医針伝心
土居治療院 土居望院長コラム
私が鍼灸を学び始めて40年が経つ。
部屋の押し入れには、中医学の学位や臨床心理など、当時取得したいろいろな証書が入っていた。
それは、どうしたら良い治療家になれるのか。何をどう学べば良いのか。そんなことをあれこれと考えていたからだ。
治療家が病人を治療させていただくという行為は学び続けること、修練し続けることが前提である。学ぶことを怠り、経験という甘い言葉の惰性に落ちた治療家はすでに治療家とは言えないだろう。
「私は薮」
それともう一つ、世間では鍼灸のカリスマとか指圧の名人とかいう人たちがゴロゴロいるが、私はこの世界を知る者としてそのような人を一人も知らない。
当の私といえば、患者さんに〈私は薮ですよ〉などと言うことがある。
病人を不安にさせる言葉は絶対に良くない。だから、冗談のように話すのだが、その薮は心からの本心である。
学ぶほど初心に戻る
知識や技術だけをみれば、若いころの私よりも今の私は格段に上達している。鍼灸のカリスマとか指圧の名人に出来ることで、私に出来ないことは何一つないであろう。
ところが学べば学ぶほど私の心は初心者であったころの私に押し戻されていくと感じる。
私の心は、病人の治療に際する時、初心者であったこ ろの私も今の私も同じである。
その心が私を上達させる治療家としての〈道〉なのであろう。
人生最後の治療に際し初心の時の心をそのまま持ち続けていられたならば、私の治療家としての人生は自分にだけは克てたかな、と思えるのだろう。
プロフィール
土居 望