小川寺、小平神明宮といった「小川村」開拓の中心地に並ぶようにして鎮座しているのが、日枝神社です。
やはり、小川村開拓の祖・小川九郎兵衛が、神主・山口大和守求馬と協力して、1858年(万治元年)に江戸麹町(現・千代田区永田町)の日枝神社の分祀として祀ったのが興りです。
当初は、現在地より100メートルほど西寄りにあったとされ、当時の地図では、用水路に沿って立地しています。そのころは日吉山王社として祀られており、地元では、今も「山王さま」と親しまれています。
こぢんまりとした神社です。21秒ほどの短い動画で、雰囲気を感じてみてください。
動画(21秒)
農耕、治水の神を祀る
日吉山王社と日枝神社のつながりは、分祀元でもある現・永田町にある日枝神社が、江戸三大祭の「山王祭」を行っていることからも明確です。
主祭神の大山咋神(おほやまくひのかみ)は、比叡山と縁が深く、中国天台山の鎮守「地主山王元弼真君」にちなんだ「山王」の別名を持ちます。
大山咋神は、農耕、治水の神。開拓に取り組む村で、用水路のそばに祀られるのは、ごく当然のことだったのでしょう。
同時に、江戸麹町の日枝神社は江戸城の鎮守でもあり、あやかりたいという願いもあったことと想像されます。
現在の素朴な佇まいからはイメージしにくいですが、当時、衆人崇敬の社だったそうです。
大風のため、現在地に移転
わずか100メートルほどの移転ですが、同社は鎮座から約100年後の1755年(宝暦5年)に現在地に移転しています。
理由は、大風による神殿の破損でした。
破損したのは1751(宝暦元年)の8月と伝わっており、移転に4年を要しているのは若干の謎として残ります。
修復を試みる期間があったのか、あるいは、場所の選定に戸惑ったのか……。
現在の社は、そんな過去など素知らぬように、ひっそりと江戸を向いて鎮座しています。
日枝神社に改称されたのは、1868年(明治元年)のこと。いうまでもなく、新政府による神仏分離令によるものでした。
暮らしの中の神社に浸る
日枝神社の歩き方は、なんといっても、静に流れる時を楽しむことにあるといえるでしょう。
すぐに見通せる、こぢんまりした神社です。必見のポイントがあるわけでもありません。
しかし、境内を散歩する幼児と母の姿などを眺めていると、この場所を中心に素朴な営みが300年以上も続けられてきたことに思い至ります。
無人でありながら、きちんと管理されていると一目で分かる境内。その中に身を置くと、ここが地域の人々に親しまれていることが実感できます。
あるいは本来神社は、そのように、暮らしに身近であり続けるものなのかもしれません。
なお、近くに、小平神明宮、小川寺があり、併せて歩いてみることをお勧めします。また、すぐそばの竹内家の大ケヤキも必見です。
データ
小平日枝神社
◎例祭日 4月8日
◎042-341-3170
◎小平市小川町1-303