猫 耳 南 風
太宰治文学賞作家 志賀泉さんコラム
三月末、岐阜県の揖斐川町で「水になった村」というダム湖に沈んでいく村を記録した映画を観た。
日本映像民俗学の会の岐阜大会で僕が出演した記録映画「原発被災地になった故郷への旅」が上映されることになり、僕も招待されたのだ。
今大会のテーマは「故郷の喪失と再生」。「水になった村」はそのメインになる映画だった。
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舞台は岐阜県徳山村。人口千六百人の村が、二〇〇六年に完成した徳山ダムのため水底に沈んだ。
上映会の前日、バスツアーでダムの見学に行った。
なぜこんな場所に人が住みついたのかと不思議に思ったくらい奥深い山中にダムはあった。
冬は雪に閉ざされ、徳山村の人々は山や川の恵みを得ながら自給自足の生活をしていたという。
雪の残る山中でダム湖を見下ろし、寒さに凍えながら僕が想像していたのは、山村の過酷な生活だった。
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しかし翌日上映された映画は、山村の生活の意外な豊かさを伝えるものだった。
監督の大西暢夫氏は、ダム完成前、一旦は移転しながらも徳山村に帰り山暮らしに戻った老人達の姿を追った。
元気いっぱいの婆さんが野山に分け入って山菜を摘み、手間暇かけてクコの実のアク抜きをして餅を作る。樽には野菜や山菜がごっそりと漬けてある。
大西監督をもてなそうと、それらが食べきれないほど食卓に並ぶ。
料理ひとつひとつに先祖伝来の技と知恵がある。村を失うということは単に生活の場を失うだけでなく、かけがえのない文化を失うことでも あったのだ。
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映画の終盤、ダムが完成し街暮らしを始めた婆さんがスーパーで買い物をする姿は哀しかった。
独り暮らしの家では、冷蔵庫を開けても大西監督をもてなすだけの食べ物がない。途方に暮れた婆さんは結婚指輪を指から外し監督に差し出した。
山を離れてあっという間に呆けてしまっていた。
移転した家で一人で死んだら孤独死だ。
しかし山中で死ぬのは孤独死とは呼べない。むしろ輝かしい死に方のはずなのだ。
プロフィール
志賀 泉