小平市で晩年を過ごした近代彫刻の大家・平櫛田中(ひらくし・でんちゅう)の出世作「尋牛(じんぎゅう)」が100年ぶりに見つかり、同市の平櫛田中彫刻美術館(学園西町1の7の5)で特別公開されています。
田中が師と仰いだ日本美術界の巨匠・岡倉天心とのエピソードも残る作品です。11月6日まで。
(※編集部注 イベントは終了していますが、地域情報として掲載を継続しています)
田中、41歳のときの「出世作」
田中の出世作とも評される「尋牛」は、1913(大正2)年、田中が41歳のときの作品です。
田中は「尋牛」を生涯で少なくとも5作以上彫っていますが、今回公開されているのは、最も重要なその初代の作品です。同年の展覧会出品後、長く行方不明となっていましたが、関東地方の個人収集家の元からおよそ100年ぶりに発見されました。
同美術館に鑑定が依頼された際、学芸員の藤井明さんは「一目見て、だいぶ様子が違う」と感じたといいます。
「尋牛」は同美術館にも後期の作品が1作ありましたが、それと比べて、原型となる粘土の質感が色濃く出ていました。
初代作の写真が残っていたため確認したところ、すべての木目が同一で、「間違いない」と確信したといいます。
岡倉天心の死に間に合わず…
この初代作をめぐっては、日本近代美術の基礎を築いた岡倉天心とのエピソードも伝わっています。
田中は天心を師と尊敬し、約5年間交流しましたが、初代作はその制作途中の段階で天心から高い評価を得ていました。
しかし、天心が50歳の若さで他界したこともあり、完成作を見てもらうことはできませんでした。
田中は天心の死を聞いて急いで作品を仕上げ、棺に眠る天心の前に持ち込んで、涙を流したそうです。
今回の特別展では、そんな両者のつながりから、天心から田中に宛てた手紙も特別展示しています。
この手紙は、田中出生の地・岡山県井原市の「田中美術館」から借り受けたものです。
求道に自身重ねる
田中が生涯こだわったテーマ「尋牛」は、禅の悟りに至る道筋を描いた「十牛図」を題材にしたものです。
十牛図は悟りを分かりやすく10段階で説明するもので、悟りを牛に例えています。
尋牛はその最初にあたり、牛(悟り)を求めて山中に入り込んでいく求道者の姿を描いています。
田中は、その姿を理想とし、美を追求する自分を重ねていたといわれています。
同館学芸員の藤井さんは、「尋牛は田中にとって重要な作品。その中でもとりわけ価値を持つ初代の作品は、田中の作品を知っている人にこそ見てほしいものです」と話します。
なお、初代作は幾つかの手を経て、同美術館に寄贈されています。
特別展は11月6日まで。火曜休館。午前10時から午後4時まで。9月30日と10月28日は美術館ボランティアによる館内ガイドがあります。午前11時からと午後1時30分から。
入館料は300円(小中学生150円)。
詳しくは同美術館(042・341・0098)へ。