「漫画の神様」とも呼ばれた手塚治虫さんのもとで制作者として約10年働いた下崎闊さんは、その思い出をブログに綴っています。
10日には、晩年の手塚さんが暮らした東久留米市の市民プラザで、間近で見た手塚さんの姿を語る予定です。
手塚さんを知らずに入社
下崎さんが子どもの頃になりたかったのは歌手。
音楽スクールに通っていたある日、求人情報にあった「虫プロダクション」を芸能事務所と勘違いして応募しました。
「鉄腕アトム」などは好きでしたが、手塚治虫の名前は知らなかったといいます。
社長室付になってすごさを実感
入社1年後に「社長室付」になってから、手塚さんとの交流が深まることになったそうです。
すると間もなく、そのすごさを実感。
「確かにこの人は神様だ……」と心酔するようになっていきました。
手塚さんには仲人にもなってもらったという下崎さん。約10年、その下で働きました。
リタイア後は地域で自主パトロールなど
しかし、下崎さんは、プロダクションを移った先で納品トラブルなどに巻き込まれ、業界を引退することに。
以降は、運転整備士などで生計を立てたそうです。
リタイア後の現在は、近所の六仙公園やイオンでくつろぐのが日課。公園では自主的に防犯パトロールをし、ゴミを拾っています。
心に残り続ける手塚哲学
「ここまで生きてきて、大なり小なり社会に迷惑をかけてきた。その罪滅ぼしですよ」
そんなふうに軽く話す心の中には、実は、手塚さんが描いた「ブッダ」の弟子、シュリハンドクの存在があります。掃除をすることで悟りを開いたシュリハンドクに自身を重ねているのです。
「それはまあ、僕は“手塚教”の信者ですからねぇ」
ちなみに、“手塚教”の教えは、
一つ「子どもに夢を」
一つ「人を信じよ。しかし、人は信じるな」
――だそうです。
本当の手塚治虫
「信じるな」といえば、「手塚伝説」には誇張も多いとか。
「活字になると話が独り歩きする。私の知っている手塚治虫という別の人物がいるんですよ」
下崎さんは、自身が見た等身大の「手塚治虫」をを伝えていくのが、今の自分の役割と自負しています。
◆しもざき・ひろし 1945年埼玉県出身。手手塚治虫さんの思い出などを、演出関係の仕事で使っていた真佐美ジュンの名でブロ(http://mcsammy.fc2web.com/history.html)に綴っています。六仙公園友の会事務局長など地域活動にも勤しんでいます。
下崎さん講演会
下崎さんの講演「昭和を生きた手塚治虫~東久留米市の思い出」は、10日午後1時30分から、同市市民プラザホールで。当先着80人。主催はコミュニティサイト「くるくるチャンネル」ほか。詳しくは事務局(042・457・3000)へ。
※手塚治虫さんの「塚」は正しくは旧字です
※下崎さんの「崎」は、正しくは「立」の崎です