小平市の始まりの地・小川村。
その開拓は、用水路開削があって初めて可能だったということをご存じでしょうか。
「逃げ水の里」などと呼ばれ、行き倒れになる人も出るほど水の乏しかった武蔵野台地。地下水脈は深く、井戸を掘るのも困難だったこの地に転機が訪れたのは、承応2年(1653年)の玉川上水完成でした。
急増した江戸の人々のために開かれた玉川上水は、同時に、その流域の人々の水源にもなっていきます。困難だった開墾を可能にし、新しい村の出現につながりました。
市域に今も約50キロの用水路
人々は、玉川上水から水路を開き、計画的に、村、畑、用水路を建設していきました。
用水路は、現在でも、小平市内に約50キロも残ります。
それどころか、昭和30年代までは、生活用水として使われていました。
上水道が完備された今でこそ本来の用水路の役割はなくなっていますが、開拓の恩恵を得た小平市では、市民の憩いの場として、現在も市民の中に根付いています。
用水保全に取り組む市民団体も
「小平の用水路には多摩川の自然水が現在も1日あたり1000トン流れています。多摩川の生態系がここにも存在しているのです」
そう話すのは「こだいら水と緑の会」代表の馬場政孝さんです。
同会は、小学校で出前授業を行うなど用水路のことを知ってもらうための活動を地域で行うほか、小平グリーンロード沿いの親水公園の清掃をするなど、用水の保全活動にも積極的に取り組んでいます。
先月15日には、女性による奉仕活動組織「国際ソロプチミスト小平」の15周年記念事業と連携し、小川町1丁目(310番地)に小川用水の表示看板を設置してお披露目式を行いました=下写真。
今後は、地元の古老31人から用水路の話を聞き書きした「用水路昔語り」を再編して発行する予定も立てています。
(取材・ジャーナリスト楽校inこだいら=市民の情報発信力アップに取り組む市民団体。エフエム西東京でも「こだいらMIX」を放送中。総務省関東総合通信局ほか主催「わがまちCMコンテスト」(2011年)音声部門でグランプリなどの実績あり)