻で笑っていた。当時は地元の人にも現実離れした夢だったのだ。あれから十年以上がたち本当に世界遺産になってしまったのだから驚きだ。
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話はそれるが、ずっと前に「玉川上水を世界遺産に」というポスターを見かけた記憶があるが、歴史的価値から言えば玉川上水だって世界遺産になる条件は備えているはずだと思う。 話を戻すと、当時は軍艦島への上陸は禁止されており、ボートで島の外周をめぐるしかなかった。海上から眺める軍艦島は廃墟というより乾いた抜け殻に思えた。軍艦島というと廃墟のワンダーランド的なイメージが強いが、僕は寂しさしか感じなかった。
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むしろ隣の高島の方が、空き家になった炭鉱街が雑草に呑み込まれるまま放置されていたりと、生活の痕跡が生々しく、強烈な印象が残った。三菱重工の社員に率いられた若い漁師達と酒場で飲み交わした夜も忘れられない。
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ところで、この高島にも福島県から避難してきた人が数名いるという。どうして長崎県の離島を避難先に選んだのか、沖合いに浮かぶ廃墟の島を、雑草に埋もれていく炭鉱街をどんな目で見ているのか、一度会って話を聞いてみたいが、いまだ実現できていない。
プロフィール
志賀 泉